古民家解体

地域消滅

 

田舎は、ひとが減っています。
住むひとのいなくなった家が、目立ってきました。
ふと気がつくと、売り出しの看板がかかっていたり。
でも、買い手はあらわれません。

まったく手がつけられないまま、年々歳々、朽ちる一方の家もあります。
あるじのいなくない家は、呼吸が止まり、一気に傾きはじめます。
夏になれば、周囲はしげった草むらで、近づくことすら困難になってゆきます。

ちょっとした地震や大雨で、容易に崩壊しちゃうんじゃないか。
せめて、さら地にできないものか。
でも、いまの法律は、お金と手間をかけて整地すると税金が上がるんだそうですね。
地域崩壊をあと押しする法律。

政治家のいないご時世です。

 



 

古民家を解体してみる

 

朽ちかけた一軒の古民家。
主人もいなくなって、かなりの時間が経っています。
このまま放置だと、アブナイ。
これを、解体してみましょう。

庭先から家を見上げて、解体の青写真を描いてみます。
無理だな
ふつうの結論です。

自分の背丈の何倍もある建物。
古くなったとはいえ、ドッシリ感はまだ半端ありません。
これを、シロウトがこわしてゆけますか。
トホーにくれるだけです。

と、ここで思考と行動を止めてしまうと、何も変わりません。
できることはないか、と一歩だけ、前に踏みだしてみる。

ま、やれるところを、やってみっか。
1日だけでも。

 



 

手始めに

 

まったく手がでない、わけではありません。

建てつけの悪くなった雨戸や障子は、はずせます。
ドアだって、ネジまわしを使えば、取りだせます。
これらを、庭の片すみに積んでゆきましょう。
家の中に、風が通ってきました。

テーブルやイスや戸棚などの家財道具も、重いものは2人がかりなら運びだせます。
タタミも、はがせるんだ。

気がつけば、古民家は、柱と壁と屋根になってきました。

さすがに、ここから先は、プロにお願いかな。
ここまでスッキリさせちゃうと、あとは重機でバリバリ破壊できちゃいます。
最後は、廃材などの運び出し。

まったく手がでなかった、わけじゃなかった。

でも、実際は、タイヘンです。
わたしも、お手伝いの経験しかありませんが、そこで得た教訓は2つ。
ひとつは、解体とは、ホコリだらけになる作業である、ということ。
もうひとつは、なかなかお宝鑑定団級のものはでてこない、ということ。

汚れて、ガラクタの山に途方にくれて、が現実です。
でも、まったく手がでなかった、わけじゃなかった。

 



 

さっぱりした土地で

 

古民家を壊すとなると、廃材一式の処分費用に一番お金がかかるのか。

そんなことも、学べます。

そして、やればできるじゃないか、全部じゃないけど。
「自分には無理」と一方的に投げなかった結果です。
どうしてできたのか。

(1)簡単にあきらめない(投げたら、おしまい)
(2)具体化してみる(思いだけで判断しない)
(3)手のつくところから始めてみる(まず実行)

ま、ここまでなら、考えつくことでしょうか。

もうひとつ、案外忘れてしまうところがあります。

(4)記録する

 



 

記録の効用

 

世の中、どんどん変わっています。
変化についてゆけてるか。
(ボクはまだ、スタバデビューを果たしていません)

チャレンジしたいものは、いくらでもあります。
チャレンジには、勇気がいりますが。

わあ。
新しい感動。
新しい発見。
ときには、ビックリ。
ときには、ガッカリ。
しばしば、失敗。

自分には無理、ダメ、と思っているものって少なくありません。
でもそれは、思っているだけ、行動をおこしていないだけ、なのかもしれません。

現実には、チャレンジは、口でいうほど、たやすくはありません。
スタバに入る勇気、まだありません。
って、そもそも、近所にスタバないし。

中年の500メートルを走れなかったとき、マラソンを走っている自分なんて、想像すらできませんでした。
それでも、ちょっとだけ走ってみると、何かがちがう。
なにかを感じる。
この感覚は、何だろう。

感じたことを「文字」に残すと、あとでふり返ることができます。
何かのおりにふり返ると、そのときの記憶や感覚がよみがえってきます。

駅伝でたすきをつなげなかったチームが、そのときの思いを壁にかきとめる光景をみたことがあります。
目に入るたびによみがえる、新しい力。

しかも、映像とちがう、抽象的な「文字」です。
記憶の媒体としての「文字」です。

文字」のふり返りは、ビデオテープの「再生」ではありません。
時間とともに熟成される「新しい感覚」。
ブドウが、いつのまにか芳醇なワインになってゆくように。

とくに、うまくいかなかった記録
失敗でガックリした記憶。
カラダに違和感をおぼえたり、痛めた記録。
中断したままの記録。
それらは、特に鮮明によみがえってきます。
何しろ、強い印象でいろどられていますから。

それらが、かもし出す時間は、当時は考えもおよばなかった映像として、よみがえらせてくれます。

ああ、そうしておけば。
おお、こんな道もあった。
まだまだ、投げないぞ。

今まで高い壁、と思っていたことが、思いちがいだったのかもしれない、と感じる瞬間。
そうそう、たやすくはないでしょうが、新しい展望が開けてくることもあります。

ここまで、登っていたんだな。
峠の途中で、今までの道をふり返ったときと同じ映像です。

記録の力は、無限大です。
とくに「文字」の力。

 



 

 

たーさん
新世界 残す文字が カギとなる

 

↓ よろしければ、清き1票をお願いします(1日ワンクリック有効)
にほんブログ村 その他スポーツブログ マラソンへ
にほんブログ村