命の重み
ひとの命は、地球より重い。
もっとも、でございます。
日本人の死因の1位は、がんです。
年間37万人ほど。
医療の進歩、といわれても、がんでなくなる方は、増え続けています。
さまざまな手はつくした、しかし病状は押さえられない。
でも、あきらめてはいけない。
たとえ、可能性は低くても、次の手があるはず。
命は、かけがいのないものだから。
そういう中で、おとろえてゆく命と気持ち。
ぼおっと、見つめるのは、病院の天井。
まわりは、仕切られただけのカーテン。
その小さな空間で、気がねしながらのオシッコやウンチ。
人生の最後を、こういう形でむかえていいのか。
それを世に問うたのが、山崎章郎先生の『病院で死ぬということ』。
1900年の発行。
いまも、文庫本で手にはいります。
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ホスピス、そして在宅へ
山崎先生は、そんな思いから、ホスピスの設立に尽力しました。
制約の多すぎる病院。
そこから、自由さをとりもどしたい。
ホスピス運動は、日本でも、徐々にすすんでゆきます。
しかし、です。
病院から、制約を減らしてゆくとりくみ。
自分の家だったら、そんなもの、もとから無いじゃないか。
山崎先生は、やがてホスピスを離れて、在宅診療にとりくみはじめます。
その後の28年間の総括的な本を『「在宅ホスピス」という仕組み』として、出版されました。
さいごは、家にかえってゆく。
やっぱり、家がいい。
旅だって、たのしめるのは、最後に帰ってゆく家があるからですね。
遊んだあと、家にもどる。
「ただいま」。
「家」には、何があるんでしょうか。
そうです、「くらし」があるんです。
わたしたちの多くの中には、「くらし」こそ「命」と思うココロも宿っています。
くらしあっての、命。
もっといえば、くらしこそが、命。
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避難指示への抵抗感
大雨等の、災害が増えています。
その予知機能も、少しずつ進歩しています。
災害の危険性が高まったとき、避難指示がだされます。
「命を守る行動」をとってください。
そんな、よびかけをしばしば耳にするようになりました。
わかった。
でも、なかなか決心がつかない心境もある。
自宅に、こだわる。
なんで自宅にこだわるんでしょうか。
その理由のひとつが、家には、「自分のくらし」があるから。
くらしこそは、自分の命そのもの。
より安全、といわれる避難所。
たしかに、「安全」はあるかもしれない。
でも、自分の「くらし」からは、遠ざかってしまう。
そんな思いも、避難を躊躇させる一因になっているのではないでしょうか。
くらしがないなら、命がないのと同じ。
そんな思いをもってしまう。
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命を守るというのは
コロナウイルス感染症が、ふたたび増えています。
検査数の分母が、圧倒的に変わってきていますから、比較は困難ですが。
検査の対象者が、とても恣意的なので、比較は困難ですが。
これも、災害のひとつ、と見られています。
「命を守る行動」をお願いします。
そのため、ここでも、同じセリフが繰り返されています。
具体的には、家にこもりなさい。
外出や、社会活動を、しないでください。
ひとと接触しないでください。
ああ、この状況は、聞いたことがある。
命を守るために、病院のベッドで耐え忍んでください。
命を守るために、避難所のすみでじっとしていてください。
たしかに、命は、大切です。
ただし、「くらし」だって、別の意味で、命そのものです。
とっても、大切なものです。
2020年7月の時点で、コロナウイルス感染症による死者が、1,000人を超えました(日本人)。
同じ期間で、日本では、およそ60万人超の方が、コロナ感染症「以外」の原因でなくなられています。
あるいは、もっと。
0,1万人対60万人。
いえ、数の問題ではありませんが。
しかし、結果として、60万人の方の多くは、家族との面会も制限(ほとんど禁止)の中で、なくなっています。
大切な時間を、制限だらけの空間。
くらしのない空間での最後。
『コロナ騒動の中で、コロナ以外で死ぬということ』という本はでませんか。
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くらしの視野を
病気の進行で、治癒はむつかしい状況になったとき。
いくつかのすすむ道があります。
病院で、とことん病気と対峙する、という選択。
ホスピスなどで過ごそう、という選択。
自宅で過ごしたい、という選択。
命と、くらしの価値観の持ち方のちがい。
ですから、答えは、ひとつではありません。
どれも、ありだと思います。
最後に選ぶのは、本人や家族の気持ちです。
もちろん、途中で、心変わりがあってもいい。
そういうもの、ですから、迷うもんね。
そのためには、病気の正しい知識の共有が欠かせません。
無知すぎるのは、こわい。
コロナウイルスに対する行動。
これだって、ひとつじゃないと思います。
じっと静かにしていること。
できる予防策で、日常を送ること。
たまには、走りに出ること。
ひととも、会うこと。
いろんな選択肢があって、当然じゃないでしょうか。
もちろん、まだ迷いながら、ですが。
でもそれが、現在の状況なんですから。
これこそが、現在の「くらし」のありさまなんですから。
くらしこそ命。
この視点を、持っていただけたら、世の中は少し変わりませんか。
ただし、選択しようにも、正しい知識がなかなか提供されない。
責任者の不在の国。
そういう現実にも直面しています。
それだけは、こまったものです。
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