内地の歩き方、吉戸三貴著。くじけるな!

文化の壁

 

わたしは、ウチナーンチュ(沖縄のひと)の人となりが好きです。
みな同じ、ではありませんが、おっとりと癒されます。
ひとの良さが、はしばしに出ています。

県民性、といったら、いいすぎでしょうか。

ところで、このウチナーンチュが大学生となって、あるいは就職して、県外に出てゆく。
沖縄でいうところの、内地(県外)での住環境の変化です。
すると、どうなるでしょうか。

いままでは、約束の時間は、ナアナアでもよかった。
いままでは、だれにでも、お気軽に会話ができた。
いままでは、ゆっくり歩いていても、何事もなかった。
いままでは、夜は好きなだけさわいでも、こまることはなかった。

ところが、内地、たとえば東京でくらしはじめたとします。
ここは、同じ国なのか。
ひとも環境も、異文化の中に放りこまれたようなショック。

のみ会でも、遅れるのはモッテのほか。
気心が通じないひとに、いろいろたずねたら失礼。
用事は、サッサとすます。
夜も、キチンと時間を区切って行動せよ。

はああ、こんな世界があったんだ。

 



 

とまどいに、耐えられますか

 

いままでの自分の価値観が、通用しない。
常識だと思っていたことが、すべからく裏目にでてしまう。
次々と繰り返されるギャップ
どうしたら、いいの?
ああ、沖縄に帰りたい。

これをホームシックとよぶには、底が浅すぎます。

この本は、沖縄の書店で出会いました。
沖縄の本屋さんには、ど迫力の沖縄本が満載です。

正式には、題名はもう少し長くなります。
『内地の歩き方 沖縄から県外に行くあなたが知っておきたい23のこと』
吉戸三貴 著 ボーダーインク
沖縄の出版社です。

この本の著者は、東京での就職1年目にして、この壁にぶつかります。
そして東京から、生まれ育った沖縄に、逃げるように帰ってゆきます。

そして、考える。
何が、自分をそうさせた。

筆者は、そこでとじこもりません。
つぎは沖縄から、パリへと学びに旅たちます。
ふたたびの、新しい異文化への接触。
そして帰国後は、美ら海水族館の広報に勤務することになります。

やがて、異文化コミュニケーションの世界にも羽ばたいてゆく。
ふたたび東京にも進出し、現在はコミュニケーション関係の仕事をはじめています。

そういう中で、生まれたのが、この本です。

 



 

異文化との付き合い方

 

内地に出ても『なんくるないさー、はないからね。
そんなこと思っていたら、痛い目にあうよ』
沖縄を出るときの、おばぁの忠告。

覚悟が必要。

県外でくらすのなら、海外旅行に行くくらいの感覚で、しっかり情報収集をせよ。
電車は、24時間走っていない。
タクシーも、代行も、高い。

電車で寝てしまうと、どこまでもいってしまうぞ。
なにしろ、内地は、県境があるほど広いのだから。

うちなータイムで、ノロノロするな。

内地は、律し会う文化だから、空気をよむ努力をおしむな。
お互いさまはない。

カサを忘れるな。
(ウチナーンチュは、雨傘をさす習慣がない)
自分の問題じゃなく、相手がとまどうだろ!

着る服に意識をむけろ。
まわりのひとの服装で、季節の変化にあわせろ。

 



 

内地的発想

 

お気軽に、笑いながら読める本です。
ウチナーンチュ向けの、実に的をえたアドバイスです。

で、終わってしまうと、とってももったいない本です。
勝手に、深読みさせていただきます。

内地の人間、とくに職場の上司にあたる人間が、こんなウチナーンチュを部下にもったら、どう思うでしょうか。

ジョーシキがない。
会話が、スムースにすすまない。
向上心が、ないような気がする。
あれあれ、今日は休んでしまったぞ。

そうです。
当初は「適応障害」という言葉が、アタマをかすめはじめます。
やがて「人格障害?」という疑念が浮かんできます。

なぜなら、いまや内地は「人格障害」フレーズが乱発されているからです。
もちろん、本家アメリカでも大はやり。
自分から、そうと名乗るひとまで、出現しています。

そして、このレッテルで傷ついているひとは数が知れません。
ウチナーンチュは、それでも、帰る場所があるだけ、幸いなのでしょうか。

内地の人間は、帰る場所もない。
癒されるひとにも会えない。

筆者は、幸せだったと思います。
傷ついたココロが、沖縄で癒えてゆきます。
そして学びに旅立ったところがよかった。

パリです。
パリ、フランスは、アンチ人格障害の先頭をゆく国です。
ひとはみなちがって当たり前だろ。
人間を「規格」に当てはめるのを、とにかくきらう国ですから。

 



 

多文化バンザイ

 

戦時中じゃないのに、いまの世の中、カタ苦しく感じていませんか。

こうでなくてはならない。
はみだしてはならない。

かつては、はみだしモノを「非国民」と呼んでいました。

いまは、若いひとは「人格障害」とよばれています。
歳おいたひとは「認知症」とよばれています。

そういうふうに区別して、囲みたがる。
自分とちがうものは、オリに入れておかないと安心できない。
人間のもつ多様性、というふうには、みられない。

それで、いいのかな?
そんなに文化の差を認めたくないのかな。
そんなに、カタにはめたいのかな。

考えてみれば、ランニング趣味っていうのも、相当なマイノリティですか(笑)
それでも、そこにカタが存在する。
カクカクの走りをしましょう。

いやあ、もっと、はみ出したらおかしいですか?
まして、仮装で走るおバカさんなんて。

負けるな、ウチナーンチュ
そして、くじけるな、わたしら
文化の幅を、広げてゆこうね。

勝手に、オリを作るな。

 



 

 

 

たーさん
多様性 認めぬ世界で どう走る

 

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