ヒザの痛みよ、サヨウナラ

大切なモノ

 

大切なモノ、というのは、しばしばなくしてから気づかされます。
逆に、あんなに大切だと思ってこだわっていたものが、なくなってからも困らないことにガクゼンとすることもあります。

恋人、家族、家、仕事、財産、おサイフ。
自分にとって、どうですか。

あったときは、アタリマエ
それもまた、大切なモノの一面でしょうか。
気をつかわない、ふつうにあるもの、がなんてありがたいことか。

空気だって、そのひとつです。

空気なんて、あってアタリマエの存在です。
意識することはありません。
空気にかこまれているおかげで、今日も生きていられます、なんて考えたことありません。

ところが、空気がなくなってしまったら。
たかだか数分だって、生きていられません。
ああ、なんて大切なヤツだったのか。

自分にとって大切なモノを、ひとつひとつ噛みしめてゆく。
人生を楽しむコツでしょうか。

痛みのないランニング、というのもそうです。

 


 

ヒザが痛い

 

歩くとき、ヒザが痛んでねえ。
走りだすと、ヒザが痛むんですよね。

ヒザの痛みをかかえておられる方は、少なくありません。
それは、高齢化社会のひとつの側面です、っていう話ですませられません。
今の時代、小学生とか中学生の間にも、ヒザの痛みが増殖中なんですから。

小学生なのに、ヒザが痛むの?
耳を疑いたくなります。

じゃあ、痛むところを、さわってみてください。
すると、しばしば、ヒザ小僧の外側あたりをスリスリ。
ヒザ全体をつかむようにして、「うーん、よくわからない」という答えもありますね。

西洋医学は、理詰めの発想が得意です。
痛む場所の特定。
犯人の潜伏先の解明、に似ています。
場所には、きちんと解剖名で名前がついています。

たとえば、チョーケー靱帯
そこの炎症
損傷場所名→病態→病名。
すると次に対処法という流れです。

ああ、その場所は、自分にとって大切な場所だったんですね。

 


 

因果関係という複雑さ

 

風が吹くと、桶屋がもうかる」という落語があります。

風が吹く→目を痛める人がふえる→今までの仕事ができなくなって流しの三味線弾きになる→三味線需要が高まって、その材料になる猫の毛皮が必要になる→猫がいなくなる→ネズミがふえる→ふえたネズミが桶をかじる→で、桶屋がもうかる。

世の中は、どう回っているのか。
複雑なんですね。

さて、チョーケー靱帯が痛むっていってましたね。
そこを触ってみましょう。
「あっ、痛テテテッ」

確かに、チョーケー靱帯がよくないようですね。

それでは、どうしたらよいでしょうか。

そりゃ、チョーケー靱帯を休ませることだね。

ところがカラダの中も、「風が吹けば桶屋がもうかる」理論が通用することしばしばです。
単純ではない、ということでしょうか。

 


 

原因と結果のスレチガイ

 

すると、ヒザ下くんが、おずおずとしゃべり出します。

じつは足を床につくとき、オイラは曲がって上半身の荷重をにがす役目を負ってるんです。
ところが、ご主人さまの最近の着地が、カカトでドン
ヒザ下の屈曲クッション機能を生かせなくなってしまって、ヒザ周辺の皆様には大変なご迷惑をおかけしちゃっているんです。

おいら自身はもともとガンジョーにできていますから、少々では故障しません。
気がついたら、脇のちっちゃな靱帯さんが腫れてきてしまっていて。
申しわけないことになっちゃいました。

チョーケー靱帯の腫れ(結果)
ヒザ下関節の使い方の無理(原因)

一種の、風が吹けば桶屋がもうかる現象でしょうか。
桶屋がもうかるのも、猫が減るのも、ネズミが増えたのも、実は「空っ風」のせいだったのかもしれません。
つまり、ヒザのクッション機能の見直し。

これを、ちゃんと使えていたかなあ。

もしそうなら、チョーケー靱帯周辺に湿布をはっても、ヒザにサポーターを巻いても、うーん、どうなのかな。
そして、ことはチョーケー靱帯だけじゃありません。
足首とか、ふくらはぎとか、モモ裏とか。
その場所だけに振り回されずに、まずは、「」をみないと。

という理由から、ヒザ下の使い方、こそ着目してやらないと。

 


 

やわらかな土のいやし

 

自然の土
舗装されていない、砕石などのジャリなどの人工物がばらまかれていない、できるだけ自然な土がおおう道すじ。
とくに、雨上がりのやわらかな道。
草がはえ始めた、あぜ道。

こういうところを、ウス底のクツ(理想をいえば地下タビ)で歩いてみたり、走ってみます。
アスファルトの感触とのちがいを味わってみる。

そうすると、カラダの中に自然な変化が生じてきます。
そう、クッション機能の思い出し。
自然が師匠

着地が、やわらかくなる。
とびはねなくなる。
ヒザ下が、ゆるんでくる。
歩幅が、短めになる。

アタマや理屈で「どう動くか」ではなく、大地が導いてくれる動作の快感。
ああ、気持ちイイ。
スピードは出しにくくなるかもしれません(じっさい、出ません)。
でも、すてきな感覚には、出逢えるかもしれません。

移動に大切なものが、やわらかな大地に秘められているのかも。

 

たーさん
理屈より 自然がおしえる 走り方

 


 

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