不安よ、サヨナラ
世の中には「ゼッタイ」というものはありません、ゼッタイに。
ゼッタイでないものから生まれるもの、それが不安です。
不安は、居心地がよくない。
はやく、おさらばしたい。
不安に、手っとりばやく「フタ」をしてくれるものが、安心です。
安心には、グレードがあります。
定食の、松竹梅コースみたいなものです。
コレをすれば最上級の安心、というのがあります。
コレで万全ではないけれど、ないより安心というのもあります。
いずれも、安心は「個々人の気持ち」の問題です。
思い入れで、なり立っています。
ですから、個々人レベルで、お守りのようにあつかえば、精神安定剤にもなります。
でも、個々人のものですからね。
ヒトには、押しつけちゃいけません。
なんてことを考えたくなる、いまの世相です。
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不安と走り
自分の楽しみとしての走り。
走ってくると、サッパリしますからね。
走る前と、走ったあとでは、ゼンゼンちがった自分になっている。
走りは、変身の魔法のステップ。
なんて、ノンキに走りとつきあえるなら、大丈夫です。
ところが、です。
つい、どこかに走りの「上」を求めたくなるのも人情です。
もうちょっと、記録を伸ばせるんじゃないか。
もう少し、長い距離を走れるんじゃないか。
競技として、走りにとりくむランナーは、さらにきびしい現実に出会います。
ひとより早くなければならない。
標準記録を、突破しなければならない。
高い目標がうまれます。
そこに顔をだしてくるのが、不安です。
そうです、簡単に思うようにゆかないのが人生ですから。
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安心を求める走り
記録を伸ばしたい。
走る以上は、そんな思いが当然でてきます。
もう下る一方で無理なんだってば、というぼくでさえ、まだある(笑)。
そこで顔を出してくるのが、「根性」の差です。
どこまで自分をおいこめるか。
よくいわれるように、走りにラッキーはありません。
実力以上のものは出せない世界です。
そんなクンレンの過程で、顔を出してくるのが「不安」です。
どこまで、がんばればいいんだろうか。
この不安をのりこえるため、ときに無理を重ねる。
ここでガンバラないと、安心できませんから。
とくに、ランナーは、基本みなマジメです。
(わたくしを除く)
おもく疲れがたまっていても、痛みがひどくなっても、休まない。
不安に打ち勝つために、休んでいてはだめじゃないか。
その結果、たいへんな故障にむすびつくことがあります。
ココロに、解消しえないキズを受けることもあります。
安心を求めすぎる。
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安全という、ふりかえり
安全は、客観的な見方です。
このたび、そうしましょうね、と勝手にわたしが決めさせていただいたものです。
いつも、すいません。
客観的、というのは、どういうことでしょうか。
主観的な安心と、どこがちがうのでしょうか。
ひとことでいうと「ふりかえり(検証)」ができるもの、です。
世の中には、ゼッタイというものはありません。
人間サマに、そんなものを作れる能力はありません。
必ず、あやまちは生じます。
すべてに当てはまる真理なんて、どこにあるでしょう。
100%効く治療だって、101人目には無効となることがあります。
それにしたって、100人のあとの、たった1人じゃないですか。
いえ、その1人にとっては、無効がスベテです。
そもそも本来、100%に効くものなんて、どこにある。
ふしめ、ふしめで立ち止まってみる。
謙虚になる。
そして、ふりかえってみる。
これで、いいかな。
修正してみようかな。
無理しすぎていないかな。
思いきって、方向をかえるべきかな。
休もうか。
そんな迷いもかかえながら、すすんでみる。
そこに、本当の安全がうまれてくる気がします。
安心とのちがい。
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安全ランニング
走りにも、ふりかえりが加わると、また味わいが変わってきます。
ぼくの場合、ちょっとした記録をのこすのも、ひとつのふりかえり。
A4版のノオトに、15冊目になりました。
日々の記録は、ほんとに、しようもないことばかりですけれど。
ちょっとした気づき。
アイディア。
反省。
反省。
反省。
うん、反省、多すぎないか?
GPS腕時計が使えるようになって、月間走行距離が楽にだせるようになりました。
もう、長いこと、お世話になっています。
なのに、あいかわらず200キロを超えられない。
ふりかえったら、そういう結果がつづいています。
自分の限界だな、というのも知ることができます。
だからつづいているのかな、とも考えています。
マスクを着用すること。
ひととの距離を2メートルたもつこと。
ふりかえりがないと、レースが再会されても、こんな状況が展開されかねません。
全員マスクをつけたランナー。
スタートラインから、2メートルおきにならぶ出発をまつランナー。
最後尾は、3キロ後方。
ってなことになりませんように。
小さな抵抗はつづく。
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ふりかえり なくして次の ステップなし
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