お正月です
むかしは、お正月といったら「カルタ」という時代もありました。
もちろん、トランプや花札も、たのしみましたが。
そして、たこあげも。
小学生、中学生くらいまで、でしょうか。
TVゲームもまだない、ふるき良き時代の正月風景です。
カルタといっても、お手軽ものです。
あるときは、雑誌か何かの付録もの。
あるときは、近所のおもちゃ屋さんで手に入れたもの。
百人一首のような、崇高なものじゃありません。
マンガの主人公たちが登場するもの。
物語風のもの。
格言をちりばめたもの。
いろはカルタもありました。
犬も歩けば棒にあたる。
わがグンマーには、「上毛かるた」というご当地カルタもあります。
かなり昔から、使われています。
ですから、老いも若きも、読み札を相当記憶しています。
唯一、世代間でちがうのは「ち」の項目。
「力あわせる200万」
これは、グンマーの人口が200万をこえ、210万をこえるまでの表記。
ところが、いまや180万を割りこんできたとか。
200万が、190万になり、そして180万へ。
人口の衰退ぶりを、こういうところからも感じられます。
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カルタ人生
カルタは、人生を反映する遊び。
生き方、といっていいかもしれません。
そんなふうに、感じています。
カルタとりには、2つのステップがありますね。
第1ステップは、目的の札を見つけること。
第2ステップは、手をのばして、タッチすること。
とっても単純なルールです。
ですから、小ちゃな子でも、できるわけです。
そして、この中に、深い意味を感じていましたか?
第1ステップは、「目的」を見つけだすことです。
第2ステップは、具体的に、「行動」をおこすことです。
世の中のほとんどのことは、この2つのステップでなり立っていませんか。
逆に、この2つのステップをふまないと、参加にならない。
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札を見つける
カルタの第一歩は、目的の札を見つけることです。
目的の札が見つからなくては、つぎの行動にうつれません。
見つかるか、見つからないか。
それは、そのときの流れです。
見つからないときもある。
見つけたけれど、後塵を拝することもある。
でも、まずは見つけようとすること。
これって、「目的」一般に置きかえてもよくありませんか。
昨年をふりかえってみて、どういう年だったでしょうか。
スカってしまった。
あっという間だった。
そういうとき、目的の札が見えていましたか。
その前に、目的の札がありましたか。
目的の札は、なんだろう?
目的の札は、どこにある?
目的の札をさがそうとしなければ、カルタははじまりません。
しばしば人生というカルタ生活では、目的の札を忘れがちです。
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手をだす
目的の札を確認したら、手をだすのがカルタです。
そう、「実際の行動にでる」です。
いくら札を見つけられても、手をださなくては、札はとれません。
1番で、目的の札にタッチできるか。
じっさいのカルタでは、それが大切です。
でも、人生のカルタでは、順位なんて関係ありません。
自分の人生なんですから。
じっさいに「手」をだすか、どうかだけです。
いくら目的の札を見つけられても、手をださなくては、カルタとりになりません。
とにかく、いいから手をだす、です。
カルタ競技では、そこに順位がつきます。
1番にタッチしたヒトの札になります。
でも、しつこいですが、自分の人生カルタに競争はありません。
ま、人生カルタにまで、競争を入れたがる方はおられますが。
ただし、ちがう札に手をだせば、アウトです。
何でもいいから、じゃありません。
目的の札を、タッチしようとすること。
何でもいいから、手をだす。
実際のカルタ競技では、みられない光景です。
ところが、人生のカルタでは、ときどきお見受けします。
いっぺんに、全部の札はとれないんですけどね。
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さあ、人生カルタ
カルタを、バラバラとひろげます。
このとき、特にコレは、という札に目をつけておくことは、ありませんか。
自分の前にきている札。
あるいは、なんとなく気に入った札。
それが読まれたら、さっと手をだしてとるぞ。
カルタ名人は、ならべた札の全部に、みんな目をつけられるといいます。
みんな特別。
わたくしは、カルタにおいても、凡人以下です。
そういうことは、できません。
1枚、あるいは、2枚にとくに目をつけておく。
昨年は、現代漢方療法と、手技療法の2つの札に、とくに目をつけてきました。
現代の発想でとらえる漢方体系。
かなり新しい世界です。
そして、手技をとり入れたカラダへの痛みや不調への介入法。
これも、新しい世界です。
どっちも、ワクワクの興奮を覚える札になっています。
今年は、さらに深めてみたい。
とすると、さらにマラソンレースにかぶっちゃうようです。
でも、それもよし。
まだチョット、アタマとカラダがきいていてくれる間のたのしみです。
そして、どちらもマラソンとすごく重なる感覚です。
ラクなだけじゃないけど、やりがいがある、という点で共通。
さあ、新年です。
目を向けている札が、ありますか。
そして、手をだしていますか。
よい年になりますように。
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人生に カルタを重ねて よいお年を
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