思春期まっただ中
発育期は、グングンと、変化をつづけてゆける時代。
昨日の自分と、今日はちがう。
好きな方向へ、枝がのばせるからです。
はまる「ワク」がないからです。
(ワクにはめようとする大人はいますが)。
壮年期は、変化よりは安定の時代。
なぜ安定かというと、「ワク」の中に入っているからです。
身体的、社会的なワクがあります。
ワクのなかにいれば、昨日の自分と同じ今日がくる。
変化から、安定へ。
そこには、生き方の大きな舵取りが必要となります。
といっても、舵取りはそんなに簡単じゃありません。
時間も、手間もかかる。
なぜなら、自分のワクをみつけて、そこに入ってゆく必要があるからです。
その舵取りの時代が、「思春期」の本質と思います。
目の前に、入ってゆくべき「ワク」がある。
入ってゆかねばならない「ワク」がある。
すんなりと、ワクに入ってゆけるヒト。
なかなか、ワクに入れないヒト。
ワクの存在自体を、否定しようとするヒト。
思春期を超えてきた方は、どんな思春期を送ってきましたか。
かつての社会は、どうしてもワクに入りたくないヒトには、入らなくてもいいよ、というフトコロの広さも持ち合わせていました。
山で、炭を焼くとか。
せっせと、彫り物をきわめてゆくとか。
いまは、そういう生き方がむつかしくなっています。
そのぶん、生きにくさも。
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ワクでみる文化度
時代の文化度は、「ワクの広さ」ではかれないか。
わたくしは、そう思っています。
ワクの広い時代は、文化度の高い社会。
ワクのせまい社会は、文化度の低い社会。
という目でみたとき、現代社会はどうでしょうか。
この国。
そして、世界の国々。
チョーせまくなっていませんか。
本来、自由のびのび世代の発育期の子の社会にまで、このワクを押しつけてきている。
みずから、せばめようという流れも感じられますが。
生き方の自由度が、せばまっています。
なぜなら、ワクがせまくなっているから。
そのため、ワクに入りきれないヒトが、ふえています。
ワクに入れないヒトを、つくろうとしている。
青春期になれば、そんなワクに、入ってゆかねばなりません。
せまい、せまいワク。
魅力なんて、感じられなくなるでしょう。
生きにくい世の中です。
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せまいワクの不安
歴史のなかでも、ワクは変化してきました。
社会が、おちつく。
時代に余裕が、うまれる。
すると、ヨクにくらんだ集団がうまれてきます。
そういう集団は、自分たちのヨクをかなえるために、ワクの締め付けをはじめます。
いろんな、規則の制定。
典型が、戦争前の社会です。
ワクが、いつのまにかせばめられてくる。
そして、争いがはじまる。
社会が、ぶっこわれてゆく。
(歴史の教訓です)。
日本は、「もはや戦後ではない」といわれて、ひさしくたっています。
戦後でなければ、何でしょうか。
そう「戦前」です。
はやくワクをひろげてゆかないと、取り返しがつかないかもしれません。
窮屈なワクは、あやしさが潜んでいます。
仕方がない、ではないと思います。
ワクをひろげてゆく力。
そこには、当事者である思春期の力が、どうしても必要です。
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たとえば、走る
社会問題から、いきなり走りの世界へ。
好きなように、走る。
発育期の特徴ですし、自然な走りです。
ただ、いつまでも思うようには、走ってゆけません。
やがて、グングンのびる枝から、安定化する枝になってゆくからです。
そのため、天性のままいつまでも走りつづけられません。
かといって、あわないカタにはまっては、走れなくなる。
この修正がうまくゆかなくて、故障や壁にぶつかることもあります。
そこから得られる教訓。
天性は、生かしつづける。
ワクは、与えられるより、自分からつくってゆく。
この両者のバランスも、必要となります。
こと、走りだったら、ワクというコトバを、「カタ」といってもいいかもしれません。
長くはしりつづけているヒトは、自分のカタ作りをおこたらない。
ですから、ほかの意見を無視しすぎるのは危険。
同時に、いわれるままの盲従も危険。
そのために、自分のアタマがある。
走りを通して、人生のワクつくりも見えてきます。
みんな、同じ要領です。
いきなり社会問題なんてわかりませんし。
自分の目の前のことに力をそそぐ。
その目が、やがてひろがってゆくからです。
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思い出しましょう
思春期を通り越してしまったランナーさんたち。
自分の思春期の悩みを、覚えていますか。
そして、どのようにして学校社会から一般社会へ入っていったのか。
ワクに、すんなり入りこめたでしょうか。
ワクという存在を、意識したでしょうか。
野生の天性を、ワクにならすのは、苦痛がともないます。
でも社会には、ある程度のワクは必要です。
ですが、若者は、ワクを批判します。
それが、ワクにとらわれない若者の特権です。
みんな、そういう道を歩んできたんじゃありませんか。
そして、それがワクのいびつさを教えてもくれました。
現代は、若い子を、スナオに手名付けようとする欲がすごく強い。
子どもの世界へ、でしゃばる大人が多い。
それによって、自分で考え、行動する若者が減るのはおそろしい。
それこそ、ほろびの道です。
人口が減るから、ほろびるわけじゃありません。
考えない若者が、ほろびへと導く。
思春期の若者さん、もっといかってください。
いまの社会は、どうしようもない「ワク」で、ズタボロです。
声援は、おしみません。
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決められた ワクに盲従 するなかれ
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