今、どこにいるの?
着目すべき、行動の3要素があります。
(1)スタート地点
(2)ゴール
(3)手順、道順
どれも大切ですが、とくに「今いる場所」である「スタート地点」をもっともっと大切にしませんか、と提唱させていただいています。
今を大事にする、ということです。
たとえば、故障して病院へゆくと、さまざまな行程がまってます。
どうしたんですか、どこが痛いんですか、といったイキサツを問われる問診。
痛いところはここですか、こうするとどう変化しますか、と実際にさわられる診察。
ときに血液検査で血をぬかれます。
レントゲンやMRIなどの画像検査が加わることもあります。
これらすべてに「共通」するものは、何でしょうか?
「今どこにいる」という「スタート地点」を確認するための情報集めということです。
すべては、「今どうなってんの?」という現状を把握するための行為です。
「今」いる場所がわからなければ、「目的地」へいたる道順もたてられません。
逆に「今」がしっかりわかれば、先の見通しが立ってくる。
カラダからの「今」の声
故障や、故障にいたらないまでもカラダに何らかの変化がおきますと、カラダはいろんな声を出してきます。
「痛いよ」
「疲れたよ」
「だるいよ」
「しびれるよ」
その声を、状況ごとにまとめてみます。
おき上がるときの声。
立ち上がるときの声。
歩くときの声。
小走りしたときの声(小走りできたら)。
おフロに入ったときの声。
さすったときの声。
たとえば、走って生じた故障のあと、小走りくらいは可能でしょうか。
可能なら、無理のない範囲で、いろんな状況を整理してみます。
こういう走り方だと、痛くて走れない。
こういう走り方なら、痛いなりに少しは走れる。
こう走ってみると、案外、痛みを感じなく走れる。
こう走ってみると、ほとんど痛みを感じない。
走り型、スピード、姿勢、いろんな状況でのカラダからの声に耳をかたむけてみます。
カラダからの声がつくる走り型
走ることを例にとっても、走り型、スピード、姿勢、いろんな状況下でのカラダからの声がありました。
いろいろ、です。
で、最終的に、これらを「2つ」にまとめちゃいましょう。
「つらい」走り型。
「つらくない」走り型。
痛くなったり、苦しくなったり、キツく感じたり、これらをひっくるめて「つらい走り型」とします。
一方、これなら今の状態でも走れるよ、そんなに苦痛じゃない大丈夫、というのをひっくるめて「つらくない走り型」としてみます。「楽」な走り型、といってもいいでしょう。
どちらも、自分の感覚ですので、他人にはわかりません。
他人にはわかりませんが、自分のことですから、きく耳さえもっていれば、だれよりもよくわかるはずです。
そして「つらくない」走り型を選んでゆく。
つらくないなら、走れるはず。
楽な道を選ぶ生き方でいいんでしょうか?
当ブログでは、「きびしいイバラの道」と「楽な道」の分岐点にさしかかったら、まよわず「楽な道」を選んで進みます。
わたしの、実際の行き方と重なります(笑)。
とだけ言ってると、さまざまな誤解を受けます。
まあ、もういいんですけど。
言い訳じみてきますが、「楽な道」を選ぶには、ひとつの道理があります。
楽な道を選んでゆくと、案外、モノゴトがうまくいくんです。
ああ、また誤解の上塗りになりそうですね。
あまり弁解しても仕方ありませんが、「楽」の意味をとりちがえないでください、とだけ申しのべさせていただきます。
たとえば、ランニング。
走るか、走らないか、を選べば、走らない方が楽でしょ。
冬の暗いうちから外に出て走りはじめるかどうか、を選べば、走らない方が楽でしょ。
世の中の常識的な判断は、そうかもしれません。
でも、本当でしょうか。
走らなくなる。
寒い朝は、いつまでもフトンの中で、ヌクヌク丸まっている。
これらは、今のわたしには、楽とは感じません。
かえってカラダは、だるく、重く感じるようになることでしょう。
早起きしないのは、なんとなく1日がウダウダと始まってしまいそうな気がします。
氷点下の寒風の中へ、ドリャーととび出しては、駆け出すほうが、どんだけ楽しく、カラダが軽くなって、1日がのびてゆくことか。
経験者の方には、わかっていただけるかもしれない酔狂の世界。
「楽」の判定は、一律ではないんです。
あくまで、自分にとっての「楽」です。
カラダに正直に
「キツイ」走り型と、「楽」な走り型を区別できるようになってきたら、楽な方をえらぶ。
そうすることで、走り型は、少しずつ変化をみせてきます。
変化に、意識をむけてみる。
すると、変わってくるものに気づきませんか?
足の運び方
姿勢
走る距離
走る回数
走る時間
ペース
ことは、走りだけにとどまりません。
ねる時間、おきる時間
食べるもの
おつきあい
カラダにききながら、変わってゆくものを意識してみる。
わたしは、ビールが好きですが、飲みすぎると翌日の走りがつまらなくなる、つまり楽じゃなくなるのがわかるようになった結果、ふだんは350ml1本以上は欲しくなくなりました。
楽なほうを選んだ結果です。
こういう変化は、他人の指導では得がたいものでしょう。
自分が、自分のカラダに、そして自分のココロに問いかけて、かえってくる答えに耳を傾けてわかることです。
自分のカラダやココロが望むように、走りをかえてゆく。
それが、とりもなおさず、「自分の身の丈にあった走り」につながってゆくように思います。
だれのものでもない、自分の走り型。
走るとき くらいは自分に 正直に
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