「絵」になる歌
20世紀は、映像をふくめた情報進化の時代でした。
その場だけの歌の世界が、レコードの出現で、どこでも楽しめるようになりました。
レコードを回せば、歌手の歌が、目の前で再現される。
やがて電波にのって、同時に多くのひとへと、歌が届くようになります。
ラジオ放送の開始です。
そしてやがて、映像の時代へと入ってゆきました。
テレビの登場です。
それまで聴く一方だった歌が、テレビ画像をとおして見ることも可能になったのです。
耳からの伝達に、目からの情報が加わったのです。
ラジオの時代は、歌手の歌う姿は、想像するしかありませんでした。
テレビの時代に入り、それを実際に見られるようになったのです。
この刺激は、画期的でした。
視覚が、たのしめる。
一気にテレビの普及がはじまりました。
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映像の歌
テレビ放映がはじまっても、歌手は、歌うことに専念していました。
東海林太郎さんなんか、直立不動でマイクの前にたって歌っていました。
ところが、せっかくテレビに写るんです。
歌だけでなく、姿かたちが伝わるのです。
見栄えを、もっと前面に出してもいいのではないか。
やがて、あたらしい発想が花開いてゆきます。
その先駆的な歌。
それは、麻丘めぐみの『私の彼は左きき』です。
テレビ映えのする振り付けで歌をうたう。
振り付けで歌の魅力を倍増させる。
振り付け歌部門の古典的名曲と称されています。
(わたくしの独断)
その流れは、やがてピンクレディーの『UFO』で全開になってゆきます。
『UFO』の振り付けを覚える。
これは、当時の女子小学生の必須科目みたいになってゆきました。
そのあとは、もう何でもあり。
全員参加型の振り付け例としては、AKB48の『恋するフォーチュンクッキー』もその1例。
わたくしまでも、忘年会用ラジオ体操として、覚えさせられました。
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古典
という流れが、世間一般の常識でしょうか。
あくまで、わたくしなりの解釈なんですが。
ところがです。
もっと以前に、「振り付け」で魅せる歌があったのです。
それが、植木等の『スーダラ節』です。
「ちょいと一杯のつもりで飲んで」
ではじまる、リズミカルな歌です。
いまも、YouTubeなどで見ることができます。
「スィースィースィーダラタッタ」
と流す部分のカラダの動き。
まさに、あの振り付けが見事なんです。
これこそ、元祖「振り付け」歌謡の古典。
(これまた、わたくしの個人的見解)
思いおこせば、わたくしの幼少時代。
この曲は、わたくしのオハコでした。
人前でこれを披露して、受ける。
わたくしの、はなばなしき芸能界デビューです。
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酔っ払い音頭
はやいはなし、スーダラ節は、酔っ払いのおっちゃんの歌です。
ですから、振り付けは、当然酔っぱらった雰囲気が大切です。
酔っぱらったように舞い、相手をたおす。
隣国では、「酔拳」という術まであります。
これは、なかなか高尚です。
ところが、スーダラ節は、単なる酔狂です。
だれでも、簡単に踊れます。
1番の勘所は「スィースィースーダラタッタ」ではじまる踊りの部分です。
左半身を軸にして、右手、右足を振ってかろやかに。
そう、酔っ払いの雰囲気を大切にして。
できますか?
わたくしは、いまでもおジョーズです。
ま、自分でいうのも、何ですが。
って、難易度むちゃくちゃ低いですから。
踊れたから自慢できる、なんてことはまったくありません。
ところが、そうじゃない方がいる。
いえ、バカにしているわけではありません。
スムースさに欠ける、ということです。
どこか、ぎこちなさを残している。
そういう方を、運動オンチだとか、センスがない、といいたいわけではありません。
振り付けの相性がよくない、というだけです。
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逆転の発想
スムースにスーダラ節がおどれないひと。
その場合は、体軸を交代すればいいだけです。
右側を軸において、左手、左足をふって、スーダラ節をおどる。
そうすれば、カラダのきれもよくなっていませんか。
そうです。
スーダラ節は、左を軸におどれるひとがいる(正調スーダラ節)。
右を軸におどれるひとがいる(逆スーダラ節)。
これは、右利き、左利きとは関係ありません。
水面に顔をつけて、泳いでゆく。
右に顔をあげて息継ぎするひとは、正調スーダラ節タイプ。
左に顔をあげて息継ぎするひとは、逆スーダラ節タイプ。
自分は、どっちでしょう。
無意識に息継ぎするほうをむいた方が楽なんですね。
きほん、必ず、右か左をむきます。
むかないと、息がすえませんし。
となりのひとと話をするときも、そう感じていませんか。
相手が、息継ぎする側にいてくれたほうが、落ち着く。
カラダも、楽。
走り方も、そうですね。
わたくし、自分の走りは「正調スーダラ節」タイプだと気がつきました。
正調スーダラ節を踊りながら、走っていると気持ちいい。
中長距離界にあらわれたヒロイン、グンマーのセーラームーン。
不破聖衣来さん。
彼女は、見事な「逆スーダラ節」タイプです。
YouTube等で、ご確認ください。
ちょいと1杯のつもりで、さあスーダラ節をおどろう。
セーラームーンにつづけ。
この解明を冬の課題とします。
(つづく)
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走り方 その本質は スーダラ節だ?
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