折り返しの道
折り返し点をさかいに、景色がかわる。
といって、こんなにもみごとに、切りかわるものでしょうか。
かわりうるんですね。
人生だって、同じじゃありませんか。
わたしはもう、堂々たる折り返し人生。
目にうつるすべてが、昔とはちがってみえています。
ちがってみえるから、生きかたもかわる。
かわれないひとが、政治家とか、ニュースを騒がせるひとになるんでしょうか。
そうそう、小鹿野ロードレースの折り返しコースです。
ついさっきまでののぼりと、空間が切りかわりました。
まず、加速がつく。
まるで、ターボエンジンをしょったみたい。
ターボエンジンって、どんなエンジンだか詳しくありませんが。
くだり坂の妙です。
こんなにもくだっていたんだ。
のぼっているときには、気づかなかった傾斜です。
両側にせまる山の斜面や木々が、映像のようにうつりかわってゆきます。
それが、いっそう、スピード感をもたせます。
もしかして、自分、はやく走っている。
いいえ、錯覚です。
そんなスピード、出せるわけないじゃないですか。
でも、そんな気分にさせてくれる復路のスタートです。
のぼりで力を出尽くしていなかった余裕でしょうか。
気分は、ちょっとルンルン。
さあて、いつまで、もつでしょうか。
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なんだか、タッタカ走っている錯覚を味わえる道。
いっしょケンメ
まわりのランナーのペースにのる。
こういう醍醐味が味わえるのが、レースのいいところです。
ふだんは、ひとりですから、こういう体験は味わえません。
ひとりで、いっしょケンメ走るなんて、無理です。
そういう根性は、もちあわせていません。
なにより、つづきません。
周囲のランナーさんたち、けっこうなペースで、かけおりています。
この流れに、のっちゃえ。
だって、どんどん抜かれる一方というのも、さみしいですし。
あとで見直したら、このあたりはキロ5分を切るペースでした。
自分ひとりでは、もはや望めない世界です。
問題は、いつまでこのペースでゆけるかです。
どう考えたって、ゴールまでもたすなんて論外です。
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こんなコースが、続いたらいいんですけど。
いいペースがかわるとき
レース後半戦、いつまでもルンルンペースで走れたら、最高です。
しかも、驚きの記録までついてきます。
ところが、マラソンに奇跡はない。
よくいわれることです。
皮算用の通用しない世界。
走っている最中だって、このペースは自分じゃないよな。
よくわかっています。
いつ、ギアが切りかわるかか。
つまり、スピードがガクンと落ちるか。
これが、いがいによくわかるんですね。
あ、ここで落ちるぞって。
ただ、走りながらそんなことを考えてゆけるほど余裕はありません。
ただただ、急に呼吸がかわってくるだけです。
それでも、過去の経験から、こんな状況にはいると落ちる、そう思える瞬間があります。
具体的には、景色が「特別に見えはじめたら」です。
くだりの傾斜が終わっちゃったなあ。
ずっと前見えるけど、まだまだ長いなあ。
あそこから、のぼり坂が始まるぞ。
つまり、視覚の情報。
それも、キツくなりそうだなと思わせる、景色への切りかえのタイミング。
つーことは、多分に心理的ってことなんでしょうか。
うーん、打たれ弱い性格。
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いろんな視覚情報が、なにやら負の感情をよぶ、とか。
もっとニブく
意識がかわると、走りの世界がかわる。
ならば意識をうまく活用して、ランをかえよう。
筋トレいらないし。
まことに安易な発想です。
あいかわらずのノー天気思考。
そのためには、どういう手立てを用いればいいか。
「努力」という選択肢は、なしにして。
そこでたどりついたのは、見なけりゃいいんだよ。
考えなきゃ、いいんだよ。
見ざる。
考えざる。
徳川家康公の教えのアレンジ。
コレなら、なんとかなる。
というより、ふだんから、してないか。
そして思いだすんです。
のぼり坂とか、くだり坂とか考えていない方が、ふつうに走れていないか。
うちのまわりは、坂には不自由しない環境ですから、ふだんは気にしません。
気にしていたら、走れません。
そういうときは、どう走っているか。
視線を上向きにする。
あるいは、足もとに固定。
景色に焦点をあわせず、ボッと走る。
あえて、度があわないメガネをかけているように。
うーん、ナイスアイデアではないか。
これぞ、ランナーズハイ。
自己陶酔、あるいは、手のつけられないアホ。
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できるだけ考えないで、ともあれ前にゆこう。
宿題
ペースは、しっかり落ちてます。
それでも、ゴールがせまるつつある町なかの最後の直線路。
そうそう、ワラジのお寺の前にきました。
じつは往路時、このお寺近辺で「もの知り」風のジジ3人に、順次声をかけました。
「ここにワラジを奉納しているお寺がありますね」
「ああ、あるよ」
「何で、ワラジを奉納しているんですか?」
「何だべなあ、100年も200年も前から、やってるよ」
わたくしの納得する答えになっていません。
レース中だし、それ以上、立ち止まるのもナンだし。
帰り道で、また聞こう。
ということで、復路でも沿道をキョロキョロ。
ところが、スタート時の人出は、もはやありません。
もうすぐお昼の時間だし。
どこぞにインテリ老人はおらぬか。
郷土史愛好家はおらんか。
そう思っているうちに、お寺の前を無情に通過。
こうなったた、もうゴールにとびこむしかない。
ゴールは、スタート時にくぐれなかったかわいいアーチの下を通ります。
タイムは、1時間54分21秒とのこと。
自分的には、パチパチでした。
ゴール後、小鹿野小学校校庭でも、モノ知り風の方にワラジ、ワラジと声をかけましたが、解決ならず。
ワラジ奉納のナゾ。
あとで知ったのですが、ご当地名物となっているという「ワラジカツ丼」を食べなかったこと。
以上2点が、宿題として残されました。
が、なつかしの秩父路のいい大会でした。
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ああ、ワラジ問題を解決せぬまま終わっちゃうじゃないか。
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このアーチのかわいらしさが、かわいく感じました。
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このワラジは、もうちょっとはけるので、ワラジ寺への奉納はまだですね。
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ゴール後の通りの、しずかな路地裏風景。
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くだり坂 人生かさねて たのしみたいが
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