イモリに、なってみよう
我輩は、イモリである。
名前は、まだない。
うーん、文豪の書き出しを、ちょいと拝借。
そしたら、実際にイモリになった気分にひたってみましょう。
さっそく、タタミの上に、腹ばいになってみます。
最近は、タタミのない家庭もおありですか。
その場合は、ふつうのユカの上でも、けっこうです。
どっちでも、ダイジョーブです。
まず、胸とオナカに着目。
胸もオナカも、ユカにピッタリとつけておきます。
頭は、アゴがユカに触れるほどに。
手足は、まずは「大の字」にしておきましょう。
さて、どうでしょうか。
これを、「イモリのポーズ」とよばせていただきます。
そのまんま、です。
イモリのポーズが、とれたでしょうか。
イモリだって、しているんですよ(失礼)。
ボクの場合、最初からギクシャクです。
まず、手足のつけ根に違和感が。
つまり、肩の部分。
そして、股関節部分です。
ようするに、カラダがカタイ、ということです。
イモリのポーズで、ジタバタ
さっそく、イモリのポーズになりました。
次は、手足を動かして、少しジタバタしてみます。
ウデや、アシの曲げ伸ばしです。
最初は、ウデから。
まずは、ヒジを曲げたり、伸ばしたり。
つづいて、ウデを上にあげて、耳にまで近づけてみます。
そのまま、ワイパーのようにウデをまわして、腰のほうへ。
ゆっくり、ゆっくり回してみます。
どこが、いちばん活躍するでしょうか。
背中の肩甲骨が、背面をスルスルと動きまわってくれないと回りませんか。
つづいて、アシの動き。
ヒザを曲げたり、伸ばしたり。
さらには、アシを開いたり、とじたり。
これも、ゆっくりしてみます。
アシを開く。
開脚というワザですね。
うーん、ボクには、とっても開くなんていえない角度。
相当、サビついています。
赤ちゃん、どんだけイモリなんや。
イモリのポーズで、前進
さて、それではいよいよ、イモリのポーズで、前進にチャレンジしてみましょう。
実際のイモリは知りませんが、人間イモリは、胸とオナカはユカから離しません。
しっかり密着したまま。
ここが、いわゆる匍匐前進とはちがいます。
さあ、しっかり前に進めますか?
む?
むむむ。
あれ?
進みません、ボクの場合。
背骨を右に左に曲げることは、できます。
体幹ひねり、とでもいいましょうか。
でも右にひねって、左にひねりなおしてみても、ソレダケです。
前にはゆかない。
ヒジやヒザ周辺をユカに押しつけるようふんばっても、無理です。
あ。
ここで、いそいでご忠告申しあげさせていただきます。
イモリの前進ポーズは、必ず「ひとり」でしてくださいね。
家族であっても、見られたら絶対にアヤシイ。
万が一、のたうち場面とかんちがいされて、救急隊に通報されかねないためにも。
万が一、見られたときは、空にはばたいてゆきましょう。
いや、これじゃ、鶴の恩返しですか。
ニコッと、わらって、ごまかす。
進まなくても、いいや
イモリのポーズは、前に進むことではありません。
はい、前進志向ありません。
何かにとりくむ以上は、一歩でも前進をかちとりたい。
そんな、青春的、建設的、純粋的な感情は、もうありません。
進まなくっても、イイです。
カラダは、どうつながっているのか、を改めて自覚したいな、というのが目的です。
カラダには、胴体があります。
そこから、ウデやアシがのびています。
アタマが、ついています。
みんな、つながっています。
動きの中心は、胴体になるのかな、やっぱり。
その胴体を動かすと、みんなに影響が伝わるのだな。
これが、連動というやつか。
右のウデだけが格別、というわけではないようだ。
アシは独立、でもない。
すべての調和で、ひとのカラダ。
歩きを意識するのは、むつかしい
イモリのポーズや、イモリの動きは不自然です。
人間にとっては。
たぶん、赤ちゃんのとき、ハイハイの前に、ごく瞬間的に味わっただけ、かもしれません。
それでも、この時代を通ってきたことがあるんですね、多分。
なのに、とっても不自然に感じてしまいます。
一方、歩くことは、自然です。
自然という表現があわないのならば、意識しない、でもけっこうです。
歩くことを、いちいち意識していたらキリがありません。
多くの方は、アタリマエに歩いています。
そう、アタリマエなんです。
そして、わたしたちは、アタリマエを意識するのは、とってもむつかしい。
なぜなら、アタリマエだから。
ふつうに、できているから。
ですから、歩き方を注意されても、すぐに忘れてしまいます。
だって、アタリマエのことに不自由はないから。
歩き方、じつは、けっこう個性があります。
とくに、現代人の歩き方は。
まして、走り方にいたっては千差万別、とでもいいたいくらい。
衣類、ハキモノ、生活習慣、などの多様性が一因になっているのかと思います。
多様性にかこまれて、歩きも、走りも多様化してきている、ということです。
ということで、たまにはイモリのポーズで、ジタバタしてみる。
カラダの動きのいちいちに、意識を動員させてみる。
意識しようとしなくても、意識させられるんですね。
自分のカラダは、こんなふうにつながっているのか。
カラダの連動って、こういうふうなのか。
こっと、おもしろい発見がありますよ。
腹ばいの 強烈感覚 イモリから
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