特別な花サクラ
桜は、特別な思いをいだかせます。
いろんな木に、それぞれの花が咲きます。
そのとき、どう思うでしょうか。
「ああ、今年も咲いてきたなあ」
「おや、今年もそんな季節になってきたんだなあ」
それとも、しばしば気にもとめずに、ヤリすごす。
ところが、桜の花だけは、そういう感情じゃありません。
「今年も見られたなあ」
咲いた、咲かないじゃありません。
つい、桜の花に、自分の人生を重ねてしまうんですね。
人生、何がおこるかわかりません。
明日のことさえ、考えられないような世の中です。
まして、1年先のことなんて。
でも今年は、こうに見ることができた。
また1年をすごせてきた。
そんなセンチメンタルな気持ちにさせるのが桜の花です。
そんな歳になったから、なのかもしれませんが。
桜の花を愛でられるようになって、人生が360度かわりました。
って、もとにもどっただけですか。
そして、今年も、不謹慎ながら桜にひかれてランニング。
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スタートして、最初に出会うサクラ。青空も、ちょっぴり。
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見上げるサクラも、いいもんです。
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静かです。
あらえためて思う
年年歳歳 花相似(ねんねんさいさい はなあいにたり)
歳歳年年 人不同(さいさいねんねん ひとおなじからず)
劉希夷(りゅうきい)さんの漢詩が、桜の花には似合います。
去年も、今年も、花は同じように咲いている。
ところが人間は、そんなわけにはゆかない。
今年も、桜は咲きました。
去年と同じで、見事です。
しかし新型コロナウイルス渦にあえぐ世界。
人だけは、ガラリと状況がかわってしまいました。
花をめでる余裕はありません。
というより、人の集まることをしちゃあ、いけません。
桜の下で、ゴザを広げて楽しむなんて、もってのほか。
都会の花、各地の桜の名所は、がらんとなっています。
来ちゃ、いけません。
入っちゃ、いけません。
ひとが、おおきく変わった年。
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サクラは、変わりはありませんが。
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畑の中の、しだれ桜もいつもどおりです。
1本の道
ことが起こると、新しい1本の道がつくられるのが人間のなりわい。
いま作られている、コロナウイルス対策の道。
感染対策の基本は、シンプルです。
自分が、かからない工夫をしてゆく。
自分が、うつさない工夫をしてゆく。
無知の自覚をもって、知ろうとする。
ただし、大きなシフトチェンジの時期かもしれません。
かかった場合の養生法を、しっかり共有してゆく。
ウイルス感染症の基本は、養生ですから。
抗ウイルス薬なんかを1番に上げるもんじゃありません。
「カゼの特効薬を見つけたらノーベル賞」
その発言は、いまも生きてますから。
不要不急の外出は避ける。
なぜなら、このウイルスは、人と人との接触で伝わるからですね。
同じ空間を共有することでうつる。
会話を介して。
ウイルスがついたノブやテーブルなどのモノを介して。
ポツンと1軒屋でくらす人は、畑にでてもうつりません。
風に乗って、ウイルスがどこからともなく舞いおりることはありませんから。
その昔、インフルエンザは、空から舞いおりてくると信じられていますた。
「舞いおりる」=「インフルエンス」というコトバが示しています。
ですから、人のいる所と、いない所では、行動の意味はちがってきます。
ところが、1本の道ができると、そんな道理はかき消されてしまうことがあります。
道から、はみ出ちゃダメ。
医療の道も、ガイドラインとかエビデンスとかいう1本の道。
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ボケの花との共演も、あでやかさが増します。
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菜の花との共演も、あでやかです。
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ツクシといっしょもいいもんです。つまり、誰とも相性がいい。
むつかしい
強力な1本の道が示される。
ここから、はみ出ちゃダメ。
とどまらずに、セッセと進みなさい。
人は、権力者は、そういう道を作るのが好きだから。
いえ、ここで道の良し悪しを論じるつもりはありません。
ただ、これまで作られてきたたくさんの道。
何万本も、何十万本もの道。
制度とか憲法というのも、ひとつの道。
鬼畜米英、竹ヤリで撃退せよ、もひとつの道。
作られた道は、しかし多くは、時間の流れの中で、変わってゆきます。
人通りがはげしすぎて、こわれてゆく道。
逆に、だれも通らなくなって、こけむしてゆく道。
立派な道も、月日とともに、ひび割れは生じてきます。
突然の災害で、崩れおちてしまう道もあります。
大切なのは、ふり返って見ること。
どんな道だっただろう。
思わぬ展望に、驚嘆することもあります。
迷い込んで、出られなくなることもあります。
しまった、と声をあげることもあります。
新型コロナの道、まだ振り返る余裕はありませんか。
進め、進め、の一方。
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サクラは今年も何もいわずに、咲いているだけ。
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ラン途中に、人とは会いませんが、六地蔵さんが待っていてくれます。
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山の中腹までのぼって出会える1本桜。絵になっています。
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やがて桜だけじゃなく、遠景もいっしょに楽しめる山の中腹コース。
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花吹雪が、少しだけ舞って来ました。
せめて、ひと息
作られた道を進むのは、安心感がもてます。
歩きやすい。
避難もされません。
でも、ときには立ち止まってみる。
脇見だって、いいじゃないですか。
あっちの草地まで、出てみちゃいけませんか。
そして、ふり返ってみる。
「これが正しい」
と割り切れない世界で生きていると、性格も変わってしまいますね。
でも、決めつける、押しつける、美化する、ことからは距離をおきたい。
つい桜にさそわれて、フラフラと今年も追っかけしちゃいました。
曇天でしたが、見事な桜でした。
田舎ゆえ、出会うひと、話すひともなく。
ああ、この桜を見てみよう。
おお、あそこの桜も見事じゃないか。
桜にひかれて、めぐりめぐって、26キロラン。
4時間ほど、かかってしまいました。
うーん、自己弁護でおわりです。
勝手な行動、スミマセんでした。
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最後は、サクラのトンネル、ちょっと腰をかがめて。
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やがて、水面にもサクラが舞いおりてゆくでしょう。
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ゴールは、自宅敷地内のサクラ。父親のかたみ。
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今日だけは 桜サクラ またサクラ
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