瞳をとじて、いえ無理です

医学的にはどーなの?

 

瞳をとじて』という歌があります。
名曲です。
カラオケで、カッコよくうたえば、人気者になれるでしょう。

ところで、です。
瞳をとじる、ということは、医学的にはありません。
というのも、瞳というのは、どこをさすでしょうか。
目ん玉の中心部の、黒目のアナのことです。

このアナは、ひらいたり、ちぢんだり、はできます。

まぶしいとき、目の奥に入る光量を調整するために、瞳はちぢみます。
緊張しても、ちぢみます。
大切な試験の前とか。

逆に、リラックスすると、瞳は開きぎみになります。
開いちゃって、開いちゃって、開いちゃって。
最大限に開いて、光をあてても、ちぢまないとき。
心拍と呼吸もないのを確認して、ナムナムの宣言となります。

ということは、死は、人間の最大のリラックス状態、といえるのでしょうか。

ともあれ、瞳は、ちぢんだり、ひらいたりをくり返しています。
ですが、とじることはできません。
いえ、ありえません。

とじることができるのは「まぶた」です、笑。

 



 

瞳を通して

 

とじることのない瞳を通して、目の奥に入った光は、視覚情報となります。
見える景色のことです。

わたしたちは、たくさんの情報を、自身の感覚器官で得ています。
見る、嗅ぐ、聞く、味わう、触れる、等。

それぞれが固有の情報を得ますが、極端な不平等さがあります。

一般には、感覚器の情報のうち、視覚が80%ほどをしめている、といわれています。
見て得る情報が、大多数。
まさに、百聞は一見にしかず、その通りです。

わたしたちの得る情報の8割もが、目からの取り入れ。
まさに独占状態。
カラダを動かす必要性がへった現代では、あるいは、もっと視覚情報が増えているかもしれません。
スマホ、パソコン、テレビに、どんだけの時間を使っていますか。

 



 

ランニング時の視覚情報

 

そりゃ、スマホやテレビをみているときは、視覚情報が主役でしょう。
でも、走っているときの主役は、さすがに目ではないでしょう。

カラダが主役。
とくに、強い足腰が主役に決まっているでしょ。

たしかに、その通りです。
カラダが重い。
アシが痛くて、動かすのもままならない。
そんな状況では、走るに走れません。
こういう特別な事情は、ここでは置いておきます。
まずは、一般論で。

走るときの視覚情報はどのくらい必要なのか。
わたしの存在のように、もういらない、といってしまっていいのか(うーむ)。

まず、視覚情報がなくなってしまったら、どうなるでしょうか。
瞳をとじて、いえもとい、まぶたをとじて、走ってみましょう。
というか、走る前に、フツーに立っていられない。
ゆらゆら。

意を決して、歩き出そうとすると、まさかこわい。
はたして、走りだせるでしょうか。

何から何まで、動作がギクシャク
当たり前と思っていたいつもの動作が、まったくできません。
視覚情報、あなどるべからず。

 



 

瞳の相棒

 

長距離走は、効率的なカラダの使い方が大切といわれます。
できるだけ、ムダな力を使わない。
できるだけ、ムダな動きを加えない。
エネルギー効率を高める。
持ってる資源は、有限なのですから。

そのカラダの使い方には、視覚情報がとっても重要なのですね。
ところで、その情報を、どのようにして得ているでしょうか。
視覚情報のとり入れ方
けっこう、ランナーによって、個性がみられる気がします。

アゴをひいて、視線を落として足もとを見ながら走る。
車のヘッドライトが光を投げるくらいの感じで走る。
左右をキョロキョロ、ワイパーみたいな感じで走る。
上をむいて、ビームをあげた状態で走る。

走る路面状況によっても、視線のおき方は、かわります。
整備された、ジョギング用のまっすぐな道。
でこぼこ畑のあぜ道。
のぼり道。
くだりの道。

 



 

視線の意識

 

気持ちよく走れている時って、いいアタマの位置
そして、いい視線の向きにありませんか。

アタマが安定しないと、ちょっと疲れる。
視線が安定しないと、走りに集中できない。
つまり、視覚情報がゆらいでいると、安定しにくい。

走っていると、半分、無の境地にいるような気分を味わったことはありませんか。
そのときの、アタマの位置と、視線の向きはどうだったでしょうか。

たぶん、ランナーによって、ちがうのかもしれません。
走るスピードとか、求める走り方とかによっても。

のんびり派のわたしは、アタマはやや上むきがいいかも。
サカナは、あぶったイカでいいかも。
そして、視線は、けっこう遠いような。
田舎道で、足もとよくないのにね。
そんなとき、走りが気持ちよくなる。

安定した視線。
安定したアタマの位置。
安定した感覚。
それは、案外、安定した走り方とつながるような気がします。

視線の向きとアタマの位置を、ときどき意識してみる。
苦しくなったら、ギクシャクしたら、視線からなおしてみる。

視線は、けっこう、いろんなことを教えてくれませんか。
なにしろ、情報量が、ハンパでないのですから。

だから、瞳は、つねに開いているんです。
とじることは、ありません、って。

 



 

たーさん
瞳は開けて みている景色で 走りもかわる

 

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