食べてから走る?食べる前に走る?

食とランニングの関係

 

ふだんのランニングスタイル。

オナカが空っぽのときに、走りますか?
オナカをある程度、満たしてから、走りますか?

一律に決めることはむつかしいですが、ランナーによって、一定の傾向がみられるようです。

もちろん、走る距離や時間帯、状況によっても、かわります。

早朝のチョイ走りなら、空腹のまま走っちゃっいますか。
それとも、オナカに何かを入れてから、走りたいですか。

これが、フルマラソンの大会だったら、どうでしょうか。

それなりにオナカを満たしておいて、スタートラインにつく、というランナーの方が多くなりそうです。
なにしろ、ランニング界には「カーボ・ローディング」というコトバがあるくらいですから。

炭水化物(カーボ)を、ふだんよりたくわえた状況にして、走り出す。
なぜなら、カーボは、蒸気機関車の石炭のようなものといわれています。
オナカに燃料を満たしておかずに、フルマラソンを走りきれますか。

 



 

野生動物の場合は

 

野生で生きている動物は、いつ動くでしょうか?

キホンは、オナカがすいたら、です。
つまり、空腹を感じたら。

これは、種を問わずに、ほぼ共通する傾向です。
親から、教えてもらったわけではありません。
学校で学んだ、わけでもありません。
そういうポリシーだから、というわけでもなさそうです。

もう何百年も、何千年も、もっともっと以前から、そうして生きてきています。

なぜ、でしょうか。

それは、動く主目的が、食べものを手にいれるため、だからでしょう。

オナカがすいたなあ。
どおれ、食べものを手にいれようか。
さて、どっこいしょ。

ですから、食前に動く。
オナカが満たされれば、スヤスヤと食休みに入ってしまいます。
オナカが満たされたら、動きたくありませんものね。

 



 

空腹予防的発想

 

なぜ、オナカがすいたら、動きはじめるのでしょうか。

ちょっと、それはアブナイんじゃないか。
もしも、オナカがすいた状態で、食べものが手にはいらなかったら、命の危機にならないか。

安全、安定を考えたら、オナカがみたされている間に、次の食べものを手にいれておく方が得策だろう。
野生動物だって、長い間には、そのくらいの知恵は持てるのじゃないか。

場合によったら、そう考えて、実行までした動物もあったかもしれません。
仮に、食べものに不自由しない状況になったとします。
目の前には、いくらでもエモノがいる。
あるいは、目の前に、おいしそうな草木がエンエンと広がっている。

よし、食いだめしておけ。
野生動物の食品庫や冷蔵庫は、自分のオナカなのだから。

という行動にでたら、どうでしょうか。

しだいに変化してゆくのは、メタボ化です。
そして実際に腹が出て、体重の増えていってしまったら、どうでしょうか。

動作が遅くなって、だんだんと、エモノをとれなくなってしまいます。
次の草原地帯までの道のりを移動することが、きつくなってゆきます。
草食動物であっても、自分がエモノにならないためには走る能力が必要です。
それも、かなわなくなってしまう。

すると、糖尿病を発症する前に、衰弱や死の道に直面です。
飽食は、野生世界では、命にかかわる行為になりかねないのです。

 



 

飢餓考

 

オナカのすかないうちに、次を食べたら、野生生活は生きぬけない。

ですから、空腹感が生じてきたら、動きだす。
しかし、これはつねに「キガ」と直面という宿命をおびることになります。
それは今の時代も、かわりません。

となると、この行動も理不尽じゃないでしょうか。

飽食が野生を生きるリスクをうむというなら、キガはもっと直接に死の危険をはらまないか。
そもそも、オナカがすいたら、力なんか出せないよ。
いわんや、走るなんて、とうてい無理。
石炭なしに、蒸気機関は走りません。

さて、どちらでしょうか。
栄養理論に学ぶべきでしょうか。
野生の生き方に、学ぶべきことはないんでしょうか。
もう人間は、野生を卒業してしまっているんですから。

どっちかな。
こんなとき、ランニングは格好の素材となってくれます。

なにしろ、自分が実際に試せるんですから。
空腹のまま走り出したほうが、いい走りになるでしょうか。
オナカを満たしてから走った方が、よく走れるでしょうか。

他人のご意見じゃなく、「自分」はどう感じるか。
あるいは、走れるか。

これは、素敵なオトナの実験になりませんか。
自由研究、楽しみましょう。

 



 

たーさん
メシ食えば どんな走りに なるかしら

 

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