足ウラは、かたいかやわらいか

反射

 

カラダには、「反射」というしくみがあります。

カラダに入った情報を、その場で対応できる力です。
つまり、現場能力

いちいち上にはかって、判断をあおいでから、どうするかを決める。
そういった面倒な手続き不要の反応です。

つまり、脊髄レベルでの反応。
脳までいって、という手間がいらない反応です。

ヨロっとしたら、パッと手がでて、カラダへの衝撃をやわらげる動作が出動。
そういうのが、一例です。

こういうのを、いちいち脳にあげて判断をあおいでいたら、間に合わないですから。
生存にとって、必須ともいえるしくみです。
いつ、だれが、どんな手をくわえて、つくったのでしょうか。
まことに、天才的なしくみです。
あるいは、こういうしくみが備わっているから、生き延びてこられたともいえます。
これは、だれもが等しくそなわった能力です、生まれたときから。

社会のしくみも、もう少し、人体構造を学んだほうがいいんじゃないでしょうか。

ところで、このせっかく持って生まれた「反射」システム。
ふつうは、生涯にわたり、機能を保持してくれてゆきます。
ふつうのくらしをしていれば。

では、ふつうじゃなくなったら、どうなるでしょうか。
そこが問題になっています。
というのも、現代は、「ふつうじゃない」社会になってようですから。

 



パブロフは、犬にベルの音を聞かせたあとで、エサをあげました。
それを、つづけているとどうなるか。
やがて犬は老いて死にました。
(はて、「反射」はどうした)。

 

強いけど繊細

 

2本足で立った人間は、体重のすべてを、足ウラにのせられるようになりました。
つまり、大地との直接の接点は、足ウラだけとなりました、ふつうは。

足ウラが、大地の直接情報を一手にとりこむ。
そして適切な判断をくだしてゆく。
その結果、2本足のくらしが、なり立つようになりました。

まずは、ハダシになってみましょう。
本来の、ひとの姿。
人間は、ハダシで、何万年もの長き時代をおくってきたのですから。

室内を、ハダシで歩いてみる。
季節を、2月4日の朝としてみましょう。
豆まきの翌朝。

足ウラに、ハッとした感触を察知。
きのうまいた豆を踏んだみたいだ。

するどい方は、そのまま、豆をつぶさずに足にかけた体重をもどせます。
豆がつぶれない。
これって、反射行動のひとつでしょう。

このように、足ウラといっても、感覚はとっても敏感です。
体重をのせられる頑丈さと、豆を察知してつぶさない繊細さ
まさに、神のつくりたもうた芸術品です。

ま、全員がこうにはならないでしょうが。
グシャリと豆をつぶして、はじめて気づく。
でも、これだって、立派な感覚ですよ。

 



 

足ウラ自由自在

 

ハダシで立つ。
そして、ハダシで歩く。
すると、片足に、全体重がのってきます。

のった足ウラは、ぎゅっとかたくなります。
つまり、組織がちぢむ
つまり、足ウラ筋群の収縮です。
そして、カラダをささえる。

さらに歩くと、その足は、大地からはなれます。
もう一方の足うらに、体重移動がうつるからです。

荷重からはなれた足ウラは、瞬時にやわらぐ
つまり、筋肉の収縮から開放されます。

なぜ、いちいち、やわらぐんでしょうか。
かたいままだと、の荷重時に、ギュッとカラダを支えにくくなるからです。
つまりは、クッション性も発揮できなくなります。

こうして歩行中は、足ウラが、ギュッ・パー、ギュッ・パーと収縮と弛緩をくりかえします。
もちろん、脳みその関与をうけない「反射」システムで。

それでは、足ウラにずっと荷重がかからない状況では、どうなるでしょうか。
たとえば、横になったとき。

はい、荷重がかからなくなれば、足ウラはゆるんだままです。
ですから、睡眠中は、足ウラはやわらかい
そして、やわらかくなっていないと、熟睡しにくいでしょう。
だって、かたいのは緊張状態ですから。

 



 

知恵か、はたまた

 

ですが、ハダシのままだと、足がよごれます。
くわえて、熱い地面、凍った地面はきつい。
なので、灼熱の砂漠地帯や、氷の世界ではくらせません。

ところが、そこに人間の知恵がはたらきました。
それが「ハキモノ」です。

当初は、そういった機能面での発明だったでしょう。
ところが、だんだんと付加価値をつみ重ねるようになりました。

ファッション性が一例。
その中で、「クッション性」も工夫されてきました。

クッション性は、大地からの衝撃を格段に低下させてくれるようになりまいた。
ああ、楽チン
移動が、やすやす。
ですから、より速くの移動が可能となりました。
より遠くへの移動も、可能としました。

同時に、「大地からの情報」を遮断するようになります。
これは、よくとれば、足への負担を軽くしてくれるということです。

ところが、万事OKとなってくれているでしょうか。

ハダシで大地をふむと、足はユビをひろげて、まず大地の情報をキャッチしようとします。
足ユビパーです。
つづいて、瞬時に筋肉をちぢめて、大地からの衝撃とカラダからの負荷に適応します。
足ユビグー。
そして、大地からはなれると、ふわっと弛緩して、もとにもどります。

このサイクルを、パッパカしてくれます。
もちろん、反射といえる反応で。

 



 

自分をふりかえる

 

ハキモノをはくと、足と足ユビの自由さが、ある程度、規制されます。
まず、パーができなくなる。
そして、荷重と解放の力の幅が低下してゆきます。

すると、足ウラは、どうなってゆくでしょうか。
かたくなるか。
やわらかくなるか。

衝撃性がクッションされるわけだから、かたくはならないだろう。
たぶん、やわらかくなるだろう。

ふつうに考えると、そうなるでしょうか。
ところが、現実は、です。

むしろ、かたくなる
ユビが、ちぢむ

やわらかな環境になじみすぎると、逆にかたくなるんですね。
やわらかい食べものばかりをとっていると、ウンチがかたくなるように。

ウソだと思ったら、足ゆびで「グー、パー、チョキ」をしてみてください。
やわらかかったら、手のように動くはずですが。

じつは、この足ユビのじゃんけん、小中学生でも、きつくなる子が増えているようです。
足ユビが、ちぢこまって、動かない。
クッション性の高いクツをはいているから、なのかな。
あの、月のマークの。

文字通り、シルクロードのスタート点、足ウラと足ユビのちぢみ
大丈夫ですか。
なにせ、ちぢみは、かたさに結びつくから。
かたさは、もろさをかかえるから。

 



 

たーさん
足ウラの 瞬時の変化は 反射反応

 

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