動きの本能

世間の常識

 

人間の3大欲求はなにか、なんて問われることがあります。

年とともに、欲求も枯れてゆくのかなあ。
いやいや、灰になるまでの3大欲求。
一般的には、つぎの3つがあげられるでしょうか。

食欲
睡眠欲
性欲

ちまたでは、まあ、そうかもねととらえられています。
でも、もっと根本的なものがなかったでしょうか?

話題はぐっとかわって、介護が必要なひと、を想定してみます。
このひとには、どのくらいの介護量が必要だろうか。
そこでみるべきポイント、というのが示されています。

食事
排泄
入浴
着がえ
整容(歯みがき、洗面とか)
歩行(移動)

この6つを、まずチェック。
セットで、日常生活動作なんてよばれることもあります。
それぞれの介助の必要度を考えます。

 



 

動きは別格

 

3大欲求、はたしかに、お大事。
ここにイチャモンをつけるつもりは、ございません。

ただ、この「3大」を実現するのに忘れてならないものがあります。
それは、「動く」欲求です。
自由に動きたい、という動きへの欲求。
動けないと、3大欲求は、遠くに離れてしまいます。
ぐっすり、ねむることもふくめて。

一方の、日常生活動作
どれも、大切で忘れてはならない視点です。
大切ですが、みなを同じ位置においておいてよろしいでしょうか。

ひとつだけ、「別格」がありませんか。

それは、歩行(移動)です。
というのも、歩行できてこその、食事、排泄、入浴、着がえ、整容だからです。
これらすべてに共通する、根っこにあるもの。
それが歩行(移動)の力です。
同じ次元でみる、ものではないでしょう。

動くこと、はわたしたちの1番の根っこをしめるもの。
根っこなしに、その上ははじまりません。

 



 

動きの立場

 

欲求の面からみても、しかり。
日常生活の面からみても、しかり。

わたしたちが自由に動けること、はすべての基礎になっています。
だから、動くモノ、「動物」っていわれているんですね。

当たり前に動けているうちは、案外、このありがたさはわからないかもしれませんが。

動きというのは、ですから、とっても大切な能力です。
ですから、当然、しっかりとプログラミングされているんです。
つまり、どっしりとした「本能」として。

ですから、わたしたちは、特別に教えてもらわなくても、できてゆくんです。
寝がえる
おき上がる
立つ
歩く

こういうのを、コーチについて学んできましたか。
特別な教育をうけましたか。

すでに組みこまれているプログラミングですから、勝手に始めてゆけたんですね。
ですから、世界各国、どこで生まれようが、同じように動きだす。

動作は、本能のなせるわざ。

 



 

本能の育ち方

 

本能のおもむくまま。
それが、ある意味で、いちばん自然な育ち方なのかもしれません。

野生動物は、キホン、そうに育ち生きてゆきます。

人間も、さいしょは、自然な動作で動きはじめます。
美しい、といっていいのではないでしょうか。
無駄がない。

ですから、疲れなんかも、自覚しない。
痛めない。

もちろん、疲労がたまることもあります。
そうしたら、眠くなるだけ。
オナカがすくことにもなります。
そうしたら、食べたくなるだけ。
自然な、切りかわりがあるだけ。

疲れたので「今日は足もんで、ママ」なんていいません。
本能のプログラミング、すばらしいと思います。

わたしたちは、みなそれを、今も持っているはずなんですが。

 



 

いつから、変わった?

 

ところが、ある時をさかいに、本能が変化をはじめる。
どんな変化か。
動いたら疲れる、というような変化。

疲れを意識しはじめたのは、いつごろでしたか?

ぼくの場合、中学生になったくらい、からですか。
体育や部活は、疲れるし、カッタるいものと感じていました。

小学生のころの竹のバットに、ゴム玉ベースボール。
あれは、いくら遊んでも、疲れなかった。
川に飛びこんでの水遊びや魚とり。
山の斜面の冒険ごっこや秘密基地作り。
これも、いくらやっても、疲れなかった。
ただ、日がくれてゆくのが、うらめしかった。

ところが、いつの間にか感じるようになる、疲労感
いまは、だんだんと低年齢化しているようです。
最近の小学生、疲れている子がふえています。

本能は、そんな簡単には、変化しません。
何千年、何万年という単位でつづいているものですから。
そうしたら、疲れやすさの原因は何でしょうか。

オーバーワーク?
いや、どこにそんな子がいる。

となると、本能の使い方がヘタになったのか?
あるいは、本能を使いこなせない社会になったからか?

おそらく、両方が原因なのかな、と思います。

その、成れの果て、がわたしたち「おとな」です。
そんなわたしたちが、走ろう、とする。

走るっていえば、疲れる行為の代表でしょうか。
で、疲れはたまる一方ですか。

むしろ、逆の感じがしませんか。
走り方、にもよるでしょうが。

アフリカにゆくと、ライオンの治療院がある、なんて話は聞きません。
シマウマが、疲れて湯治をしている、なんて光景も知りません。

もう一度、動きの本能に着目すべき時代なのかもしれません。
みんながもっている、本能のプログラミング。
たぶん、忘れちゃっている、本能のプログラミング。
発揮できなくなってしまった、本能。

こういうのが、本物の「お宝」っていうんじゃないでしょうか。
お金には、かえられないお宝。

いざ、宝探しへ。

 



 

たーさん
本能を さがす旅には 宝まつ

 

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