動くためにあらず
手を「運動器」としてだけ、みるのは片手落ちです。
片手落ちっていうくらいですから、半分しかみていないということです。
もちろん、足も同じです。
運動器、としてみたくはありません。
というのが、わたくしの、中高年の主張。
ただし、相変わらず、賛同者はございません。
孤独に、こっそりしゃべっています。
カラダは、いろんな臓器が、機能を分担しあって成りたっています。
ただし、分担の部署名が、イマイチ合点がゆきません。
たとえば、心臓は循環器に所属していますが、循環だけの臓器じゃありません。
肺は呼吸器に所属していますが、呼吸だけの臓器じゃありません。
手足は、運動器なんだけど、運動器だけじゃない、というのと同じ理屈です。
はい、何をいっているのか、意味不明です。
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心臓は、自動で動かない
いまここで、「心拍数を半分にへらしてみる」という芸はできません。
自分の意識で、脈拍数をクルクル変えられるものではありません。
心臓は、カラダの中で、自動的に動いているからです。
意識しなくても動いてくれるので、お酒を飲みすぎて意識を失っても、ねむっていても、安心です。
これを、心臓の「自動能」と表現されることがあります。
自動能をつかさどる神経が、自律神経。
その大本営は、脳の中にあります。
そういうものですから、脳はエライ、といわれています。
という、説明でよろしいでしょうか。
これだと、脳は暴走しちゃうかもしれません。
暴走をはじめると、手がつけられなくなりますよ。
だって、脳は何をみて心臓を支配しようというのでしょうか。
このままだと、現場を見ようとしなかった、かつての大本営と同じです。
大本営の暴走で、散々な目にあったじゃないですか。
心臓に働き方の信号を送っているのは、カラダです。
心臓は、カラダの声を聴きたがっています。
脳ミソは、その中継点でしかありません。
心臓が目を向けているのは、脳ミソではなくて、カラダです。
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小さな実験
さあ、今から50メートルダッシュをしてみましょう。
周りの目は気にせず、メイッパイかけてみます。
それだけ。
心臓は、どうなりますか。
ハアハア、ゼイゼイ。
脈拍数がはかれるなら、はかってみましょう。
走る前の2倍くらいに上がっていませんか。
これは、心臓がカラダの声を聴いて答えた結果です。
それとも、やはり脳ミソの指令だ、と思いますか。
わたしは、カラダの声を聴いたから、と思っています。
そうすると、心臓は循環器という「ポンプ」だけの臓器じゃありません。
カラダの声を聴く「感覚器」でもあるんです。
そうです、心臓は「循環器」プラス「感覚器」です。
肺も、胃腸も、腎臓も、自動能といわれるどの臓器も「感覚器」をもっています。
そして、カラダの声に応えるように働いています。
ですから、感覚機能が低下したためにおこる臓器不全もしばしばあります。
さて、より自由度の高い手足はどうでしょうか。
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自由さは、感覚が命
ひとの手は、じつにたくさんの働きができます。
およそ、何でもできます。
それは、たくさんの骨が、ゼツミョーに配置されているから。
というのは、一面の解釈でしかありません。
これだけで、多彩な動きはできません。
手は、カラダの中で、とってもビンカンなところだから、いろんな刺激に反応ができる、というのがわたしの考えです。
つまり、手は、運動器以上に「感覚器」なんです。
こまやかな感覚器だから、米つぶも、1枚の紙も、ソフトボールも、おハシも、ヒヨコも、同じ手で持つことができる。
こまやかな感覚器だから、触れたり、投げたり、はさんだり、かきまわしたり、が同じ手でできる。
ですから、糖尿病や神経障害で、手の「感覚器」機能が低下してしまうと、手が手でなくなってしまうことがあります。
何で、ハシが持てないの?
何で、服が着られないの?
筋肉は、あるじゃん。
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感覚がはぐくむ再生
長く寝こんでいて、手もずっと使っていない。
そんな方が、いらっしゃいます。
工夫の結果、なんとか座ることができるようになりました。
でも、何も持てない。
手が動かない。
ゴハンが食べられない。
こんなとき、じゃあ早速筋トレを、なんてきばっても、まずうまくゆきません。
そもそも、手にはたいした筋肉はありません、わたしたちも。
もとから、手にはそんな筋力ないんです。
手の感覚を思いだしてもらう。
ものをさわる触感。
いろんな大きさ、形、手ざわり、重さのものを手で感じてもらう。
あつい、つめたいを感じてもらう。
すると、少しずつ手がなつかしがって動きはじめる。
そうか、手は「感覚」を欲しがっていたんだ。
感覚が、手を再生しはじめる。
手には、たくさんの骨をあつめて、複雑な構造をつくっています。
それは、繊細で複雑な感覚を感じとるために、だったのです。
というのが、わたしの見解。
手の感覚のありがたさ、感じていましたか?
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手と足を 動かす力だ 感覚機能
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