飛脚走りで、2018沖縄100Kウルトラマラソン、前半戦

12月16日、午前5時

南十字星こそ見えませんが、明けの明星がかがやくやみの中、与那原町長の合図で沖縄100Kウルトラマラソン(100キロの部)はスタートしました。
年末、クリスマス、忘年会、と世間は年の瀬に走りまわっているなか、ここにスタートしたノー天気なランナーは総勢545名。

歩くのは健康に良い、ちょっと走るのはもっと良い。
でもウルトラマラソンは、健康には良くはありません。
悪いと知っててやる。
こういう不良の遊びも楽しいものです。

コースは、沖縄本島の東南部、与那古浜公園をスタートしてほぼ海沿いを時計回りに南部全体を走るとあらわれる西南部の糸満市役所が50キロの中間点になります。
そこをUターンして、こんどは内陸にわけ入り、もとの場所にもどってくる南国南部ドリームコース。
海、山、畑、と沖縄の大自然を満喫できる欲ばりルートが設定されています。

とはいえ、スタート直後はまだ暗やみです。
手にもったライトの灯りが、足元を照らすばかり。
前を走るランナーの背を追いながら、たんたんと進みます。

くらやみから身を守るため、要所要所の交差点には、交通指導のオレンジ色のライトを照らした地元のオジイ、オバアたちが道案内をしてくださっています。
その数、ハンパではありません。
まことに頭がさがります。
(沖縄では、オジイ、オバアとは、うやまうべき年上の人、という意味でつかわれていて、決してバカにしているわけではありません。オジイからのひとことです、あしからず)。


スタートは、まだ闇の中。

 

半島、そして日の出へ

やみの中でも、潮のかおり、波の音がとどいてきます。
「私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ」
つい堀口大學の名訳で知られるコクトーの詩なんかが思い浮かんできたり。
まだまだ余裕。

この一帯は、琉球神話のなかでも最高峰の聖地ともいわれる「斎場御嶽(せーふあうたき)」などもあり、世俗にまみれたわたしなど恐れ多い感じもありますが、身を清めるつもりで突入させていただきます。

やがて坂道をのぼってゆくと東南端に突きでた知念岬となります。
15キロ地点、急に東の空が輝きはじめると、海と空の境界線があきらかになってゆきます。
日の出前の明るさに場面は切りかわってゆきます。


知念岬から望む太平洋。明るくなってきました。

 

三方を海に囲まれた岬から大海原を堪能すると、ふたたび坂道をのぼり、やがて急降下して海岸線へとおりてゆきます。
右手につづく山の斜面には、ニライカナイ橋が見えてきました。
帰路は、あの橋をくだってくるのです、まだゼンゼン先の話です。


見上げれば、帰路にくだるニライカナイ橋が。

 

往路は、浜にそい、しばしばサトウキビの群落の間を走り、南方へとむかいます。
やがて空気が急にキラキラしてきたなと思って水平線に目をむけると、海の底から太陽が顔をのぞかせてきました。
本日のご来光。


おごそかな日の出。このあと太陽がガンバる。

 

おもわず立ちどまって、手をあわせてしまいます。
それに気をよくしたのか、本日の太陽はことのほかハッスル。
このあと、ギンギラギンの夏の光線を目いっぱい注いでくることになるのですが、そんなことをまだ知るよしもなく、新原ビーチ、百名ビーチと美らビーチを堪能して走ります。


 

奥武島は天ぷらの島

海岸線、といえばノドかな地形を思い浮かべるかもしれませんが、砂浜がつづくわけではありません。
崖もせり出しています。
すると、そこをのり超えてゆかなくてはなりません。
ときにヒーハー、とても走ってはのぼれない坂を超えつつ、距離をかせぎます。


サトウキビにかこまれたのぼり坂

 

すっかり陽の光につつまれるころ、22キロをこえて海の先にぽっかりと浮かぶ奥武島があらわれます。
今は、橋でつながっています。
ここに渡り、小さな島を一周します。

奥武島は、天ぷらの島として有名だそうで、いくつかの天ぷら店には観光客が行列をつくるとか。
そんな観光の島でもあるため、公設エイドもありますが、私設のおもてなしもいたれりつくせり。
もずく天ぷらをいただきました。
カラッと、おいしい。


島をぬけると、ルートはやや海岸線からはなれ、小さな坂ののぼりおりをくり返しながら、集落、畑、集落と風景が切りかわってゆきます。

 

絶景、鎮魂、慰霊

小高い場所にくると、かがやく太平洋が一望され、くだると刈り入れをまつ背丈よりもたかいサトウキビの中に入る。
そんなくり返しのなか、道標がふえてきます。

ひめゆりの塔、平和祈念公園、各県の慰霊塔、碑、そのほか小さなものをふくめると数えきれない戦争のつめ跡を案内する掲示板。
ひとつひとつに、戦中の物語が刻まれています。
通りすぎるだけなら美しい、ですんでしまいそうな絶景の中の激戦の記憶。

そして、この話は過去形になっていません。
いまだに沖縄では、戦争は終わっていません。

平和創造の森駐車場(42,3キロ地点)が、第2関門です。
このレースでは、都合9箇所の関門がもうけられていて、制限時間内にそこを通過できないと収容となります。
この直前にフルマラソンの距離をこえているはずですが、その案内はありません。
まだまだ、前半戦です。


 

そして糸満市役所前広場(50キロ)へ

小さなアップダウンをくり返すうちに、やけに暑くなってきました。
1番の原因は、日差しです。
容赦のない太陽光線が、真上からつき刺さってきます。

平らな大地は、光をさえぎるものがありません。
注がれる日差しは、地面からの照り返しで反射し、沖縄の光景すべてが輝いています。

暑い。
まぶしい。
朝は氷のはる日常から、一転してこの気候。
走りながら、クラクラしてしまいます。


暑さのなかの声援。涙がでます。

 

ガンバー。
それを支えてくださるのが、給水所のスタッフです。
前半は若い人、とくに高校生が大ハッスルしてくださっています。

「さあどうぞ」
給水テーブルにつく前に、もうコース上に待ちかまえて紙コップをさし出して待っていてくれます。
わたしは、基本マイカップで水をいただいていますが、ここでそんなヤボなことはいいません。
「わあ、ありがとー」
給水所は、何よりも元気の補給場所です。

長くおりる坂道の先に、真っ白な大きな街並みがみえてきました。
糸満市街地です。
海岸線にそって真っ白くつづく歩道の先に、ひときわ目をひく糸満市役所がそびえています。
ちょうど中間点となり、コース上最大の給水所となっています。
ランナーは、自分の小荷物も置いておけます。


糸満市役所が見えてきました。

 

50キロ、距離でいえば中間地点です。
5時間50分で到着、午前11時になるところです。

市役所前広場には、たくさんの方が出迎えてくださっています。
おにぎり、パン、お菓子、果物、さまざまなご馳走がならんでいます。
頭から水をかぶっているランナーがいます、師走ですよ。
でも、気分は半分とはゆきません。
まだまだまったくの前半戦、ここからがウルトラのスタートです。


文字通りの南国です。

 

沖縄のコース事情

ウルトラマラソンは、基本的に、歩行者として走ります。
つまり、歩道を走ること、信号機ほかの交通規則にしたがうこと。
とうぜん赤信号では、止まります。

沖縄の歩道の多くは、白く輝いています。
原因は、素材にあります。
サンゴの小粒をかためたような場所が多い。

水はけはよさそう。
ランニングシューズにも、クッション性はよさそう。

ところが、少し時間のたった歩道は、接着性が低下して、白い小粒がバラバラとなってジャリ道の様相をみせてきます。
これは、ワラジにとっては、キビシサがあります。
少しでも路面を「こすれ」ば、大きなマサツがかかります。
本当にやさしく走らないと、ワラジはたちまちスレていってしまいます。
走り方の試金石、といっていい路面。

50キロを走って、ワラジの裏面は、かなりの消耗がみてとれます。
このままだと、後半もたない。
50キロ地点で、はきかえました。
いやあ、まったく普通のランナーには関係のないお話でした。


路面拡大図。小石のかたまり。

 

路面から目をあげると、沿道は沖縄植物園です。
南海のパラダイス。

大きく育ったガジュマロの木は、走りながらも圧倒されます。


木登りのしがいがあるよなあ。

いたるところのハイビスカスは、原色で光っています。


さあ、まだまだいける。
夏の日差しの照りつけるなか、後半戦にむけて、再スタートです。

 

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