故障
もとからポンコツなわたしはさておき、走ることで故障をきたすことがあります。
ことがあります、なんてマレなことじゃないかもしれません。
ちゃんとした統計ではありませんが、ランニング関連の故障事例は、じつは相当数ある、という指摘は少なくありません。
いわば、日常茶飯事といっていいような出来ごと。
故障の箇所や規模は、状況によって、多彩です。
ハードな走りをすればするほど、故障の危険度はたかまります。
無理な走りになればなるほど、負担はふえるわけですから、故障しやすくなります。
不注意や事故的な故障もあります。
とはいっても、故障の多くは、特別なことをしなくても、時間がなおしてくれます。
カラダの中には、故障をなおしてゆくよ、という機能が宿っているからですね。
数日の経過で、よくなってゆくことがあります。
数週間の時間をかけて、だんだんよくなってゆくこともあります。
数ヶ月という時間を要するものもあります。
とくに大きな故障の場合、積極的なアプローチ法として、リハビリテーションにゆだねる、という道があります。
今回は、このリハビリテーションについて、考えてみます。
リハビリテーションの意味
コトバのふり返りです。
「リ」は、「再び」の「リ」。
リバイバル、リピートの「リ」。
「ハビリ」は、「持つ」というコトバ。
アイ ハブ ア ペン。
「テーション」は名詞化する語尾。
つまり、リハビリテーションというのは「再び持つ」という意味です。
復活、復権。
15世紀にイングランドとの100年戦争で劣勢にたたされていたフランスに、ジャンヌ・ダルクが登場します。
ジャンヌ・ダルクは、フランス軍の士気を高めることに成功すると、故国の危機をすくう救世主になります。
ところが、その後、いわゆる魔女裁判にかけられ、19歳の命を火あぶりの刑でおとします。
しかし、やがて殉教者としてあつかわれ、20世紀にはフランスの守護聖人となってゆきます。
これが、ジャンヌ・ダルクの「リハビリテーション」です。
名誉の回復、復権。
病気やケガのリハビリテーションも同じですね。
もとの元気だった自分にもどること、復権、回復。
もとのグイグイ走れた自分にもどること、復権、復活。
再びもどる、ということ
長く入院して病と向きあい、ようやく落ちついて退院の日をむかえられた患者さんから、こんなコトバをいただくことがあります。「おかげで、よくなりました。これで、もとの生活にもどってゆけます」。
若かったころは、それは誇らしいコトバとして受け取りました。
歳いった今は、スナオには受けとれなくなっています。
「どこかで無理があったのも、入院の原因だったのかもしれません。
この入院をふり返って、無理したところは、変えてゆくことも大切かもしれませんよ」。
無理で生じた故障や病は、たとえガンバって克服したとしても、また同じ無理がかかることが心配になります。
故障や病は、ひとつの気づき。
気づきを、どう活かしてゆきましょうか。
くわえて、どんなにガンバっても、もどれないもの、もどせないもの、というのもあります。
努力は貴重ですけれど、努力だけでは解決できないものもあります。
ケガが、障害として残ることもあります。
治せない病気もあります。
それが、世の中の現実です。
歳をとることだって、ある意味、もどせないことです。
ネオハビリテーション
ネオ・ハビリテーションというコトバがあります。「ネオ」は「新しい」という意味です。
すなわち、「新しくもつ」こと。
故障やケガや病気をふりかえり、再び同じ状況におちいらないように「新しい」生き方へちょっと舵をとってみる。
あるいは、もどせないものをかかえたとき、それをかかえて生きてゆく「新しい」生き方を工夫してみる。
無理がつもって、ケガをしちゃった。
⇨では、ケガするほどの無理が生じない道はどうしたらよいだろうか。
ガンバリすぎて、故障しちゃった。
⇨どのくらいの自重が、故障とならないか。
同じ故障をくり返す。
⇨どこか、根本的な動きの工夫をしてみる。
努力や根性で克服しようとするだけが道じゃありません。
そうならないような、「新しい」道を考えてみる。
たとえ故障や障害もったとしても、それとともに生きてゆける「新しい」工夫をさぐる。
工夫を楽しんでみる。
更新してゆく人生。
上書きしてゆく毎日。
故障やケガや病気は、大変ですけど、自分をふり返る大きなチャンスです。
そして、大きな「気づき」をもたらすチャンスでもあります。
気づいたら、同じ道を強行突破することだけにこだわらない。
少しだけ、工夫をくわえてみる、変えてみる。
ふたたびもとにもどる「リハビリテーション」も大事です。
でも、それだけが選択枝じゃありません。
新しい生き方へ舵をとる「ネオハビリテーション」という道もある。
新しい走り方を考えてみる「ネオハビリテーション」という生き方もある。
走りとともに、くわえて歳とともに、さまざまに変わってゆく自分をみつめながら、新しい道さがしもおこたらない。
けっこう、これがおもしろいものです。
ネオハビリテーション的生き方っていうのも、どうですか。
わたくしなど、極端な話、日々がネオハビリテーションな毎日です。
減る一方の体力と寿命。
がんばっても、もとには、もどせませんよ。
注意)「ネオハビリテーション」は、わたしの造語です。
だれにも、どこにも、認められていません(笑)。
ですから、辞書などにもでてきません。
あいかわらず、いい加減なお話で、すいません🙇
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