壮年期の生き方、走り方

ビバ壮年期

 

壮年期世代の、心身の特徴は何だとおもいますか。

人生の最盛期
原則論から、はじめます。
生き方の「ワク」ができあがった世代です。

心身ともに、しっかりとした「ワク」がある。
ワクというのは、いうなれば整備された道のようです。
その中を、自由にゆくことができる。
しかも自動運転でゆくこともできる。
なので、きのうと同じ今日がきてくれます。

ということは、とりたてて自分のことに気をくばる必要は、ありません。
なにしろ、安定した心身があるんですから。

なぜ、神さまは、そういう期間をつくってくれたのでしょうか。
人間は、ひとりでは生きてゆけません。
ずっとずっとひとりだと、やがて滅亡ですし。

そのため、家庭をもったり、子どももあるでしょう。
ヒトのつくる社会の中での役目もでてきます。
そんな場合は、自分のことだけ見ていたのでは、すまされません。

むしろ、にむける役目が多くなります。
でも、外にむけていても大丈夫ですよ。
自分のことが疎かになっても大丈夫ですよ。
だって、安定した心身を約束してあげるから。

そういう時代が、壮年期です。

 



 

壮年期の走り

 

走りについても、人生の中で、安定感の時期です。
これは、生き方と同じです。

走りについても、心身のワクができています。
そのワクに、落としこんでゆけばいいだけです。

習得するのに、じつに適した時期です。
何でも、はやければはやいほどいい、というわけではありません。

さらにガンばれば、ガンばっただけの結果もついてきます。
ゆくべき道は、もう整備されているんですから。
もちろん、無限大というわけにはゆきませんが。
ワクの中で。

指導者側からみても、指導しやすい。
そのヒトのワクに着目できればですが。

カラダつきのワク。
思考のワク。
くらし方のワク、とか。
そうです、ワクといっても、多少の個人差がありますから。
ここに目をくばっておけば、ポイントをはずすことはない。



 

しかし、の現実

 

ところが、現代は、そうもいってられなくなりました。
ワク」がつくれない、よめない。
年齢は、壮年世代に入っているはずなのに。

なぜでしょうか?

ワクをかたちつくる基礎は、成長期から始まっています。
自由に枝をのばしながらも、だんだんと中心となる幹ができあがってゆきます。
そこを少しずつまとめる「モノ」があります。
つまりは、ワクをつくってゆくもの。
それを「教育」といいます。

それが、教育の目的ではないでしょうか。
生き方の道をつくってゆく行為。

では、さらに教育を具体的に考えてみます。

わたくしは、教育の柱を、以下の3つあげたいと思います。
先人がうち立ててくれた知恵であり、資産です。

知育
徳育
体育

知育とは、文字通りの「知」を育てることです。
徳育とは、ヒトの痛みがわかることです。
体育は、おのれのカラダを育ててゆくことです。
規則のなかで競い合うスポーツとは、別モノです。

この3本柱が、壮年としてのワク作りに影響してゆきます。
みっつをまとめて「3育」。
ところが、この3本柱があやうくなっています。

知育:ゆとりの延長?
徳育:ほとんど放棄?
体育:スポーツ派と、何もしない派にわかれています。

ですから、ちゃんとした「ワク」ができない。
ですから、成人式といいながら、会場は遊園地なんていう滑稽もおこるわけです。
ありゃ、どうみたって七五三です。

 



 

カタなき壮年期を、どう生きるか

 

しっかりカラダをつかう毎日。
豊かではなくても、地元でとれる食材の食事。
生活への使命。

ひと時代までだったら、あたり前にあったくらし。
このような生活ならば、壮年世代はまぎれもない社会の中心です。
そして家庭の主役。

でも、これらが現代にも通用しますか。
ワクなき現代。

というと、反論もされます。
ワクなんて、逆に不自由じゃないか。
むしろ、ノビノビするさまたげになるよ。

いいえ、ワクは安全装置でもあります。
生きていれば、どうしても心身のブレが生じます。
それを自動的に補正してくれるのが、ワクです。

おいしいものをいただくのは、至福です。
食べようと思えば、いくらでも食べられる。
でもその結果、動くのがきついと感じられれば、食べる量もわかってきます。
つまり、まっとうに動く生活があれば。

野生動物は、このワクにはまっています。
メタボのライオンは、野生には存在しません。

現実に、ワクにはまれずに、生き方のバランスをくずす方が増えているようです。
その結果、心身の不調がおそってくる。

老老介護というコトバがあります。
老いた介護者を、老いたヒトが介護する。

ところが、老いた親が、子供の介護をする場面がふえています。
あるいは、いつまでも面倒をみる。
ワクのあった親世代と、ワクの見えなくなった子世代。
ものには、順序っていうものがあるはずですけど。

 



 

ワクをたのしむ

 

ワクといっても、キュークツな存在ではありません。
その中で、安全が保証されているです。

野球のはなしです。
イチロー選手や野茂投手は、自分のワクを大切にしていたと思います。
アメリカ大リーグに入れば、まわりは巨人ばかり。
だからといって、そこに負けまいというカラダ作りはしていません。
自分のワクを自覚し、守る。

一方で、ドンドンとカラダを大きくしてしまったらどうなるでしょうか。
バランスを欠いて、無理が生じてしまうでしょう。

といわれても、まだ自分のワクがよくわからない。
ならば、自分との対話を深めてみたらどうでしょうか。
それができるのも、壮年期の強みです。
子どもには、まだむつかしいからです。

そして、もっともっと自分の外に目をむけていただきたいです。
いまの世界、年よりがデシゃばり過ぎです。
ヘンなヒトが、イバリすぎです。

壮年期よ、ガンバレ。

 



 

たーさん
壮年期 特権を生かして 自動運転

 

↓ よろしければ、清き1票をお願いします(1日ワンクリック有効)
にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへ