日本の大御所
アシックス、といったら、アシックスです。
たしか、先代は、オニヅカタイガース。
日本のスポーツシューズ界の第一人者のひとり。
そして、シューズをつくるだけではありません。
「スポーツ工学研究所」まで、もっています。
そこのもつ情報とノウハウを結集した著作。
それが、この『究極の歩き方』(講談社現代新書)です。
なにしろ、蓄積されたデータ量もハンパではありません。
100万人の足のデータがあるらしいとか。
もちろん、中心は、日本人のデータです。
そして、日本人と比較した、世界各国の人々のデータまで。
そんな大御所が、満を辞して、貴重なデータを公開しました。
そして、方向は、当然ですが、シューズに向かいます。
理想のシューズをはいて、どうするのか。
「究極の歩き方」をめざすのですね。
いいですか、「究極」ですよ。
よし。
これで、いつものヨロヨロ、トボトボ歩きから、お別れだ。
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わたしの立ち位置
とはいえ、この本のそのままを、とりあげる気持ちはありません。
前回も、キッパリと、宣言させていただきました。
事実は、「自分」を通して納得するもの、しかない。
しかも、ですから、事実だって普遍ではない。
だって、自分というのは、刻々と変化しつづけているわけですから。
ほかの説は、すべて「仮説」。
ひとつの考え。
ひとつの意見。
やみくもに、盲信はいたしません。
たとえ、100万人のデータを出されても。
自分は、ちがうかもしれない。
ということで、自分の感性にあわない部分は、遠慮なく「留保」とさせていただきます。
吹けば飛ぶよな立場の、わたくし。
そんな一見解にすぎませんけど。
自分の道を、ゆきたい。
ぜひ、ご自身の感性で、判断していただければ幸甚です。
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「足の形」の変遷
本書の流れは、大きく2つにわかれています。
ひとつは、足の形の考察。
もうひとつは、歩き方の考察。
そして、両者を融合した形で、理想のシューズ論へ統合してゆきます。
今回は、そのうちの「足の形」を主題にします。
本書は、まず、わたしたちの「足の形」に着目します。
当然ともいえる、老舗の目です。
機能的な形として、とくに足の「アーチ構造」をとりあげます。
カカトー小指、カカトー親指、小指ー親指。
この3つをつなぐ、足のアーチ構造。
りそうアーチ構造は、足のクッション性として、重要視されています。
ま、ここまでは定番のお話。
そして、このクッション性を内在した形で、足がある。
足の形の平均値が生まれる。
そして、そこから個々人の個性としての足の形へ目が向けられます。
その中で、足の形が大きく変わるのが、50歳。
アーチ構造が、くずれだすのだそうです。
いわゆる「足高」がさがる。
それは、40歳ではない、60歳でもない。
まぎれもなく、50歳。
足の形の大変化のお年頃。
なるほど、おもしろい着眼です。
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足と人生
(1)足の形は、50歳になると、大きく変わりはじめる。
(2)とくに、アーチ構造が落ちてゆくのが特徴。
(3)それが、足の左右差もうんでゆく。
(4)やがては、O脚、X脚も生じてゆく。
(5)足の変化は好ましくないので、シューズの工夫で止めよう。
簡潔すぎますが、こんな流れが示されています。
さて、いかがでしょうか。
なるほど。
さすが、豊富なデータを背景にした科学的解析。
でも、です。
まことに申しわけありませんが、これらすべては、わたくし個人にとって「仮説」です。
そういう見方もあるんだな。
もちろん、圧倒的支持を得る内容かもしれません。
なにしろ、アシックスさんです。
でも、わたくしにとっては、ひとつの見解です。
尊重は、させていただきますけど。
というのも、わたし自身の感覚から導かれた内容は、一切ないからです。
そうなのかもしれない。
(多分、正しいでしょう)。
そういう見方は大切でしょう。
(寄らば大樹のことわり)。
でも、わたしの感覚には合わない。
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それじゃ、自分は?
わたくし自身の感覚や経験として、アシックスさんの見解をどう考えるか。
50歳もとおに過ぎているので、いいたいことはわかります。
ただし、その通りという感覚は、持っていません。
この内容には、「理想の形」というのが、見えかくれします。
たくさんの解析データから導きだされた、望ましい形。
そして、ひとは、この理想から、さまざまなバリエーションに枝分かれしています。
そのひとつひとつのパターンに、名前もつけられていゆきます。
いわゆる、分類作業というやつですね。
いうまでもなく、目標は「理想の形」です。
ですから、最新のシューズで、理想に向かってゆこう。
そのサポート力といったら、現代は、すごい技術をもっているんですから。
にしましても、ですね。
50歳をすぎると、理想の形からグングンくずれてゆきますよ、って大きなお世話っぽい気がしませんか。
いったい、いくつまで、理想の形を維持しなくちゃいけないんですか。
そもそも、理想って、だれが決めたものなの?
「理想の形」って、何でしょうか。
わたしは、「開放された形」こそが理想ではないか、と感じています。
自分だけの理想。
何万年も、ハダシでくらしてきた人類。
対して、たかだか数十年の歴史の中のシューズ。
シューズは、何を変えてきたのか。
幼児には、ブーツ型のシューズが理想だといいます。
本当ですか。
こどもは、クツをいやがります。
クツシタも、いやがります。
自然を求めている。
40代までの足が、理想形ですか。
だから60代の足が、60代の形じゃ、いけないんですか。
80になっても、50の足を目指すのがいいんですか。
そのときの、いちばん解放された姿。
そこを求めてゆきたいですね。
開放された足こそ、本来の力が宿らないか。
ヘンなツッコミしちゃって、すいません。
(つづく)
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