どっちだ?
「たべない」で、走る。
「たべられない」で、走る。
両者のあいだに、どれだけの差がでてくるでしょうか。
ひとは、かくも弱き存在なのか。
いえ、すいません、自分のことです。
勝手に、世間一般にまで、はなしをもってゆく意図はありません。
先日、参加させていただいた岩手銀河100kmマラソンでのことです。
100キロを走る。
わたくしの走力では、走りきれたとしても、制限時間の14時間をフルに使うことになります。
1日8時間労働なんて、どこのはなしだ、という世界です。
目一杯の残業。
つまりは、14時間あまりを、コース上でヨタヨタ走るということです。
日の出前から、日の入りまで。
これはつまり、1日の2食ないしは3食分の時間ということです。
なので、ウルトラマラソンエイドでは、食事のたぐいも提供されます。
オニギリ。
パン。
さまざまな果物類。
バナナやオレンジなど。
さらには、ご当地名物だって、顔を出してきます。
ほぼ、「例外」なしにです。
ところが、今回の岩手銀河は、その例外となりました。
オナカにたまるものの提供がない。
「きょうは、たべものがないまま、走りつづけるのか」
(わたくしの個人的な感想です)
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ない
コース上、最初のエイドでは、キャラメル等の小さなつつみが並ぶ。
最初だしな。
いきなり、メインディッシュを期待はしません。
次だって、同様。
そんなに朝はやくから、待ちかまえてはいません。
なにしろ、午前4時にスタートというレースです。
およそ4〜5キロごとにならぶエイド。
どこまでいっても、あまり変化はみられません。
シンプル。
ただならぬ雨も、降っていましたし。
いえ、ときにゼリー系がならんだエイドもありました、たぶん。
ところが、わたくし、個人的にちょっとゼリーが苦手です。
宇宙食としてなら仕方がありませんが、なので宇宙にゆく気はありません。
このまま、食事類の提供はないのかな。
空腹には、比較的強い、とは思っています。
強い、というより、にぶい。
休みの日は、早朝起きぬけから昼まで、水分くらいしかとりません。
その間に、走って、野良仕事。
でもやはり、昼近くになれば、さすがに空腹感がでてきます。
そろそろ一区切りして、お昼だあ。
ところが、です。
このレース。
ゴールするまで、ちゃんとしたたべものは、ないのかな。
そう思いはじめると、急に空腹感がどーんとでてきました。
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現実
人間、そんなにたべなくても、安易にエンストはしません。
水分さえとれていれば、大丈夫です。
これを「たべなくても」大丈夫な状況とします。
そうです、そんなにガツガツしなくても、心配は不要。
年とともに、そういう体質にもなってきています。
しかしここに「たべられない」というスイッチが入ったら、どうでしょうか。
じつは、このスイッチが、入ってしまったのです。
いやいや、さすがに同じエイドがつづくことはないだろう。
いずれ、おおきなエイドにゆけば、たべものがあるはず。
コース上には、コンビニだって待っているはず。
しかし、結果として、エイドに救いはありませんでした、シュン。
バナナ1本にも、出会いませんでした。
コンビニにも、意識しはじめた30キロ以降、一軒も出会いませんでした。
(見落としていた可能性は、否定しませんが)
結果として、オナカに入ったのは、携帯していた少量のお菓子のみ。
これは、ほんの遠足のおやつ感覚。
そして、ミソが主体の飛脚玉。
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スイッチ
「たべない」でも平気と思っていれば、そうなっていたかもしれません。
一方で、「たべられない」スイッチが入ってしまうと、きつい。
いわば、ネガティブスイッチです。
もともと、わたくし、ノー天気系の人間かと思っています。
もちろん、日々、なやみには出逢います。
うーむ、と考えこむ日々。
でもそれは、眠くなるまで。
夜になれば、フッと意識がとぎれて、気がつけば朝です。
はい、血液型は「0」。
このレース中は、途中で、3度のゲリラ豪雨に見舞われました。
目もあけていられない降り。
つめたい、さむい。
そんな中を、走ってゆくアホーたち(失礼)。
ひとりじゃ、決して走らないよなあ。
ひとりで走っていたら、相当あやしいヒトだよなあ。
なんて考えながら、それも楽しんでしまう。
そんなわたくしに入ってしまった「たべられない」スイッチ。
このスイッチが入らなかったら、100キロくらい、たべなくても大丈夫だったでしょうか。
「いや、それは危険です」
と、専門家のセンセなら、おしかりになるかも。
そういうセンセには、言い訳させていただきます。
「そういう前に、100キロ走ろう、ということ自体が不健康なんだよ」
うーむ、説得力ありません。
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メンタルには、メンタルか
レース中の食事。
ここに客観的な数値をもってゆくのは、むつかしそうです。
ふつうの生活だって、客観的にわかるわけじゃないんですから。
要は、気持ちです。
気合いです。
ノリです。
暑かった前回の沖縄100kマラソン。
後半戦のヘロヘロ状態を救ったのは、コース上のローソンのアイスクリームでした。
ペロペロ走りながらたべるアイスで、元気回復。
こういう裏付けのない事実。
ほとんど気持ち、メンタル?
ポパイだって、ほうれん草の缶詰ひとつで、人間が変わっちゃうんですし。
そういうこと、ありえると思います。
これさえ持っていれば、100キロ行程のオナカはもつ。
そういう携帯食を、考えてゆきたい。
栄養素、ではありません。
カロリーでも、ありません。
わが信ずるもの、もはや宗教ですか。
いやはや、レースはいつも勉強になります。
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気持ちさえ たべものになる 不思議さよ
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