持久走の季節
先日、近所を徘徊していると、小学校の持久走のお知らせが壁にはってありました。
某月某日、小学校の持久走をおこないます。
ついては、この道を小学生が走ります。
よろしくお願いします、云々。
ああ、そんな季節になったんだなあ。
持久走って、俳句の季語にははいっていないんでしょうか。
そういえば、秋も深まったころ、持久走をやりませんでしたか。
というより、やらされたクチですか。
ああ、持久走。
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いい思い出は、ありません
わたしにも、小学生時代、たしか持久走がありました。
中学生のときも、同じようなものがありました。
高校になると、マラソン大会と名前が変わったような。
ところが、もう、そのころからスレていました。
はなから走る気などなく、背中にはリュックを背負い、お菓子やジュースを入れてチンタラ。
いま思えば、まさにトレランスタイル。
おお、なんだか時代の先端をかざっていたみたい。
もちろん、順位は、とんでもなく最下位グループでした。
あのころから、変わっておらんわ。
で、はなしを持久走にもどします。
持久走、大っ嫌いでした(笑)。
なんで、あんな苦しい思いをせにゃいかんのか。
ハアハア、ゼエゼエ。
息絶え絶えというものを経験させたいがための苦行ですか。
根性をやしなわせよう、という魂胆ですか。
持久走にたいする思いといったら、それだけです。
それは持久走だけのはなしじゃなく、駆けること全般にいえました。
もちろん、運動会でリレーの選手に選ばれたこともありません。
ようするに、遅いのよ。
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同士がいっぱい
持久走は、好きでしたか。
そうたずねると、おおかたの返答は「キライだった」です。
もちろん、ふつうの方への質問です。
そういえば、ちびまるこチャンも、きらいでしたね。
ぼく自身、そうでしたから、その気持ちはよくわかります。
そして、キライの記憶は、走りを遠ざけます。
キライになったものは、おとなになってもキライ。
数学は、お好きでしたか?
でも、それはとってももったいないことだった、と今は思います。
持久走、もう少し、変えられないでしょうか。
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今のボクが、学校の先生になったら
まず、持久走の走り方を、はなし会います。
いろんな走りがあっていいよね。
ガンバって、ガマンして、力を出しきって、倒れるようにゴールする姿は、すばらしい。
でも、それだけが持久走じゃない気もするよ。
持久走というのはね、長い距離を走ってみよう、という試みなんだ。
長い距離を走るためには、どうしたらいいだろうか。
長い距離を走ろうとすると、息が苦しくなってきついよね。
だから、息が苦しくならなければ、もっと走っていられるかな。
どうしたら、息が苦しくならないだろうか。
そうか、息が苦しくならないスピードで走ってみたらどうだろうか。
たとえそれが、歩くみたいになっても、かまわないよ。
でも、そんなことしたら、人より遅くなるから、カッコ悪いって?
いいや、人と比べることが大事なんじゃないよ。
自分の苦しくない走り方を見つけるってことのほうが、すばらしくないかな。
なにしろ、自分でさがすんだよ。
ペースというのは、ひとりひとりがちがっていいんだから。
周りばかりを気にしちゃ、つまんなくないかな。
自分は、これなら大丈夫っていえるスピードを見つけることって、自分でしかできない貴重なことだよ。
自分を信じてみよう。
自分の思いをのせて、走ってみよう。
そしてゴールが見えたら、そのときは、全力疾走。
力をだしきって、ゴールにとびこんでみよう。
いいかい、競いあうことから、まずは離れてみよう。
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体育?スポーツ?
こんど、体育の日が、スポーツの日へと、名前を変えるんですか。
なるほどね。
スポーツ、というのは、競技、競争です。
タイムや順位をあらそう世界。
そして、前年の自分の記録との比較。
昨年より、1秒でも、1センチでも記録をのばせるような努力。
スポーツの持久走だったら、死ぬ気で走りきれ、なんてゲキをとばされるかな。
いっぽう、体育というのは、文字どおり、体を育てる。
カラダをはぐくんでゆこう、という科目です。
で、学校の体育の時間に、はぐくまれましたか?
はぐくむことを目標とした授業を受けましたか?
自分のペースをみつけて、昨年は1キロで力つきた走りが、今年は2キロを走れるカラダにしてゆく。
そういうのが、体育という目標ではないでしょうか。
(ちなみに、『飛脚走り』も同じ趣旨です)
なるほど、「体育」が消えてゆくわけです。
すいません。
あいかわらずの、賛同者のない個人的意見です。
でも、こんな走りに小さいころ出会っていたら。
走りは、もっと友だちとして、いてくれたかもしれません。
それも、一生の友だちとして。
だって、そういう走りは、とってもキモチいいもんだから。
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持久走 つらい思い出 つくらせまい
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