昔のトレラン大会?
合戦場は、トレラン会場だ。
走る。
のぼる。
かけくだる。
現代のトレランとのちがい。
選手、いえ兵士の必需品は、リュックでも水筒でもない。
ヤリだ。
刀だ。
甲冑だ。
そして目的地は、ゴール会場ではない。
そもそも、ゴールは決まっていない。
状況におうじて、逃げてゆく。
目ざすのは、ゴールではなく、テキの首。
テキがいなくなるか、敗走したところでゲームセット。
いやはや、そんな時代があったんですね。
われらがご先祖さまたちは、とんでもなトレランをされていたようです。
背中にしょった水筒の水をチューチュー吸いながら「いい景色だねえ」なんて余裕はなかったんです。
身をふせての移動。
人の気配に、神経をとがらせる。
うかつに進めば、命をとられかねない。
まことに、生きるか、死ぬか。
そんな合戦場に、「ラン」があったなんて、考えてもいませんでした。
それを教えてくれる本に出あいました。
走りありき
戦国時代の見る目をかえる本でした。
その名は『戦国ラン』。
その下に「手柄は足にあり」と書かれています。
著者は、黒澤はゆまさん。
走ることが趣味のようです。
走力は、たぶん、ふつうのランナー並み、というかやや下(失礼)。
おもしろい着眼をされる方です。
戦国地図を、ながめる。
人の流れを追う。
時間を、あてはめてゆく。
すると、そこにはユルユルと移動する人の流れはみられませんでした。
考えてみれば、当然のとこでした。
なにしろ、合戦です。
命のうばいあいです。
テキより、先んじること。
テキの、出鼻をくじくこと。
テキより、はやくに動くこと。
それらができなければ、逆にやられてしまうのが、合戦です。
命をかけたタタカイ。
「運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり」とは、本書にも登場する上杉謙信公のコトバです。
「戦ほど走るものはないぞ。
攻むる時も、退く時も走る。
戦に出て走れなくなった時は、死ぬ時だ」
うーん、さっそくその世界をのぞいてみましょう。
桶狭間の戦い
本書では、5つの合戦場面が登場します。
大阪夏の陣
本能寺の変
石山合戦
桶狭間の戦い
川中島の合戦
それぞれ、その全貌をおうわけではありません。
戦いのキモとなる1日、または数日をおったものです。
たとえば、「桶狭間の戦い」
第4章に登場します。
この戦いの決め手となった、永禄3(1560)年5月19日の1日をおいます。
圧倒的に駿府、遠江、三河を中心に勢力をのばす今川義元(42歳)勢。
100万石。
その日の軍勢25,000。
かたや尾張をまとめはじめた織田信長(27歳)勢。
今川の勢いにのまれそうになっていました。
この日の軍勢2,000にも満たない数。
名古屋や熱田などをむすぶ美濃路。
その中の桶狭間。
ただただ広い空間。
というのは、今の姿で、当時は多くの河川や湿地帯のひろがる丘陵地帯。
信長勢は、地元でもあり、この地形を熟知。
一方で、義元勢は、土地勘のうとさを露呈。
この差が戦局を変えてゆき、勢いで飛び出してしまった義元は、信長の精鋭部隊に首をとられる。
その日の信長の1日を、検証しながら、著者は走る。
その距離、約40キロ。
フルマラソンの距離じゃないですか。
当時は、これで終わりじゃありませんでした。
ここに至るまでの行程。
首をとったあとの行程。
この連続した行動を、走りとともに決めてゆく。
戦い、ハンパじゃない。
川中島の戦い
武州(山梨)の雄、武田信玄。
山の中にあって、どうしても欲しいのは塩の道でもある海路。
しかし、南方には、今川・北条勢がしめてすすめない。
ならば、日本海しかない。
そこにまつのは、越後の雄、上杉謙信。
必然的にぶつかりあうこと、3回。
ただ、それまではお互いの勢力が拮抗して勝敗はつかず。
にらみ合いがつづく。
ただし、いつまでもこう着状態では、男もすたる。
そこで信玄は、軍師山本勘助の「キツツキ作戦」を採用。
ここに、第4次川中島の合戦が幕をおとされたのです。
ときに、永禄4(1561)年、9月10日。
その場面に入ってゆくのが、第5章。
場所は、信州の千曲川がつくる川中島。
広大な平原が見わたせる大地は、ポツリポツリともり上がりをつくる。
そこに、たくさんの山城がある地形。
信玄勢は、海津城(松代城)をひそかに出て、にらみあう謙信勢に向かう。
一方、迎え撃つ謙信勢は、すぐ先の美女山に陣取る。
信玄勢がせめる、するとそこにいたはずの謙信勢はもぬけの空。
と、思うと、やがて千曲川沿いに大合戦が始まる。
軍師山本勘助も死し、ついに総大将同志の一騎討ちへ。
その後の、謙信の北への敗走。
その日の武田軍の1日を走る。
のぼり、くだりの11キロ。
しかし、当時は、濃霧の底で野に伏せ、美女山にのぼり、川をわたり、走り戦い、また走り。
まだまだ、戦いの1日。
コースの今昔
5つの合戦。
まず驚いたのは、当時の地形です。
いまは、あたりまえのように道ができています。
道があれば、家がある、店がある、自販機ある。
しかし、合戦時代は自然のまんま。
道はない、茂みや沼、川が縦横無尽にひろがっている大地。
ああ、日本って、こんなにも変わってしまっていたんですね。
向こうに敵陣が見えていても、まっすぐにすすむルートはとれない。
道がないから。
へたに茂みに入れば、身動きがとれない。
ま、いまの広範な耕作放棄地一帯が、ふたたびそうなりつつありますが。
そんな中を、走る、走る。
戦いというのは、歩いてすむもんじゃなかったんですね。
その速さと、タフさは、実際に擬似体験してはじめてわかるものなんでしょう。
ご先祖さま、あらためて、すごい。
そして、そういう走りができた当時の兵士のあっぱれさよ。
しかし、それとは離れますが、合戦につぐ合戦の時代。
そんな人間の本質は、時代がうつっても変わらないものですね。
領土のぶん取りに、血まなこな国。
領土ではなく、利権のぶん取りに、血まなこな国。
いまも、ぜんぜん同じ状況がつづいています。
いやはや。
いや、本の世界にもどります。
戦時の再現。
緊張感。
いろんな体験を味合わせてもらえる、すばらしい本です。
こういう走りがあった。
走らねば とることかなわぬ テキの首
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