新しい世界
これから発見することがたくさんあるって、すてきだと思わない?
あたししみじみ生きているのがうれしいわ。
世界って、とてもおもしろいところですもの。
もし何もかも知っていることばかりだったら、半分もおもしろくないわ。
そうでしょう?
そうしたら、ちっとも想像の余地がないんですものねえ。
『赤毛のアン』のなかのひとこと。
あたらしい世界にふれると、あたらしい疑問が生じます。
あたらしい疑問は、あたらしい発見を生みます(かも)。
あるいは、あたらしい発想が生まれる。
「痛み」にたいする考え方が、ずいぶんとかわってきました。
わたくし個人の中で、ですが。
まったく個人的な問題です、すいません。
ランニングというあたらしい世界にふれられたおかげです。
そしていま、老いというあたらしい世界真っ最中、いやはや。
大きなトコロ(苦笑)につとめていたころ、痛みといえば「3大痛み」からはじまりました。
頭痛
胸痛
腹痛
このなかから、急を要するものを見逃さない。
命にかかわるものを、見落とさない。
これらは「赤旗」サインの病気といわれました。
それには、何はともあれ、正しい「診断」です。
診断のもとに行動する。
診断がつけば、道はある。
逆にいうと、赤旗サイン以外の痛みには、関心がさがります。
けっこう、手抜き対応。
「痛いんかい、じゃあ痛み止めでも」
そういう世界から離れて、別の世界へ。
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診断が役にたたない?
ランニングをはじめて、いろんな痛みを経験しました。
自分の老いとつきあいはじめて、フシブシの痛みと出会うことになりました(苦笑)。
ま、いってみれば、「地味」な痛みです。
どれも、たぶん「赤旗」は立ちません。
そして、同じような痛みをもつ方々と、語り合う機会がふえました。
ヒザが痛むんだけど。
足首が痛くてねえ。
足のウラが、ビーンとはって痛むんですよ。
脚の付け根が痛くてねえ。
腰の痛みで、起き上がるのがつらくて。
首が痛くて、頭まで痛い。
肩が痛くて、ウデもあがらない。
手首が痛くて、ものが持てない。
背中の痛みで、熟睡できない。
これらを「地味」な痛みと表現しました。
命には関わらないでしょ、という意味からです。
ですが痛みの渦中にあれば、軽い痛みじゃありません。
重大事です。
生活に大きな支障となってきます。
ゆっくり、ねむれなくなります。
好きなことも、できない。
ランの痛みは、満足に走ることもできなくなります。
よし、まずは正確な診断だ。
それが意外とあいまいになってしまいます。
なんとか診断がついた。
でも、だからといって、仲々よくはならない。
降参です。
赤旗はあがらない。
しかし、白旗が立っちゃいました。
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痛みの海へ
それじゃ、あらためて痛みのお勉強だ。
さいわい、いろんな本もでてきている。
論文も、総説も、たくさん手にはいる。
すると、さすがです。
痛みの全貌が俯瞰できます。
痛みの機序がくわしい。
治療法も、するどい。
最近は、オピオイドの敷居もさがっています。
結構、安易に使える。
装備は万端じゃないか。
問題は、複雑で、むつかしすぎて、わたくしがついてゆけないことです。
わたくしのアタマが、まず、理解してゆけません。
そして、わたしのカラダの中で、そんな複雑な機序はなさそうな気がします。
反旗をひるがえしたくなる。
教科書をそのままは信じない性格です。
もっと、単純な機序ですよ、たぶん。
だからでしょうか。
いっこうに、痛みの理解や解消に結びつかない。
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シンプルに
カラダは思ったよりシンプル。
さいきん、つくづく感じることです。
むつかしく、考えすぎない。
むつかしく、分けすぎない。
走りだって、そういう気がします。
じつにシンプルな行為じゃないでしょうか、本来は。
精神科医の春日武彦先生は、こういう名言をはかれています。
「気の狂い方は、そんなにたくさんはない」
大雑把にいえば、7種類くらいだそうです。
痛みだって、例外じゃない気がします。
もっともっとシンプルに感じているはず。
では、どんなシンプルさか?
血流が止まる
↓
痛み物質が放出される
↓
痛み物質を察知する
コレがすべての痛みの共通のスタート事項。
痛みは、どんなものも、こういう機序をとる。
つまり、すべての痛みは、血流の停止からはじまる。
(わたくしの独断)
別の見方をします。
人間のカラダは、つねに酸素(血流)が必要です。
酸素は、血流によって、カラダのすみずみまで運ばれています。
その血流が止まる、ということは非常事態です。
放置したら細胞死から、重大事件につながります。
そのため、止まった血流は、現場で信号をだします。
痛み物質の放出という信号です。
これこそが、「痛み」という共通サイレンです。
オタク系の方には、血小板からのブラジキニンとかです。
痛み物質の正体。
これが「パッ」と出て、パッと消える。
だから、現場でしか、わからない。
痛みの現場(局在)がわかる。
足ウラにでた痛み物質を、ウデで感じとることはない。
くも膜下出血の痛みも、
心筋梗塞の痛みも、
足くびの捻挫の痛みも。
フクラハギのツレの痛みも、
走った翌日の筋肉痛も、
ガンの痛みも、
リウマチの腫れの痛みも、
スマホ見すぎたあとの首の痛みも、
転んですりむいたヒザの痛みも、
みんなみんな、同じ機序がおこっています。
血流の停止(低下)です。
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発想法
「ココが痛いんですけど」
痛いところは、いろいろあります。
その場所は、だいたいわかります。
そのときの「ココ」のイメージの持ち方を、変えてみませんか。
「ココの血流が、とどこおっているんだ」
これです。
「ココが痛いんです」
で、終わらせない。
「ココの血流がとどこおっているんです」
そう見立てる。
とどこおっているから、カラダは「痛み」として感じている。
急性の痛みも、慢性の痛みも、この発想です。
カラダは、痛みという感覚を、このようにシンプルにとらえています。
(あくまで、わたくしの妄想)
でも、そうとらえれば、発想がひろがりませんか。
じゃあ、どうして血流がとどこっているんだろう?
どうしたら、血流の回復ができるんだろう?
血流が回復したら、痛み物質はなくなってゆきますから。
ちなみに、ロキソニンやセレコックスは、血流を下げます。
おおくの湿布も、血流を下げます。
じゃあ、どうしたらいいん?
考えてみませんか。
赤毛のアンじゃなくても、ワクワクしませんか。
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血流が 止まると痛いと さわぎだす
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