人類の進化
人間は、走ることで進化した。
うーん、じつに都合のいい論理です。
そうです、何事も自分に都合よくとりたがるのは、政治屋さんだけじゃりません。
人間は、いつのころからか、肉を食べるようになってゆきました。
木の実だけでは、十分ではなくなったのでしょう。
とはいえ、どのようにして、肉を手にいれたらよいか。
お肉屋さんなんて、なかった時代のはなしです。
とうぜん、狩猟しかありません。
たとえば、いま、何かの獲物を自分でつかまえられるでしょうか。
たとえば、野生のウサギとか。
難易度、チョー高いです。
共通試験の比ではないかも。
このために、2つの進化がみられた、ようです。
ひとつは、走るためのカラダになってゆきました。
オシリまわりの筋肉が発達する。
同時に、ウデが短くなってゆく。
これは、進化上の変化として、みとめられています。
もうひとつが、知恵がついてゆく。
どの獲物が、どんな道をとおり、どんな暮らしをしているか。
狩猟のために、どんな工夫が必要か。
そいいった創造性と、記憶力がのびてゆきました。
工夫が生まれなければ、生きてゆけない。
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偶然ではなかった
走る能力の向上。
知恵の向上。
両者のミックスが、人間を進化させていったようです。
これは、たまたまの偶然の巡り合わせだったのでしょうか。
あるいは、必然的な出会いだったのでしょうか。
なにしろ、ひとむかし前まで「走ると、バカになる」なんていわれたこともあるくらいですから。
走れば、脳ミソが、揺れちゃって、くずれだす。
ちょっと説得力ありました。
やがて時代は、光トポグラフィ機能的近赤外線イメージング装置を登場させました。
名前が、長ったらしすぎるんじゃ、って。
fNIRSっていいます。
これは、動いているときの脳の状態をはかれる装置です。
その解析結果です。
立って、ウデをふると、脳ミソのなかの、ウデ担当の運動野が働きました。
立って、足踏みすると、アシ担当の運動野が働きました。
歩くと、手足の運動野が働きました。
うーん、じつにまっとうな結果ですね。
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走りはじめたら
では、走りだしたら、どうなるでしょうか。
ゆっくり、で十分です。
すると、前頭葉が活発に働きはじめたのですね。
前頭葉のなかでも、前頭前野が、ビンビン。
ここは、記憶や判断力のカナメとなる部分です。
いわば、人間の知的な部分。
なぜ、走りはじめると、ここにスイッチが入ったのでしょうか。
ひとつの仮説が「複雑な動き」になったから、とも。
足もとは、安全かな。
どこに着地してすすもうかな。
どちらの方向へゆこうかな。
こういった種々の状況を瞬時に判断してゆけないと、走れません。
とくに、不整地でしたら。
むかしは、整地された道などありません。
クツもありません。
そこを走るのだから、複雑にアタマを使わざるをえない。
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青斑核やーい
さらに、です。
走っていると、脳内の青班核がさかんに活動をはじめました。
ここって、何の担当でしょうか?
ひとつは、慎重な判断力を行使する中枢です。
なにしろ、走っていると、日常とはちがうスピードの世界に入っています。
ちょっとした不注意で、コケたり、ケガしたりもします。
そうならないためにも、注意信号が活発化します。
ですから、ここが出番となります。
もうひとつは、失敗した後始末担当。
走っていれば、走らないときより、トラブルの可能性もあがるでしょう。
うまくゆかない場面も、でてきます。
うまくゆかないときは、軌道修正しなくちゃならない。
そんな仕方を考えてくれる中枢です。
メゲない力を、はぐくんでくれる場所。
後者が、とくに、うれしいじゃありませんか。
クヨクヨしたら、ひとっ走り。
すると、気分がちょっと晴れるよ。
そうか、その主役が、青班核の働きにあったのか。
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とりあえず、走ってみる
冬本番は、入試も本番。
勉強の仕方に、なやむこともあります。
職場の人間関係に、なやむこともあります。
ならば、走ってみたら?
わたくし、若いころは、運動経験はとくにありませんでした。
部活、きらい。
土日の出、やめてくれ。
自分の時間が欲しい。
本を読んでいれば、幸せ。
でも、ふりかえってみたら、自宅浪人時代。
わが家には、コロとよぶ雑種犬がいました。
夕方になると、歩いて15分ほどの、人けのない山までお散歩。
そこで、ロープをはずし、山の中を1人と1匹、駆け回っていました。
もう、ずっとずっとむかしの話です。
そういうことが、できた時代。
あれは、走りの1種だったのかもしれません。
しかも、めちゃ、不整地ラン。
坂というより、崖といったような斜面も登り下りしていました。
それが、足りないオツムに刺激になったのかな。
走るとボケる、という学説は、いまのところ見たことはありません。
(わたくしが、いま実践しているかもしれませんが)
走って、オツムに、ソンはなし。
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走るほど アタマの回転 あがる(かも)
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