カラダの「道」

ギクシャク

 

カラダが、かたい(かたさ問題
カラダの、敏しょう性がない(にぶさ問題

動くと、カラダが痛む(痛み問題
持久力が、とんとない(バテ問題

いえ、わたくしの「愚痴」をならべているわけではありません。
現在のわたくしの「現状」を白状しようという目的でもありません。
実際のところ、みんな抱えているわけですが。

でも、わたくし個人の問題でしょうか。
いやいや、だれだってたどり着くコースだよ。
それが年をとるってもんさ。

そういう「サトリ」をひらこうという訳ではありません。
今回は、ちょっとマジメに考えてみます。

これらの諸問題は、年をとることの宿命でしょうか。
→たしかに、年とともに顕著にはなります。

これらは、では仕方のないことでしょうか。
→でも、全員がこうになる訳じゃありませんね。

となると、なぜこのような諸問題がでてくるのでしょうか。
そういうこと、考えたことありますか?

 



 

経年変化

 

年とともに、変化する。
つまりは、経年変化

これは、かたちあるものの宿命です。
いつまでも変わらぬものは、ありません。

生きものだけではありません。
たとえば、自動車だって、変化してゆきます。
わたしの車、15万キロをこえて、さすがに持ち主同様にヘタってきました。
前の車も、18万キロ走って、車軸にガタがきてサヨナラとなりました。

人間にも、こういった経年変化は避けられません。
あえて、経年劣化というコトバは使用しませんが。
それは、どこでしょうか。
それは、どういう変化でしょうか。

ここで発想の基盤としたいのが、人体構造です。

人間は「張力」でカタチつくられている。
人間は「つながり」でまとまっている。

つまりは、「張力オモチャ」です。
そして「ショベルカー」です。
ここをアタマに入れて、考えてみます。

 



 

いきなり、結論

 

わたしたちのカラダは、「」がとおっている。
が「動き」をつくっている。
そして道が、「張力」を生んでいる。
くわえて道が、「つながり」をつくっている。
つまりは、「伸び縮みし、つながっているしくみの要が道」です。

以上です。
そんなこと、どこに書かれているの?
解剖学的にも、生理学的にも、納得できないよ。
そういわれて、却下されちゃうかもしれませんけど。

そして、ひと口に道といっても、いろんな道があります。
ですから、イメージとしてもつ道だって、さまざま。

都会ならば、整備された歩道。
あるいは、雑居ビルにはさまれた、ゴミゴミした通り。

田舎にくると、ひと気のない一本道。
あるいは、畑のなかのあぜ道。

そんなふうに、バラバラすぎると、ハナシがうまくすすみません。
ですから、カラダの中だけは、できるだけ統一した道のイメージへ。

いろいろ考えてみました。
そこで、たどりついたのが、「ウインナーソーセージ」道路です。

ウインナーソーセージ。
あらためて、わたくしの発想の乏しさにヤレヤレなんですが。

でも、これでいってみます。
カラダの中には、「道」がとおっている。
その道は、「ウインナーソーセージ」がつながるイメージ。
よろしいでしょうか。

 



 

ウインナーソーセージの道

 

カラダの中には、「ウインナーソーセージ」ロードが、とおっている。
何本も。

ウインナーソーセージのおさらいを、しておきます。

のつまった部分。
しぼりあげられた部分。
このふたつが、つながっているのが、ウインナーソーセージ。

説明が、ヘタですいません。
ウインナーソーセージの名称もよく知らない。
ですが、へこたれずに、カラダにあてはめてみます。

実のつまった部分。
ここは、「筋肉」のイメージです。
じっさいのウインナーソーセージでも、お肉をつめたところですし。

しぼりあげた部分。
ここは、「関節」や「」のイメージです。
曲がったり、つなげる場所。

こうして、ウインナーソーセージロードが、つながってゆく。
ここで大事なのは、つながってゆく、ということです。
それぞれが、単独ではない。

でも、こうしてみると、「張力」と「つながり」が生まれそうだと思いませんか。

 



 

ウインナーソーセージロードの変化

 

ウインナーソーセージの変化は、カラダの中で、どう反映されてくるでしょうか。

「実」の部分がプニプニしなくなったら、なにをもたらすか。
はい、「カタサ問題」にむすびつきます。
だって、伸び縮みができなくなるんですから。

「実」の部分の変形しやすさが低下したら、どうなるでしょうか。
これは「ニブサ問題」につながります。
すっと、変化できないんですから。

「実」や「しぼりあげ」部分の故障は、どうなるでしょうか。
これは、一番は、「痛み」の発生。
こわれちゃったんですから。

そして、ウインナーソーセージのの低下。
これは、「バテ問題」にからんできます。
すいすい、動けない。

年とともに、カラダはいろんな変化を見せてきます。
それらは、場所を問いません。
アタマの先から、足の先までさまざまです。

でも、その多くに、ウインナーソーセージでイメージされる「」の変化がからんでいる。
そして、道の本質は「つながり」。

こう考えてくると、新しい展開が開けてきませんか。
だったら、「道」に着目すればいいんだ、と。

自分の内なる「道」に、どのようにアプローチをしようか。
道に沿って手をあてて、考えたい。
(つづく)

 



 

たーさん
求めれば みつかるハズ いにしえの道

 

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