前例なし
まっとうな生体反応は、まっとうなカラダでみられる。
まっとうでもないワタクシが、いうのもはばかられますが、まっとうな真理です。
あーすれば、こーなる。
教科書的な記述は、数多くの、まっとうな反応をおしえてくれます。
ケガをしても、やがてキズ口は、ふさがってゆく。
足首をひねっても、やがて痛みは、消えてゆく。
カゼをひいても、やがて快方にむかう。
そうです、これらは正しい。
これを「自然治癒力」なんて表現することもあります。
でも、ここにも大切な前提条件があることを、忘れたくありません。
「まっとうなカラダ」があって、みられることだよ、ということです。
いまの世の中、いがいと「まっとう」は少数派だったりして。
食事、運動、いろいろとです。
さらに自分を、ふり返ってみる。
まっとうな「老い」というのは、どういうものなのでしょうか?
そもそも、老いに、まっとうなんてあるのかしら。
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主人公登場
明石新平、よわい89歳。
堂々たる「じい」です。
ただし、正確には、じいにはなっていません。
3人の子供がいます。
長男、次男、三男。
みな、50歳をまたいだ中年男になっています。
長男は、高校を中退後、自室にこもりきり。
次男は、自称「長女」となって、若い男と同居中。
自称、フラワーアーチスト。
三男は、アイドル産業に関わるも、少なくはない負債をかかえて、自宅くらし。
つまり、古くなった自宅には、妻の英子88歳、長男、三男との4人くらし。
妻は、すっかり体が弱まっています。
くわえて、夫の浮気をうたがってしつこい。
認知症の初期症状がみられています。
新平が心に決めている、最後の仕事。
それは、妻をきちんと看取ること。
自分は、散骨してくれればいい。
子供たちへの期待は、もてない。
子供たちには、もう自分の始末は自分でしてくれ。
なので、正確には「じい」の身分になれないのです。
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日課
新平88歳の日課は、朝の独自体操からはじまります。
これはいいよ、というのをつなぎ合わせてつくった新平体操。
いいと思えば、ひとつひとつ、増えてくる。
いまでは、ひと通り終えるのに、40分あまりもかかるようになっている。
そのあとの朝食も、こだわり。
ヨーグルト、すりゴマ、米ぬかを煎ったもの、干しぶどう、などなど。
健康おたく、と揶揄されることもある。
これらの朝の日課がすむと、散歩へ出発。
これが、毎日のメインイベント。
ただし、フラフラとご近所一周、というのではありません。
散歩のなかに、「建物」見学が入ってくる。
社会科見学、といったおもむき。
それは、古い時代の由緒ある建造物だったり。
有名建築家が腕をふるった名のある建物であったり。
かつての著名人が住んだ家であったり。
ときには、まったく思いもかけない家の作りに足を止めたり。
可能であれば、中にも入ってみる。
じっくり見学を楽しむ。
新平自身、若いころは大工の修業をしていたので、見方がちがう。
しかも、それを発展させた、「明石建設」を背負ってきたから。
つまり、建築オタクなので。
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世界
お昼は、散歩の途中でみつけた店に入ることが多い。
なじみの店のこともある。
新しい道でみつけた、新しい店は、心がときめく。
ひとりでゆったりとした時間にひたる。
おいしい。
息子が3人もいたが、だれも明石建設をつぐものはでなかった。
なので、事務所もとじた。
後継ぎどころか、50にもなって、だれも結婚せず、孫もできない。
さみしさもあったが、いまはもう、さばさば。
人生、なるようにしかならない。
こんなじいの周辺で、何かとんでもない事件がおこるわけではない。
生活範囲だって、たかが知れている。
それでも、新しい路地の発見や、新しい建物との出会いは、心がときめく。
家族とのやりとりも、なかなかに波乱万丈。
自分のまわりなんて、たかが知れてるはずなのに、思った以上に世界は広い。
本とは関係ありませんが、「自粛」という生活スタイルが、広まっています。
強要されている、というのが正確な流れだろうけど。
本来「自粛」は、自らの意思の行動だから、日本語がそもそも間違ってます。
新平の生活は、せまい生活圏で、自粛っぽいかもしれません。
けれど、そんな風には、つゆにも感じていないだろう。
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まっとう
たとえば、コントロールされていない糖尿病患者に、「まっとう」な生体反応は期待できません。
キズは、自然になおってくれません。
ふつうだったら、なおるんですが。
ところで、人生には「まっとう」というのがあるんでしょうか。
たとえば、新平の生活。
自分で起こした会社は、後継ぎがなく、閉鎖。
妻は、どうやら、ボケはじめている。
3人の子供たちは、だれひとりとして、親の期待に答えてくれない。
まっとうな人生が、おくれているでしょうか。
まっとうな老後を、計画できているでしょうか。
うーむ。
まっとう、からは遠いかもしれない。
そもそも、まっとうって、何?
それでも、新平の生活は、静かに流れてゆきます。
カライ、もあるけど、カライばかりではなさそう。
小さな、すくいがある(と思います)。
小さな、あたたかさがある。
先は、わからない。
決して安心できるものではないかもしれない。
でも「今」は、そんなに悪いわけじゃない。
こんな時代の、こんなご時世だからこそ、味がある本かもしれません。
まっとう、なんて吹き飛ばしちゃえ。
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先はなあ 考えないぞ 今がある
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