目の前にそびえるもの
マラソンレースの途中にには、思わぬ「坂」が待ち構えています。
それを「まさか」といいます。
なんていいだしますと、使い古された結婚式の来賓祝辞みたいなクサさになってしまいます。
それでも、走りつづけていると、あるいは、ふだんのくらしの中でも、しばしば目の前に「ハードル」が現れてくるものです。
ハードルを考えだした方は、アタマがよいですね。
基本、とびこえて渡るものですが、その際に足が引っかかってハードルを倒してもかまいません。ペナルティーはないよ、というルールにしてくださっているわけです。
きれいにとびこえるだけが、ハードルの渡り方ではない。
どんくさく、たとえば倒しても、超えてゆければいいんだよ。
なにか、人生の渡り方に通じるような演歌調の気持ちが伝わってきます。
あたたかな、ルール。
愛あるメッセージ。
ハードルの高さ
ちかごろ、いろんなところで、ハードルが高くなってきました。
いえ、ハードル自体は、勝手に伸びてゆきません。
5年前、10年前と同じ高さです。
正確にいいますと、高く感じるようになってきた、ということです。
マラソンに限ってもそうです。
自己ベストなんて遠い夢。
昨年の記録の保持だって、シンドイじゃないですか。
それどころか、制限時間内完走だって、走りはじめてみなくちゃわからなくなりつつある、なんて。
生きていれば、必ずカラダもオツムも変化してゆきます。
盛者必衰のことわり、というのは平家物語をつらぬくひとつの主題です。
ここだけ規則
わたくし、正式な陸上競技にはまったくうといです。
若いときは、非体育会系です。
陸上競技には、縁もゆかりもありませんでした。
で、ハードルのルールですが、ハードルは倒して渡ってもよい。
ここまでは、伝え聞いています。
オリンピック中継でも、そういうシーンを見た記憶があります。
では、質問です。
ハードルをくぐる、というのはどうなんでしょうか。
わたくし、知りません。
聞けば、笑われてしまうでしょう。
いえ、そんなことはかまいません。
否定されると、こまっちゃうのです。
でも、正式に競技としてのハードルにとり組むわけではありませんから、正式見解は不要です。
ですから、ここだけの、わたしの勝手につくったルールを披露させていただきます。
「ハードルは、くぐりぬけて進んでもよい」
すいません。
しつこくおことわりいたしますが、ここだけの、そしてわが人生の独自ルールということにしておいてください。
ここに、正式陸上競技ルールをもちこまないでください。
正式って、何なの?
ハードルは、くぐってはいけないものなのか?
実際に、くぐりぬけてゆくランナーを見たことはありませんし「正式」にはたぶんダメ、場合によっては失格かもしれません。
でも、当ブログは、そういう「正式」「規則」「通例」「常識」「定石」をこえてゆく道をさがしたい、が目的です。
こえる、という表現はカッコつけすぎですかね。
はずれる、ってことです。
そのひとつが、飛脚走り、ってわけです。
「そんなこと、ありえないでしょ」
ありえない世界を体験してみる。
そういう心意気なので、まあ、変なルールもお許しください。
そして、「正式」に縛られなくなると、発想が大きくなります。
高いハードル、ドンとこい。
もっと、もっと、高くなってみろ。
高ければ高いほど、ゆうゆうと、くぐりぬけてゆけるじゃありませんか。
うーん、われながらズルい生き方、走り方かもしれません。
でも、ここはいろんなヒトもいるもんだね、ということでご容赦ください。
さあ走ろう
歳とともに、体力は落ちるもんだ。
アタマは、はたらなくなるもんだ。
うん、うん、世間サマは、何とでもおっしゃってください。
それでも、走りますよ。
だって、楽しいんですから。
体力が落ちるっていうんなら、体力にたよらない走り方を実践してゆけばいいんだって。
アタマをはたらかすより、無になってゆく方がいいこともあるんだって。
こういうのを「年寄りの冷や水」アタマといいます。
冷や水けっこう。
おひや、もう一杯。
さっぱりしたら、また走りだしてゆきましょう。
まだまだマラソンを走れば、孫ほどにも若い大坂なおみ選手にだって負ける気はしない、かもしれない(笑)。
おいおい、えらぶ競技がちがうでしょ。
テニスプレーヤーに対して、失礼じゃありませんか。
でもね、こういう発想が、高いハードルを「くぐりぬける」ための一例なんです。
ジョーシキに、挑戦しつづけたいものです。
↓ よろしければ、清き1票をお願いします(1日ワンクリック有効)
にほんブログ村