せめてカラダだけは
世界は、つながりを強めている。
お手軽、高機能の、情報化時代。
ゆこうと思えば、遠くても、あっという間。
伝えたいと思えば、パピポペで、ただちに。
といいながら、現実は、ズタズタに寸断されている気もします。
世間の関係から、世界の関係まで。
小から大まで、かえって、つながりが切れていませんか。
せめて、自分の中は、バラバラにしない。
手の先から、アタマの先、アシの先にいたるまで、すべてが自分。
独自のはたらきもありますが、つながってこその身体。
これは、何も、動作だけに限ったことではないでしょう。
思考も、判断も、カラダ全体がつながっていてこそ。
アシの裏の小さなトゲ1本でも、アタマの働きはままなりません。
カラダは、つながっているんだな。
その実感とありがたさを、確認したい。
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金魚になって
ヒトの祖先は、魚だった、といわれています。
大昔は、みな、海の中でくらしていました。
そのながりが、遺伝子の中には、いまも残されているとか。
ということで、さいしょは一番古い原始体験。
サカナにもどった気分に、ひたってみましょう。
タタミ(床)の上に、ゴロンと寝転がってみます。
天井をむく。
そうです、サカナの気分といっても、いきなり海の中にドボンじゃありません。
そこまで難易度高い要求はしません。
寝転がったら、足をゆったり先の方へ、のばしてみます。
両手はバンザイして、アタマの上方に、のばしてみます。
1直線になりましたか。
どんなふうに、見えるでしょうか。
サカナになった気分です。
そして、背骨をユラユラ。
水の中を、スイスイ泳ぐ金魚になった気分で、ユラユラ。
上から、下へ伝わるユラユラ。
リラックスして、ユラユラ。
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平べったくなったら、カエルへ
ユラユラしながら、カラダをほぐしてみましょう。
ゆっくり、ユラユラ。
金魚時代は、これだけで、水の中をスイスイ泳いでいました。
そんなイメージをもってみて。
緊張がほぐれるにしたがって、カラダが床面にペタリとなりませんか。
まずは、オシリから腰にかけて。
そのまま胸も、首も、アタマまで。
カラダが、すき間なく、床面について、ユラユラ。
十分に、ヒラメ状態も感じたら、ふたたび手足をのばして、1本線に。
つぎは、手のヒラ同士と、アシの裏同士をあわせます。
手のヒラ同士を、そのままオヘソまで、下げてきます。
アシの裏同士をあわせたまま、オシリまで、上げてきます。
そして、ふたたび、伸ばす。
今度の気分は、カエルです。
ゆっくり手足を、ヒシガタに折りたたむ。
ゆっくり手足を、まっすぐに伸ばす。
なれたら、少しスピードを上げてみる。
水の上を、スイスイすすむイメージで。
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手足のつながり
金魚から、カエルへ。
魚類から、両生類気分を味わったら、つぎは地上へ進出です。
ふたたび手足を、ゆったり伸ばします。
最初は、手足の「対側感覚」つくりです。
右のアシを、下に「グッ」と伸ばしてみます。
同時に、交差する関係の、左の手を、上に「グッ」と伸ばしてみます。
カラダの中を、右アシから、左手に1本の軸がとおる感覚を味わう。
脱力して、もとにもどります。
つぎは、左のアシと右の手で、同じに交差する感覚を味わってみます。
そして、また脱力。
今度は、手足の「同側感覚」つくりです。
右のアシを、下に「グッ」と伸ばしてみます。
同時に、同則の、右の手を上に「グッ」と伸ばします。
カラダの中を、右アシから、右手に1本の軸がとおる感覚を味わう。
反対側も、同じようにしてみます。
手足の「対側感覚」と「同側感覚」の2つの軸感覚を味わう。
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つながりの実感
さて、この2通りの軸感覚を味わったら、ゆっくり歩いてみましょう。
手足は、つながっている。
歩きながら、「対側感覚」をよみがえらせてみます。
うん、ちゃんとつながっているぞ。
いい気分だ。
つづいて、「同側感覚」に切りかえてみます。
さいしょは、スパッと切りかわらないかもしれません。
でも、慣れです。
たぶん、どちらの感覚も、つかめてくると思います。
そして、考えてみてください。
どっちの感覚のときが、自然にあるいているか。
同じように、ゆっくり走りながら、両方の感覚を比べてみましょう。
どちらの方が、いい感じかな。
どちらの方が、自然に前にすすむかな。
この結論は、まだ出ていません。
わたくし個人的には、同側感覚のときの方が、スムースさを感じるかも。
でも、対側感覚に切りかえても、おもしろい。
そして、もうひとつのことがいえます。
手足が、どちらかの感覚に入ると、体幹の感覚が消えてゆくようだな。
カラダが、おおきな軸になって、すすんでいる。
さらには、アシの先から、地球へとつながってゆくような気分へ。
なんだか、心地よい。
歩くのも、走るのも、たのしい。
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金魚から カエルを通って 人間へ
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