北オホーツク100kmマラソン2019、ガス欠でタジタジ

武士は食わねど

 

さあ、北オホーツク100kmマラソンも、中間点に到着。
多目的アリーナは、たくさんの方でにぎやかです。
洗面所で顔をあらい、手足をぬれタオルでふいて、気分一新。

先には、エイドのテントも一段とはなやか。
ここで空腹をみたして、再出発だ。

さて、とうかがうと、ウドンコーナーを発見。
おコメはないようですが、大丈夫です。
と、思ったら、ウドン容器のかわいらしさよ。
ラーメン屋さんでお借りする、子供用のとり容器ですか。
それとも、お供え用ですか。

ツルツル、はい、おしまい。

おかわり、いただけば、いいじゃありませんか。
いえ、まだ後続があります。
そもそも、並んでいる容器の数も少ない。
ここは、一人一杯が仁義でしょう。

 



草なら、いっぱいあるんだけどなあ

 

給水コーナーは、立派です。
でも、お隣は立派な多目的アリーナ。
水道設備完備(笑)。

よおし、せめて町の中で、コンビニスーパーを見つけるぞ。
無理でした。
もう、ラーメン屋さんでも、大衆食堂でもいい、入ってゆくぞ。
見当たりません。

空腹感を覚えながら、後半戦がはじまりました。

 



こんな給水所、はじめて見ました。ゴーカというか。

 

感覚的エネルギー論

 

走るときに必要となるエネルギー量は、いかほどでしょうか。
さまざまな、数値や資料はあります。

ぼくの愛用するエプソンGPS時計では、100キロを走ると、8,000キロカロリーほどの消費カロリー表示がでます。

しかし、数値というのは、あくまでも机上のものです。
個人差も大きいですし、同じひとでも、状況や体調で変わります。
というか、ほとんど数値化は無理な世界と思っています。

では、何が指標となるでしょうか。

気持ちです。
自分の感覚です。

足りていない、と感じたら、足りていません。
理屈や理論ではありません。
そして、カラダは、思った通りの反応をします。

たとえば、ぼくの休日の朝は、水分だけとったあと約22キロコースを一周、というところから始まることが多いです。
走っているときは、水しか持ちません。
しかも、今の季節は、もどったら、そのまま畑で走るのと同じくらいの野良仕事をしたりします。
口にするのは、畑のトマトをもいで、くらい。
空腹でも、走ったり、働くのには、なれている方です。

ところが、今回は、けっこうな空腹感におそわれています。
さて、カラダは、どう反応してくるだろうか。
それなら、いい人体実験の始まりとしましょうか。

 



あたたかい声援には、ココロから感謝です。

 

馬力が落ちる

 

コースは、再びオホーツク海を左手にみる海岸線に出てきました。
あつい太陽に向かって走っています。
南に走っているのが、わかります。

 



ここだって、立派な直線道路。

 



ああ、このまま海の中に飛び込んでしまいたい暑さ。

 

ここも、長い直線道路です。
しかも、幹線道路っぽい。
ならば、お店の一軒でも、という期待は裏切られつづけています。
視界に入ってくるのは、巨大な風力発電用の風車
やせ馬にまたがった、ドン・キホーテですか。

 



風車が、小気味よくクルクル回っています。あのエレルギーを充填できないかなあ。

 

走りのスピードが落ちてゆくのが、わかります。
のこり42キロを切ってきました。
あとは、フルマラソン1本分
これを6時間半かけてゆけば、いけるんだ。
計算上は、ね。

やがて海岸線に別れをつげると、内陸に進路を切りはじめました。
のぼり、くだりの丘陵地帯へ入ってゆきます。
さらにスピードは落ちる一方です。
キロ9分が維持できない。

 

ガス欠の次は、脱水症に熱中症

 

空腹感も、カラダのバランスをくずすキッカケになる。
自分のカラダで感じます。
たぶん、負の連鎖反応のはじまり。

まずは「脱水」状態に入ってきました。
エイドで、水をいただく。
1杯、さらに、おかわり。
ホッと息をついて、さらにもう1杯。
水を3杯つづけて飲んでも、走りだすそばから、ノドの渇きがでてきます。

 



 

くわえて「熱中」状態にも、ツッコミはじめたようです。
朝から、暑い日差しをあびています。
翌日に読んだ「北海道新聞」では、道内は暑さにおおわれ、全道で少なくとも39名の熱中症の救急搬送があったことを報じていました。
カラダのどこを触っても、ほてる。
こんな日に、ウルトラを走るバカ。

かぶり水コーナーでは、まず、頭からヒシャクでザー。
次に、ウデにかけ、モモにかけ、首のまわりを湿らせ、シャツを濡らし、と水もしたたるランナー作戦。
たぶん、体温はかなり高めになっています。
グターー。

 



 

それでも、走るという非常識

 

景色は、わかります。
歩くのではなく、走りつづけてはいます。
制限時間の計算は、かろうじて、できています。

カラダが、思うように動かない、だけです。
痛みがある、というわけじゃありません。
力の入れどころがわからない、という感じです。

ウルトラの場合、スピードが落ちても、走りつづけてさえいれば、再びチョット回復してくる「サイクル」が生まれます。
それが、まったくない。
このままゆけば、次の関門はアウトだな。

だったら、もう歩いちゃえ。
いえ、それはできません。

レースに無理は禁物
しばしば語られる、よい子の発言。
たしかに、そうです。
でも、ぼくには、無理をしないでウルトラを走りきることなんか、とうていできません。
無理をつづけます。

夏の日差し。
緑こい木々。
のぼり、くだり、カーブ。
一場面、一場面の光景を目に焼きつけつつ、進みます。
大草原から、山手に切り替わったコースの中、ただただ、あえぎつつ足だけは止めない。
ただし、もう走りになっていません。
(つづく)

 



沿道には、めったにひとはいませんが、こういう熱きメッセージが。芸術家だなあ。

 

たーさん
ヨレヨレと 力尽きつつ それでも一歩

 

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