先はどうなる?
これからの日本は、どうなってゆくんだろうか。
という話題が、一部で話題にはなっています。
『未来の年表』河合雅司著、講談社現代新書
という本も、ベストセラーになっています。
それによりますと、
2020年には、女性の2人に1人は50歳以上になるそうです。
もう、そうなんですね。
2024年には、3人に1人は65歳以上が占めるようになるそうです。
65歳で、定年している時代じゃないかも。
2026年には、認知症患者が700万人規模になる予想です。
すでに、ボクなど、ここにカウントされているのかなあ。
2030年には、年間死者数は160万人を突破するそうです。
ちなみに、いまは100万人前後。
2033年には、住宅の3戸に1戸が空き家になるとか。
すでに、増えていますよ。
うーん、どのページをひらいても、サミしくなる内容が並んでいます。
明るい話題は、ないのか。
いったい、日本はどうになってしまうのでしょうか。
未来はあるのでしょうか。
つい悲観してしまいます。
どうしてなんでしょうか。
ドンドコ進め思想
今の世を引っぱっている思想は「ドンドコ進め思想」です。
聞いたことはありませんか。
わたしが、いっているだけです。
たとえば、ある事業を起こそうとします。
なんとか、スタートラインにのせることができた。
そして、順調に業績を上げてゆく。
ならば、次のステップをどうしようか。
規模を拡大してゆこう。
大手企業は、こうにしておおきくなってゆきました。
最初の事務所はガレージから、やがて世界へ、なんて例もありますね。
とくに情報化は、これを後押しします。
うまく利用できれば、だれでも、世界戦略が可能な時代なんです。
たとえば、食品業界。
たとえば、アパレル業界。
たとえば、工業製品。
ひとつのヒットが、世界を変えてゆくことも可能です。
ただし、いつの時代も、みながコレを目指したわけではありません。
とくに、ひと昔前までは。
足場固め思想
ほんの数十年まえまでの話。
事業も、拡大路線にのろう、というひとは多くはありませんでした。
自分の「ワザ」にみがきをかけよう。
中身の充実に、精魂をこめてすすもう。
ていねいな仕事ぶりに、こだわる。
自分の目のとどく範囲で、がんばる。
「ドンドコ進む」思想ではありません。
いうなれば「足場固め」といっていい思想。
いま、次々に姿を消そうとしている街場の小さなお店が、この生き方で代々つづいていました。
たとえば、小さな食べ物屋さん。
その味を知るひとは、なくなることを、惜しみます。
でも、その味を知るひとは少ない。
小さな話題にはなりますが、ひっそりと閉店をむかえる。
たとえば、小さな町工場。
そのワザを知るひとは、なくてはならないといいます。
でも、そのワザを利用するひと自身も、老いてゆく。
時代の流れには、さからえないか。
ひとつの技術が、そっと消えてゆく。
たとえば、小さな商店。
なにかと便宜もはかってもらえて、昔からあたりまえにある。
でも、若いひとは、いつしか大きなスーパーへ。
だんだん、経営も成り立たなくなってゆく。
未来悲観論のワナ
この先に、明るい話題はなくなってゆくよ。
日本も、いよいよ滅亡に向かいはじめた。
これから、とんでもない世の中がくるから。
こういった悲観論の根底にあるのは何でしょうか。
そう「ドンドコ進め思想」じゃないでしょうか。
生きのびるためには、規模拡大をつづけねばならない。
進化を止めたら、つぶれてゆく。
必ずでてくる、前年度比較。
トップシェアを死守せよ。
こんな世の中をつづけようとしたら、そりゃ悲観論も出てくるでしょう。
だって、つねに全力疾走をせよ、といわれているようなものです。
でも、じっさいに人口は減ってきているんです。
死亡者数も、ふえています。
出生者数は、へってきています。
高齢者が、めだつ世の中です。
ま、わたしも、その一人なんですが。
「ブラック」というコトバは、「ドンドコ進め思想」と連動しているように思います。
足場を見る
規模を拡大してゆくのも、悪くはありません。
国民総生産を、増やしつづける。
外国人観光客を、増やしつづける。
公共工事を、どんどん発注する。
大型事業やハコモノを、いっぱい造る。
そういう発想が可能な時代も、あったということです。
でも、今の日本に必要でしょうか。
いつまで、ピントのずれた発想をもちつづけるのでしょうか。
このズレが、若い世代を圧迫しています。
世間オンチな、このわたしにさえ、立ちゆかなくなっているのがわかります。
幸い、わが国には「ドンドコ進め思想」以前に「足場固め思想」という歴史がありました。
まず、足もとをみてみる。
人が減るなら、減った生き方へ。
若者が少なくなるなら、少なくなるような制度へ。
高齢者が増えるのなら、ふえても暮らせる社会へ。
国家予算は増やす一方で、その後の責任をだれがとる。
だれも、とろうとしません。
そんなシフトチェンジが、なぜできない。
いまの生き方を考えてみる。
そして、この発想は、じつは「自分の走り」にもソノママ当てはまるような気がしています。
自分の、足もとをしっかりみてみる。
(つづく)
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