アタマで走る
若いヒトと、わたくしのような非若いヒトとのちがい。
そりゃ、何から何まで、ちがいます。
それは、わたくしにも、かつては若い時代があったので、少しはわかります。
少ししかわからないのには、理由があります。
若いときには、年老いた立場なんて、なかなか考えられなかったこと。
そして、もう若いころのことなんて、忘れているから。
そしてそれは、走りについても、いえるんじゃないでしょうか。
そうです、走り方は、年代でぜんぜんちがう。
たぶん、ね。
わたくしが走りはじめたのは、40歳をまわってから。
運動無関心のメタボ人生が、少しずつ、変わってゆきました。
すでに「体力」のピークは、山をこえていました。
って、わが人生に、ピークなんてあったんかい。
なにしろ、同年代のプロ運動選手も、おおかた引退している年代ですし。
その後は、ころげ落ちる一方。
いまでも、ゴロゴロ、くだっています。
なので、筋トレうんぬん、役には立ちません。
ならば、どうする。
アタマで、勝負だべ。
アタマで走れるのか?
そんなこといっても、アタマで走れるのか?
アタマに、足はついていないぞ。
はい、そうです。
そこで、「理屈」というのが、でてくるのですね。
わたくしの場合は、そこに「へ」がついちゃいますが。
「へ理屈」をこねる。
これぞ、中高年の特権。
そして、しばしばキラわれる原因にもなるんですが。
でも、力ではのりこえられないから、仕方がないんです。
ただし、へ理屈で終わらせない。
それを、実践してみる。
そして、ふりかえってみる。
そうです、へ理屈は、「実践」に挑戦する理由づけです。
へ理屈だけで、すまさない。
自分のカラダで、ためしてみる。
そこで、本当のへ理屈であったか。
もしかしたら、ちょっぴりでも何かがあったか。
分水嶺になるところですね。
人間ハイブリット論
人間の活動するエネルギー源。
それには「糖質」と「ケトン体」の2つがある。
なので、ハイブリッドカーと同じです。
以上は、へ理屈ではありません。
すでに、ひろく認知された事実です。
問題は、このハイブリッドシステムを、どのように活用したらよいか。
活用法です。
ハイブリッドカーといいながら、一方しか使われないなら、宝の持ちぐされです。
効率もよくない。
たとえば、ハイブリッドカーのエネルギー源は、「ガソリン」と「電気」です。
ガソリンには、ガソリンの特徴があります。
まず、すぐに充填できる。
瞬発力もなかなかのもの。
ただし、給油しないと、働きません。
電気には、電気の特徴があります。
ひじょうに、なめらか。
ただし、充電に時間がかかる。
いまのところ、モチも十分とはいいがたい。
うまい使いわけが、ドライブのコツ。
主エネルギー
人間の主エネルギーは、ケトン体です。
そして、その耐久性と安定性は、群をぬいています。
ふつうのヒトで、1ヶ月以上もまかなえるケトン体エネルギーが、カラダにたくわえられています。
そして、胎児の時代は、ほぼ100%ケトン体で育ちます。
発生学的にみても、人間は、ケトン体で生きる動物です(個人的見解)。
そして、食料的にも、ケトン体の材料だったら、ほぼ1年を通じて、手にいれることができます。
何万年もの長い歴史の中で、生きぬいてこられた一因でしょう。
すごいじゃないか。
ところが、だからといって、万能というわけではなさそうです。
草木や果実をとるという草食時代には、それで充分でした。
ところが、エモノをとる、エモノから身を守る、となると不十分です。
瞬発性が、いまひとつ。
そこで、「糖質」利用回路が、つくられていったのですね(個人的見解)。
糖質エネルギーは、パッと燃えてくれる。
酸化しやすいんです。
瞬発力なら、まかしておけ。
でも、エネルギー貯蔵量は、少ないままです。
よくもって、半日。
ま、瞬発力っていうくらいですから、瞬発で利用できればいいんですから。
ただし、糖質は、いつも、容易には手にはいりませんでした。
果実の季節だって、短い。
その実だって、糖分はごくわずか。
そうです、品質改良される前までは、みんな酸っぱかったはず。
そして、ずっとずっと、チョコもコンビニもない時代だったんですよ、人間の歴史は。
想定外
ところが、です。
人類何万年という歴史のなかで、「糖質」に不自由しない時代がきちゃったんです。
いえ、不自由どころではありません。
ある意味、糖質まみれの時代になっているんです。
いままで、決してありえなかった事態です。
神さまだって、こんなこと考えていなかったでしょう。
これまでの何万年も、糖質なんてめったにとれない時代でした。
ですから、カラダから、「糖分」がへる。
すると、なんとか最低ラインを維持しようと、糖分をしぼりだす(糖新生)工夫を、全身でおこなってきました。
血糖をあげようとする方法は、いく通りもあるんです。
あの手、この手。
だって、いつも血糖値は、低めギリギリでくらしていたからです。
まるで、わたくしの学生時代の成績のようです。
それが、ここ数十年の大逆転。
たべるエネルギーの半分以上が、糖分となってきたのです。
半分以上、というのは、さし障りのない表現です。
8割9割が糖質、なんていう、糖質まみれのヒトまで出てきているんです。
しかも、その絶対量たるや、毎日が大食い選手権か。
あり余る糖分が、オナカの中に、流れ込んでくる時代です。
有史以来、はじめての大事件です。
ここで、いちやく脚光をあびてきたのが「インスリン」というホルモンです。
いままで、出番は、ほとんどありませんでした。
でても、チョイ、と働けば、もう任務完了です。
それが、いまや「終日フル勤務」状態です。
24時間、働けますか、と問われつづけています。
体内で、いちばんブラック的に働かされる存在です。
もちろん、休日なんてありません。
そのインスリン。
「血糖値をさげるホルモン」ととらえていませんでしたか?
ここまでですと、走りには、たぶん役に立ちません(個人的見解)。
見方をかえてみる。
すると、走りの活用法が生まれてきます、たぶん。
はい、オトナのへ理屈なんですが。
(つづく)
インスリン 活用法が 走りをうむ
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