70キロは、ギリギリ
ヨレヨレ走行。
まったく、スピードにのれません。
お散歩中の方に、ぬかれそうです。
いくつもの橋の下をくぐって、また土手コースにのぼります。
すると、先にテントの姿。
たぶん、あそこが70キロポイントだ。
時計をみます。
午後3時30分が、関門のはずです。
あと、数分。
このときばかりは、ダッシュで、ぎりぎりチェックイン。
でもって、ここでフン切りがつきました。
つぎの80キロ地点の関門が、1時間後の4時半。
とても無理です。
「ここで、力つきました、もう次は間に合いません」
「いや、関門時間が延長になっているよ」
こんな返答をいただきましたが、くわしくは聞き直しませんでした。
気力的にも、降参しました。
「ああ、ここはオニギリがあるんですね」
そうか、エイド中、ゆいいつ帰りに1人に1個のオニギリ提供場所、とあったのを思い出しました。
「ひとつ、いただきます」
ひさしぶりの、お米をモグモグ。
「おいしい」
こういう場面での、塩オニギリは、ごちそうです。
ここで勝敗は、決しました。
とはいえ、これで終了ではありません。
さあ、さいごの力、ゆくぞ。
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こういう状況下のオニギリは、輝いてみえます。
80キロは、まだまだ
スタート地点が、ゴール会場です。
もってきた荷物を置いてあるのは、スタート会場です。
そして、そこは100キロ組の80キロ地点になっています。
そこまで、もどって80キロ。
さらに下流に10キロくだって、Uターンして戻れば100キロ完走となります。
おもしろいコース設定だな。
さいしょは、そう思っていました。
そして、実際に走ってみて、その意味がわかってきました。
80キロを走れば、とりあえず、荷物が受けとれる。
収容車がまわっていないこの大会は、荷物の回収も自己責任です。
とりにもどれなければ、後日、宅配便で送ってくれますが。
なので、なんとか80キロ地点までは、自力でたどりつきたい。
さいわい、まだ3時半をまわって、10分ほど。
はい、70キロエイドの停車時間は、10分間。
が、いきなり石ころゴロゴロのコースが、お出迎え。
うーん、もはや、この上を走ってはゆけませぬ。
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もはやワラジで、この上を駆け抜ける気力はありません。
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完全なるコースアウト、わたしは何処へゆく?
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すっかり生活路になってるじゃん、ランナーの姿は皆無。
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公園の中も、突っ切ってゆきます。道もなくなる。ここは何処?
東京絶景
多摩川沿いを、走るだけ。
なので、東京気分は、味わえません。
ところで、石ころコースは、もうアシ裏がネをあげています。
そして、コースはどこをとってもいいルールになっています。
そこで河原コースからはずれて、路地なかへ入ってみました。
住宅街。
東京の町の中。
さすがに、ジャリ道はなくなります。
ところが、川に沿ってのストレートな道は、そうそうありません。
あっちに向かい、こっちに曲がり、ときに立ち往生。
こりゃ、明らかに川から離れる一方じゃん。
そんなドタバタ劇をおりまぜながらの、帰り道中。
地名も、続々かわってゆきます。
折り返しからみても、昭島市、立川市、府中市、調布市、狛江市、世田谷区、そして大田区などでしょうか。
おもしろい発見もしました。
世田谷区に入ると、家のつくりが、ちがってくるのです。
庭にとまる自家用車が、やけに高級車ぞろいになっています。
外車も、ドーンとめだってきます。
そういうお国柄なのでしょうか。
単なる、印象ですが。
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あとは、どれだけ楽しんですすめるか、です。
ゴールの気づかい
ヘロヘロになりながら、80キロ地点に、たどりつきました。
なつかしの、スタート地点でもあります。
アシ裏は、もはや限界です。
反対方向からもどってくるのは、完走ランナー。
ま、まぶしい。
「80キロです、時間切れです、コウサンです」
ピッと、タイムの集計をして、申しでました。
「もう、走りませんか?」
予期せぬ質問を、受けました。
「ははは、すんごい制限時間切れですから」
「いや、いってもいいんですよ」
「いえ、もう走れません」
「じゃあ、ご苦労さん。それでは、80キロ完走としましょう」
「はい???」
「80キロの完走者に認定しますから、完走メダルと完走タオルを受け取ってください」
「はい?????」
「じゃあ、あそこで」
おずおずと進むと、バスタオルと完走メダルを差し出されました。
「カアー」
ちびまるこちゃんが、おじいさんから、お小遣いをもらったときの顔になってます。
冷えた肩に、バスタオルがあたたかい。
それより、ひとの情けが、あたたかい。
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さよなら、あんよを痛めてくれた道さん。
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この狭い道をぬければ、80キロ地点だ。
まちがってます
河原のほとりで、ホカホカ気分にひたりながら、帰り支度。
うれしさで、あたたかな涙が流れ落ちます。
すると突然の大粒の雨の襲来、ヒョウまでまざっています。
もー、どーにでもなれ。
さいわい、雨はすぐに通り過ぎてくれました。
それにしても、完走メダルをいただいちゃって、よろしかったんでしょうか。
後日、大会規約を読みなおしてみました。
「100キロ選手で、10時間以内に80キロに到達した場合、80キロ種目の完走者とする」
だめじゃん。
きちんと、書かれていました。
堂々たる、10時間オーバー。
しかしなぜか、後日、記録証も送られてきました。
80キロ完走、記録、11時間37分19秒。
ぜんぜん、該当してないじゃん。
どうしましょう、タオルは返送でしょうか。
でも、そういえば、当初の「決まり」が相当変わったと聞きました。
コースが、いろいろ寸断されていたりしていたからだと。
たとえば、70キロ地点の関門時間も、変更されていたな。
あとの変更点は、聞いていませんでした。
そういう一環かな。
ま、よいように解釈させていただきます。
(わたしの基本習性)
GPS時計での、おおまかな20キロごとの結果です。
20キロ 2:14:58
40キロ 2:33:38
60キロ 3:05:42
80キロ 3:43:01
まあ、関門アウト、というときは、こんなものです。
生きて生還できたからよし、とします。
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関門アウト、ドシャ降り、すべてが終わって、日が暮れる。
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ヒタヒタと 身にしみるなり 関門の壁
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