足ウラ先生

2本足ロボットの挑戦

 

小石ゴロゴロの、ナナめった山道。
ここを、2本足ロボットがのぼる、のは無理です。
地面の情報が、ありすぎるから。

いや、コンピューターは、今やAIの時代。
その気になれば、将棋や囲碁のプロにさえ勝てる時代です。
知識を結集すれば、不可能なんてない。

はい、百歩ゆずって、デコボコ面をのぼれる2本足ロボットができたとします。
次には、そのまま湯ぶねをまたいで、おフロに入れますか?
無理です。
和式トイレをまたいで、しゃがめますか?
無理です。

ひとから仕事をうばってゆく、と揶揄されるコンピューターも、無理なことはあるんですね。
まだまだ、むつかしい行為ってあるんです。

そんな高度な動き。
ひとは、幼少期から、ヒョイとやってのけています。
すごくないですか。

足は、天才的です。
どのようにしたら、そうなったのでしょうか。

走りを中心に、2つの考え方をあげてみます。

 



 

運動器的発想

 

足は、カラダを支え、動くためにある。
動きの中心をになっているのですから、「運動器」です。

運動器の主役は、筋肉です。
筋肉がガンバるからこそ生まれる、カレイな動き。

そのため、運動能力をあげるためには、筋肉のチューンナップからです。
筋肉が強くなれば、大きな力が得られるはずです。
これこそ、筋トレ的発想

ステキな筋肉で走っておられるランナーも多いです。
どこで、見分けるか。

力強さという印象。
飛び跳ねるようにすすむ走り。
大きな歩幅。
躍動感。
立派に絵になります。

 



 

感覚器的発想

 

カラダは、足ウラの感覚で立つ。
立つ姿勢を支える主役は、です。
骨が自然に立てるようにサポートする筋肉。
バランスがなにより優先。

感覚器的発想にたつと、こんな感じになります。

ここから歩きだし、走るにはどうしたらよいでしょうか。

立ち姿勢のバランスをくずすこと。
くずしたバランスで、感じる重力にカラダをのせること。
骨とバランスと重力に着目。

こんな感じでも、走れます。
どこで見分けるか。

力強さを感じない。
モモはそうそう上がらない。
小さな歩幅。
うーん、インパクトさはイマイチですね。



 

発想の転換

 

手も足も、運動器といわれています。

そうです。
ですが、本当に運動器なのか、という疑問をもちました。
運動器、としてだけの発想でいいのか。
運動器は、じつは「感覚器」として働いていないと、動けないのではないか。
ということで、感覚に集中してみます。

感覚器ですから、感覚の収集が仕事です。
とくに、どんな感覚を収集できるでしょうか。
中心は、触覚ですか。
さわって、感じる。
手と足に、目や耳はついていません。

それでは、触覚の中心はどこにあるでしょうか。
手のヒラ足のウラですね。
いちばん、いろんなものに触れる場所です。

手のヒラ、足のウラは、最新コンピューターもかなわない高度な感覚器です。
手のヒラで、いろんなものに触れてみてください。
足のウラの触覚を再認識してみませんか。

ひとは手のヒラ、足のウラからたくさんの情報をとりこんで生きています。

 



 

足ウラセンサーは足ウラ先生

 

野生動物の走りは、個性が少なく感じませんか。
区別がつきにくい。
集団でかけてゆくシマウマ、ゾウ、キリン、見事な集団行動です。
どこで走りを習ったんでしょうね。
体育の授業でしょうか。

一方で、人間界のマラソン大会。
走り方は、個性のあつまりです。
いろんな走り方を見ることができます。
いろんなペースを見ることができます。
個性を大切に、なんてことわらなくても、個性が全開です。
唯一、正式な体育の授業をならっているはずなんですけど。

このちがいは、どこから生まれたのでしょうか。

足ウラは、感覚器
足ウラは、センサーそのもの。

このセンサーをそのまま使うと、足ウラは、足ウラにあった動きを教えてくれるようです。
足ウラの感覚のまま歩き、走る野生動物。

人間だけが、クツの発明で、足ウラセンサーをしまいこみました。
大地さえも、平らにならして、情報を均一化しています。

センサーをしまうと、どうなるでしょうか。
アタマで考える動きの登場です。
こうに走りなさい。
このくらい、走りなさい。

その結果が、良くも悪くも、マラソン大会の光景につながっているように感じます。

さて、足ウラセンサー、どのくらい使っていますか?
(つづく)

 



 

たーさん
足ウラが 教えてくれる 走り方

 

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