体幹のショーゲキ
体幹。
タイカン。
このコトバを知ったのは、いつですか?
わたしは、かなりのオクテです。
少なくとも、人生の前半生では、見たことも聞いたこともありませんでした。
ちなみに、手元にある新明解国語辞典(第3版)にも、のっていません。
新しいのには、のっているのかな。
いくつかの解剖学の教科書(1万円以上する、ブ厚いもの)にも、調べたかぎりではみつかりませんでした。
ところが、ウンドー界においては、体幹を知らないものはモグリとでも言わんばかりにジョーシキ化されています。
特に顕著なのがランニング界でしょうか。
そう、ランナーの間では、知名度バツグンの存在です。
今や、チョー売れっ子です。
ひとつの立役者は、箱根駅伝でしょうか。
優勝をねらう競合チームは、こぞって「体幹クンレン」を口にしています。
体幹クンレンの結果、常勝チームになれる。
体幹クンレンに乗りおくれる、イコール成績下降。
なんだか、すごそうですね、体幹というのは。
田舎の流行にのれない枯れたランナー(わたしのこと)ですが、ようやく体幹に着目してみました。
体幹は、どこにある?
どこを体幹とよぶのでしょうか?
定義があるはずです。
いくつか調べてみました。
体幹の中心には、椎体、つまり背骨があるのは確かなようです。
そして、その椎体を囲む、というか支える筋肉群たちとの総称でしょうか。
背中側、オナカ側、骨盤内にいたる、ガッツリとした筋肉たちです。
でました、筋肉の名称。
解剖学の授業を思い出します。
わたしの学生時代は、解剖学用語はラテン語で覚えさせられました。
ラテン語です、おかげで、今はサッパリ出てきません。
むつかしい。
なかなかアタマに入ってきません。
イメージつくりもむつかしい。
背骨にからんでいるのかな、くらいの理解力。
能力の限界。
そして、ここをキタエルのか。
そうしたら、走りがはやくなるのか。
うーむ、前途多難です。
体幹、道遠し
わたくし、いつもは、ひとりで走っています。
トレーナーの知り合いは、おりません。
いわんや、体幹トレーニングまかせておけ的なイケイケトレーナーの方は、どこで会えるのでしょうか。
いえ、それ以前に、もっと根源的なことに気がつきました。
もしも体幹トレーニングを指導してくださるトレーナーに出会い、手ほどきをいただけたら、マジメに取りくむか、です。
しません。
いえ、こうも簡単に断言しちゃうと、人間性がうたがわれてしまいますね。
つづきません。
わたしの人生の軌跡をふりかえってみたとき、非常に圧倒的な確信をもって断言できます。
そう、わたくし、クンレンがつづいたためしがありません。
えらそうに言うことではありませんし、開きなおっているわけでもありませんが、事実です。
たんに自分の根性のなさ、です。
そこで、現時点での立ち位置です。
体幹はどこにあるのか、わたしにはよくわからない。
体幹トレーニング法を知っても、つづけられない。
よって、体幹クンレンからは、清き撤退宣言です、ニャン。
江戸時代は、どーしていたの?
はい、江戸時代には「体幹」というコトバも概念もありませんでした。
だって、昭和のわたしも、知らなかったんですから。
知らなくても、江戸の飛脚は走っていました。
それでは、体幹のかわりになるものがあったのでしょうか?
と、考えてピンときました。
飛脚棒をかついて走ってみると、わかります。
それは、「ドー体」の安定性ということです。
ドー体がクネクネしていない。
いつも、スッキリ立っている。
作業をつづけるときの基本です。
走るときも、草をむしるときも、パソコンうつときも、裁縫するときも、物をはこぶときも、フルートを吹くときも。
そして座っているときも、基本は同じ。
横になっているときも。
ラマーズ法は、呼吸の仕方が注目されますが、ドー体への意識のもってゆき方がけっこう重要です(ボクは出産経験はありませんが)。
ドー体がすっきり整っていることが「自然体」ではないでしょうか。
それが2本足生活を選択した人間の結論です。
すっきりしなくなるから、不自然になる。
不自然は、不効率。
不自然は、疲れやすい。
だから、長つづきできない。
江戸時代の国民服、キモノはドー体をスッキリ包む衣装です。
ドー体が不安定になると腰も痛くなる。
腰を痛めたり、長つづきできないのは、根性の問題じゃなくて、姿勢の意識にあったのかもしれません。
すっきり自然体のカナメ
すっきり立つには、どこに着目したらよいでしょうか。
体幹でしょうか。
ですけど、わたくし、体幹をイメージできません。
撤退しています。
壁にカカト、オシリ、背中、頭をつけて立つことでしょうか。
ですけど、わたしにはキュークツです。
自然体とは、よべません。
そうしたら、他にないものでしょうか。
あるじゃありませんか。
オナカ、でいいんです。
オナカの緊張。
オナカがすっきりと緊張を保っていれば、ドー体が、そしてカラダ全体がスッキリ自然体に感じませんか。
そしてオナカの意識は、かんたんにもてます。
オナカちょっとふくらませておく呼吸、腹出し呼吸をしてみるだけでも一発です。
つまり、クンレン不要。
意識をもつかどうか、だけです。
体幹というコトバを使っていなかった古人は、オナカを大事にしていました。
オナカの着目していました。
それが「キモ」です。
それが「丹田」です。
ここに意識を向けてみる。
ここを大切にしてみる。
カラダが、変わってきませんか。
走りが、変わってきませんか。
自分流 オナカの意識 カラダ変え
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