つながりあってこそ
カラダは、つながっていれば、動く、多分。
つながってますか?
つながっていますね。
だから、動けている。
ところで、つながるって、どこがですか?
アシの先から、手の先までです。
このつながりが途切れたら、どうなるでしょうか。
極端な例があります。
脳卒中。
脳ミソと手足とのつながりが、うまくゆかなくなります。
その結果、いままでの動作が、むつかしくなります。
典型例は、片マヒ。
逆に、つながっていれば、ちゃんと動きます。
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自然観察
田舎でくらしていると、たくさんの、自然にくらす姿に出会えます。
最近多いのは、野鳥です。
キジが、とくに増えている印象です。
キジは、畑や野原の中も、器用に歩いています。
ワンコにも、よく会います。
野良犬に出会うことは、なくなりましたが。
外で飼われているワンコは、散歩中も元気満杯です。
いがいと、野良猫は、まだいます。
その汚れと風貌は、たくましさをかもしています。
そして、俊敏。
タヌキやハクビシンは、年に何回か、出会うことがあります。
車にひかれて、道端で昇天している姿も、ありますが。
田んぼに水がはられると、カエルが一斉に鳴きだします。
トカゲも、でてきます。
それをねらうヘビも、出没しはじめます。
出会いたい君、出会いたくはない君、さまざま。
君たちの動きは、みな、見事です。
わたくしのような、ヨボヨボさは、見当たりません。
すい、すい、すい。
つい見惚れてしまうことがあります。
そして、考えます。
どうして、こんなにキレイに動けるんだろう。
何が、キレイさを感じとらせるんだろう。
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非クンレン
野生動物の、みごとな動き。
共通していえることは、だれも筋トレしていません。
むしろ、わたくしより、ゴロゴロしているかも。
なのに、なぜ、かくも見事な動きができるのでしょうか。
それは、全身がつながっているから、ではないでしょうか。
姿かたち、そして大きさは、まちまちです。
でも、動きはキレイで美しい。
その美しさを感じさせる原因は何だろう。
考えてみました。
そして、ひらめいたのです。
まんべんなく、全身を使っているからなんじゃないかと。
つまり、全身が機能的につながった動き。
そりゃ、見事というしかないです。
だれに教わったわけでも、ないはずです。
学校にいった子は、ひとりもいません。
ゆいいつ例外として、メダカには学校があると聞きましたが。
なのに、当たり前のような統一動作。
カラダ全体が、きれいにつながっています。
人間界の運動会カケッコ姿の多彩さとは、次元がことなります。
おもえば、人間も、かつては野生動物のひとつでした。
たぶん、そのころは、人間ももうちょっと、つながった動きをしていたのじゃないでしょうか。
美しい動き。
別の表現をすれば、自然な動き。
具体的にいうと、つながりのある動き。
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つながりの分断
では、なぜ人間だけ、つながり性が低下しちゃったようにみえるのでしょうか。
いくつかの要因が、考えられます。
ひとつは、教育にないでしょうか。
人工的な教義を、教え込む。
ひとつの型に、はめようとする。
ふたつめは、筋トレ。
全身まんべんなしの筋トレなんてありません。
どこかを強めれば、どこかで均衡を欠いてゆく。
みっつめは、動かなくなったこと。
動かなくてすむ時代です。
使わなくなった機能は、低下します。
そして生活様式の変化。
たとえば、厚底のクツ。
本来のカラダの機能が、発揮しにくくなっています。
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つながりを求めて
ともあれ、わたしたちのカラダは、本来のつながりから離れてきていませんでしょうか。
その結果、動作がぎこちなくなってきたのかもしれません。
それが、一人ひとりの動作の多様性を、つくってきたかもしれません。
カラダの痛みや故障の原因をつくったかもしれません。
もちろん、走りの多様性も。
じつは、これらの変化を「加齢」ですまされることがあります。
歳をとれば、だれでもでてくるもんだよ。
歳をとることの宿命さ。
これが、歳をとるってことだよ。
そうか、だから最近、何かにつけて「どっこいしょ」という掛け声が必要になっていたのか。
そして、出てくるコトバが「引退」です。
さまざまな引退。
若くして、競技からの引退もあります。
もうそろそろ走るの無理かな、という引退もあります。
さいごは、人生の引退。
でも、その前に、考えてみませんか。
どこかで、ギクシャクしてこなかったか。
ギクシャク、イコールつながり力の低下ということです。
もう一度、ギクシャクさを何とかならんか。
ギクシャクさの改造なら、力もいらないはず。
いわゆる筋トレ不要。
歳をとったから走れなくなる、のではないといいます。
走らなくなるから歳をとるのだ。
その具体的なココロは。
そう、つながりの再構築。
カラダがつながってくると、動きが変わるハズ。
(つづく)
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つながって 動く 本来のカラダ
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