気はめぐる
人生は、気力だあ。
ランニングも、最後は、気力だあ。
ミもフタもない言いかたですが、まんざらウソでもなさそうです。
気力があれば、走れる。
気力が失せてしまえば、そこで停車です。
では、気力とは、いったい何でしょうか?
見たこと、ありますか。
気力をふりしぼるって、水にぬれたタオルをしぼるようなことが、できるんでしょうか。
なんてことを考えてゆくと、世の中に「気」を見たひとがいるのか、疑問さえわいてきます。
ほんとうに、気なんてものが、あるんでしょうか。
「血」なら、ありますね。
わたしたちのカラダの中には、血があり、カラダをめぐっています。
ふだん直接に見ることはできませんが、切り傷とか、血を見たことがないひとはいないでしょう。
造影剤を注射すれば、血流にそって流れるさまを観察することもできます。
血液は存在して、血流はたえません。
そんなふうに、「気」があって、気もクルクルとめぐっているのでしょうか。
見てみたいものです。
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言い出しっぺ
ひとには、「気」が宿っている。
気がめぐることで生命は躍動し、気の消失によって命は終焉をむかえる。
と、いわれています。
なら、その言い出しっぺの意見をうかがいたいものです。
交通渋滞は、必ずその先頭があるように、気の存在だって、訴えたひとがいるはずです。
どうやら、古代中国のひとだったらしいようです。
そうか、もう、この世にはいないのか。
そこで古書をひもといてみます。
いえ、中国語も、古文書も読めませんから、それらの解説書となります。
すると、カラダには「気」という存在が流れていて、ところどころ体表にも顔を出してくるようです。
流れる道筋を「経絡」といい、体表にあらわれた場所を「ツボ」という。
経絡は、主なものが12本(1年の月の数ですか)。
ツボは、おおざっぱにいって365個(1年の日数ですか)。
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ケイラク教室
わたしは40代のころの約10年間、東京は下町にあるS先生のもとへ、ケイラクの勉強に通っていました。
S先生は、鍼でも灸でもなく、ツボに電極板をおいて電気パルス信号をおくることでケイラクを刺激する研究に生涯をかけていらっしゃいました。
そしてケイラク教室として、門戸を開いていました。
治療家というより、研究者の風貌。
しっかりした理論に、多彩な効果。
ふところの深いS先生を、わたしは師匠と、心から尊敬していました。
父と子ほどの年の差があったためか、S先生も、覚えの悪い不肖の弟子にもかかわらず、あたたかく迎えてくださいました。
なにせ、ツボの知識なんて、まったくなかったものですし。
その後、S先生は病にたおれ、亡くなられたために教室も閉じられてしまいました。
独創的であったがために、その遺産を継げないまま、その成果がうずもれてゆく現状に悩んでもいます。
「ケイラクは、指の抹消からアプローチした方が、カラダの中に刺激として入ってゆきやすい」
「ツメ横のツボは、いうなれば東京駅。次のツボは、神田駅。近いけれど、大阪や仙台に行くんだったら東京駅からじゃないと行けないよ」
ほとんどマンツーマンで教えていただいた先生の語りは、今も心に刻まれています。
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手を動かすこと
服を着がえる。
お茶碗をもち、ハシを使う。
食器を洗う。
洗濯物をほす、たたむ。
買い物をする。
手をかく、字をかく。
草をむしる。
わたしたちは、1日中、手をつかっています。
ひろげる、つまむ、もつ、支える、とじる。
「最近、ボンヤリしていることが多くなってきたようで」
「だんだん、ボケてきたみたいで」
そういう方の「手の動き」に注意してもらうと、まあ原因なのか、結果なのかはむつかしいですが、共通して「手」を使わなくなっています。
とうぜんですが、握手にチカラはありません。
というより、握力の出番すらありません。
定年退職後にみるみるしぼんでゆく男性の「手」に着目すると、ほんと、使っていません。
することがない、なんて抽象的表現じゃなく、手をつかう場面がない。
いっぽう、シャキシャキっ子の手は、料理、洗濯、そうじと家事だけじゃないけど、大活躍。
元気なジイさん、バアさんの手は、よく動いています。
この世代では、いまだに裁縫さえも、あっという間。
よくまあ、あんなこまかい作業が。
ボケ防止、虚弱(フレイル)防止の第一歩は、手を使うことから。
脳トレじゃ、ないんだってば。
だって、手は、とくにユビ先は、ケイラクの出入り口、東京駅。
手をつかうと、全身に刺激が届くんです。
走らない日も、手を使っていれば、カラダの機能はそうそう落ちません。
わたしは、そう信じています。
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ツメもみ
手の指のツメを、つまんで、モミモミ。
ひとつを10秒くらいづつ、くらいなら、いつでもどこでも、できます。
一発で世界がひっくり返るような変化、はみられません。
ほとんど、変わらないかも。
でも、何かのオリにくり返していると、何かが変わる。
なにしろ、東京駅から新幹線にのろう、とするのがツメもみです。
行く先は、全身。
このとき、一つだけ注意したいものがあります。
クスリ指だけは、別あつかいする、ということです。
のこりの4本のツメは、いろんなケイラクの路線のちがいはありますが、変化の共通点があります。
副交感神経を目覚めさせる。
つまり、カラダをゆったりさせる。
ゆったり、するヒマが少ないんです、現代人は。
だから、疲れている(ガンばりすぎ)、
アレルギー(過剰な反応)、
ねむれない(ムダな興奮)、
なんてのに効果があるかも。
クスリ指だけは、目覚めのスイッチ、交感神経へのエール。
朝、グズグズ、起きたくないときは、ここの刺激。
やる気がおきないときも、まずここをモミモミ。
マラソンレース後半のクタクタ状態。
ここでも、クスリ指への刺激が「気力」の復活劇にむすびつくか。
信じていれば、答えてくれるかも。
たかが手、たかが指、のお話でした。
されど、あなどるべからず。
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ケイラクの 出入りのかなめ 指の先
![](https://hikyaku-bashiri.com/wp-content/uploads/2019/05/P1030711-1024x768.jpg)
単純に、ツメの両側を、ちょっと強めにもむだけ。
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