さびた鉄人
ドッコイショ。
口にだすか、ださないかの差はあります。
どちらにせよ、「かけ声」が必要になってきたこと。
はい、タタミから、おき上がるときです。
和の生活での、気づき。
イスからたち上がるときにも、必要になりつつある。
かけ声という、内からのパワーをひきだす所作だけではありません。
外からのかけ声も、ほしくなる。
それが「手すり」です。
何かと「手すり」が、いとおしくなってくる。
つい、無意識に、手すりに手がのびてゆく。
これが、年をとった証拠でしょうか。
動作のスイッチが、入りにくくなっている。
くわえて、実際の動作まで、しぶくなっている。
カラダが、さびついてきているのではないか。
まるで、さびた鉄人じゃないか。
ナマミの人間だとばかりに、思ってきたのに。
さびはじめ
人間の「さびた鉄人」化への道。
これは、宿命なんでしょうか。
長く生きすぎてしまった結末なんでしょうか。
だったら、仕方がない面もあります。
そう、ぼんやりと考えていました。
ところが、この考えに疑問が浮かぶようになっています。
そうです「宿命」ではすまされない事態がおこっているからです。
そう、宿命ですませてはいけない。
それが「若いヒト」のさびた鉄人化状態です。
いまの時代、若い世代に「さび化」がすすんでいるのではないか。
こうなったら、加齢なんかで、片づけようとしてはいけません。
まだ、加齢じゃないですから。
わび、さびもいいな、なんて流暢を気どっている場合じゃない。
だって、そういう方に接する機会がふえているのです。
若いヒトのさびはじめるカラダの箇所。
これには、とうぜん個人差もあります。
ありますが、共通面もみられます。
そこが、「ヒザ」です。
最近の若いヒトは、「ヒザ」のさびつきから、全身さびさび化がみられている。
コレです。
わたくしの、まったくの個人的考察ですけど。
こまらない
ヒザまわりが、さびついたら、さぞやこまるだろう。
なにしろ、まだ若いんだし。
でも、心配はいりません。
学校の階段には、立派な手すりがついています。
トイレも、基本、すべてのトイレが洋式化されました。
って、そういうのですませてはいけません。
ヒザのさびつき問題。
これを意識しなくてもくらせる環境になっています。
ああ、よかったね、ですまさない。
単に、気づきにくくなっているだけですから。
こまらなければ、結果オーライではありません。
たとえば、きょうでも、きのうでも結構です。
ヒザを90度以上、まげた場面がありますか。
バリアフリーとか、そういう次元のはなしではありません。
くらしの場面が、ヒザ曲げを要求しなくなっていませんか。
ですから、ボロもでない。
90度以上禁止条例
わたくし、法律にうといです。
憲法までなら、最低限の知識をもってはいます。
「基本的人権の尊重」は憲法に保障された項目。
だから、わたくしの「基本的人権」も守ってね。
ということを、おりにふれて、主張しています。
ココロの中で。
家庭で。
職場で。
いや、方向がすこしズレました。
世の中には、いつのまにか「ヒザを90度以上曲げない環境つくり」条例というのができているんでしょうか。
知っていたら、おしえてください。
さきほどのトイレ問題もです。
和式がなくなり、洋式化へ。
そして、タタミにチャブ台。
こういったスタイルも、めっきり見なくなりました。
いまや、タタミの部屋でも、イスにテーブルの時代です。
お寺の本堂も、いつの間にやら、イスの出現。
こまらないと考えない
こまえらないことは、考えなくなります。
こまらないことは、気にかけなくなります。
人間というのは、そういうものです。
「不足」から遠ざかった生活は、ありがたいです。
そのための先人の努力に、感謝です。
でも、この上にアグラはいつまでかけるのか。
たとえば、たべもの。
さいわい、たべるものは、たくさんあります。
でも、自分で、どれだけ作っているでしょうか。
自国で、どれだけ生産しているでしょうか。
スーパーにゆけば、いつもたくさん並んでいる。
それが、いつまでつづくでしょうか。
これも「手に入らない」とならないと、考えないかな。
ヒザがまがらない。
そんなこと気にしなくても、こまらない環境に生きています。
でも、です。
山や野原の中で、もよおしたら、どうしましょうか。
運良く、洋式便器がころがっていた、なんてことを期待してはいけません。
洋式便器がなくては、用もたせない。
下世話な表現ですみませんが、野グ◯もできない。
これは、由々しき事態じゃないでしょうか。
そしてことは、用足しだけじゃありません。
ヒザのサビつきは、さまざまな障害をうんでいます。
くわえて、ささいなことでも、すぐに痛みだす。
スクッと、しゃがめますか。
そこかえら、スクッと、たち上がれますか。
しゃがみこみと、たち上がりの力。
握手の力。
元気なヒトは、この両者が、見事です。
年齢じゃ、判断できません。
人間力の原点、とみています。
15歳で、心配なヒト。
90歳で、完璧なヒト。
世の中、さまざまです。
せめて、野グ◯のできるカラダをもっておこう。
きのうは何回、しゃがみましたか?
あいかわらず、お下品ですいません。
(理由と解決策は、別の機会に)
しゃがむため あったヒザに 目を向けよう
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