現代のなやみ
いい時代、にくらしています。
え、何がいいですって?
たぶん、いいんじゃないかと。
なにしろ、こんなにご長寿な時代なんて、過去にはありませんでした。
エラくなっても「失言」さえ気をつければ、やっていられる。
では、何が、ご長寿を支えているのでしょうか。
ひとつの見方があります。
生命力で、考えてみます。
もって生まれた、先天の生命力は、「腎」の力。
すなわち、腰力(こしぢから)。
生後身につける、後天の生命力は、「脾」の力。
すなわち、たべ力(たべぢから)。
両者に負担がなくなっている、いい時代。
両者の概念を導きだしてくださった古人からしてみれば、うらやましき時代。
なにしろ、腰力にやさしいのです。
動かなくても、すむのですから。
たべ力にも、やさしいのです。
おいしいものに、かこまれている生活。
だもの、長生きできるわけです。
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ご長寿の影で
でも、人間は、むつかしいものです。
どんな状況になっても、なかなかベストがありません。
ご長寿だけでは、満足できないのです。
どうも、調子がイマイチ。
じつは、薬も欠かせないのですよ。
ご長寿社会とは裏腹に、病人の数はふえる一方です。
なぜ、こんなにも不調なヒトが、ふえているのでしょうか。
自分で不調、と気づかない方も、少なくありません。
機嫌が、よくない。
疲れが、ぬけない。
目覚めが、つらい。
たのしめない。
こういうのは、みんな、不調ですからね。
なぜ、こんなにも不調が、蔓延しているのでしょうか。
ここも、ひとつの切り口があります。
生命力で、みてみます。
腎の力が、発揮できていない。
脾の力が、弱まっている。
生きることはできても、輝くまでにはゆけない腎力と脾力。
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腎の不完全燃焼
腎の力、というのは、「腰力」でした。
こしぢから。
カラダを支える基盤です。
動作の、中心力です。
これあっての、立っての活動。
ここが、弱ってきている。
なぜでしょうか。
「動かなくてもすむ」世の中が一因ではないでしょうか。
ヘタをすると、1日、ろくに動かない。
いえ、動きます、トイレにゆくくらいは。
でも、重いものを運ぶわけではありません。
長い距離を、歩くわけでもありません。
それでも、すむ時代。
わたしにしても、仕事だけなら、1日2,000歩も、歩きません。
基本、座りっぱなし。
ランナーは、よく動いているよ。
たしかに、走るときは。
では、走らないときは、どうでしょうか。
歩かないから、たまには走ってみる。
こんな急展開に、カラダがちゃんと、ついてくれるでしょうか。
かえって、腰に負担が生じることもあります。
静と動の落差に、たえきれない。
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脾の不完全燃焼
脾の力、というのは、「たべ力」でした。
たべぢから。
活動をつづける基盤です。
といっても、単に、たべる力ではありません。
そこが問題です。
本来は、毒を見わける力。
いたんだものを、嗅ぎわける力。
これあっての、たべる力です。
現代人は、ココが、弱ってきています。
なぜでしょうか。
「味覚」をおかしくさせられる世の中だからです。
本来、ひとの舌は、タンパク質を「うまみ」と感じていました。
タンパク質は、カラダの主成分です。
カラダの代謝の、主成分です。
そして、タンパク質代謝の相棒として、ビタミンやミネラルを感じていました。
ここに、分け入ってきたものがあります。
人工的な、成分たちです。
人工甘味料。
保存材。
粘稠剤。
これらは、味覚を麻痺させることで、舌に入りこんできました。
うまい、と感じさせるしくみを人工的につくる。
もっと欲しいと、依存をうむしくみ。
後天の生命力の「脾」の力を、錯覚させてゆく作戦です。
その結果の、カラダの主成分の欠乏状態。
後天のエネルギーの不完全燃焼。
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まっとうな感覚へ
動くことで維持されていた腰力。
すなわち、先天の腎の力。
ちゃんとしたものをたべることで獲得したたべ力。
すなわち、後天の脾の力。
両者の感覚が、ゆらぎはじめているのが現代社会の特徴でしょうか。
そして、これが不調を生みだす一因。
動く感覚を「動覚」とします。
味の感覚は「味覚」です。
本来の「動覚」と「味覚」が揺らいでいる時代。
現代を、こうとらえたら、いかがでしょうか。
その結果の不調、が増えているように感じています。
でも、原因がわかれば、解決の道も見えてきます。
動覚を、とりもどす。
味覚を、とりもどす。
誘惑の多い道ですけど。
とくにまっとうな味覚をとりもどすのは、並大抵ではありません。
自分の「舌」だけをたよりに、では心もとない。
なにしろ、科学の推移を集めての人工物の襲来中ですから。
ある程度の、見きわめる知識。
そして、見限る決心も必要なもしれません。
それとも、「動かず」「甘いもん三昧」の道がいいですか?
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本来の 感覚もどし 空を飛び
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