関所と関門
いまの道路と、江戸時代の街道のいちばんのちがい。
それは関所の存在、というのが、わたしの考えです。
ひとりで走りながら考えた安政遠足マラソン。
マラソンレースでの関所といえば、関門です。
制限時間内に通過しませんと、そこでレースは打ち切り、獄門。
ま、獄門までは、ありませんけど。
安政遠足マラソン、関所コース(20,5キロ)には、途中2カ所の関門が待っています。
さいしょの関門は、旧松井田役場入り口交差点。
11キロ地点で、スタートから1時間55分後。
甘いな。
そう思われるかもしれませんが、重い仮装時には、それでもキツいこともあります。
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第一関門。見事にだれもいません。
2番目の関門は、臼井小学校前。
15キロ地点で、2時間25分です。
臼井小学校、かわいい、落ちついた雰囲気の学校です。
今春は、新1年性には、男子2名、女子2名が入学。
(現在、コロナ騒動で、休学中)
文字通り、こぢんまり規模ですが、地元の小学校として、存続を願っています。
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そして、本コース上には、本物の碓氷の関所が待ちかまえています。
でも、その前に。
はりつけ河原で、ドキドキ
碓氷の関所手前、3キロくらいでしょうか。
いつもマラソンレース中にチラ見して、通りすぎていた案内板。
そこには「はりつけ河原」とかかれています。
毎回、気になっていました。
そうか、今回はぜひ、その河原まで降りてみようじゃないか。
ちょっと、道草。
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コースアウトして、川にむかって降りてゆきます。
が、草ぼうぼうで、ひとの通った痕跡がありません。
もう行けないのかな、不安がよぎります。
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そういえば、入り口わきの梅林で、剪定作業をしていたオジさんがいたな。
もどって、オジさんに声をかけます。
ボクより、もう少し上の印象。
「あのお、この先に、はりつけの河原があるんですか?」
オジさん、手をやすめて、こちらまで来てくださいました。
「ああ、関所破りの罪人がね。
ここで処刑されて、3日間、さらされたんだよ」
このオジさん、素性はいったい何者ですか。
関所破りのウンチクが、次々にでてきます。
ははあ、とっても勉強になりました。
こういうのも、ひとり遠足マラソンの醍醐味かもしれません。
コースアウトも、また楽し。
ウンチク話のお披露目
草の茂ってきた道を河原まで降りたつと、オジさんが説明してくれた通りの、大きな石碑の建つ広場にでることができました。
碑文をみて、ビックリ。
「関所破り者の供養碑」と、ほられています。
まんまの、文面です。
かつての「御定書百箇条」には、こう定められています。
関所をとおらずに山越えした場合は、そこで、はりつけ。
案内や協力したものも、はりつけ。
男にさそわれて、山越えした女は、奴(やっこ)とさせる。
奴というのは、吉原等での下働きだそうです。
罪人は、いったん江戸に送られ、判決をうけます。
そして再びもどされて、はりつけ、だそうです。
ヤリで、グサグサ。
そのあと、3日間さらされて、近くに埋められるとか。
そのわきを通る旅人への、みせしめ、ですね。
入鉄砲に出女。
社会の秩序というのを、考えさせられました。
NAHAマラソンは、関門破り者が続々の大会、というので有名ですね。
(YouTube画像で、よく紹介されています)
いったい、いかほどのさらし首が並ぶやら。
いやはや、現代でよかったね。
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「関所破り者」とかかれています。身も蓋もない、というか。
ちょっとした、ホッ
それにしても、立派な碑です。
建立は、平成だそうです。
いがいと新しい。
その裏手をめぐると、小さく苔むしたお地蔵さまが立っていました。
こちらは、江戸時代からのようです。
関所破りは、大罪です。
でも、ですね。
やむにやまれぬ事情をかかえたひとも、あったでしょう。
かけおちは手形を得られませんから、そんな男女もあったようです。
罪は罪。
だけど、そうせざるを得なかった無念の気持ちもくんであげたい。
そう、地元のひとは思ったんでしょうね。
そこで、ひっそりと、お地蔵さまをまつったようです。
「身代わり地蔵」というんだそうです。
罪人の苦を代わり受けてくれるお地蔵さま、だそうです。
ここに集って、ひっそりと供養されていたようです。
いまも1年に1度、7月に有志が掃除して、供養がつづいているとのことでした。
地元のひとのあたたかさに、ホッとしました。
この気持ちが安政遠足マラソンの、ほのぼのお接待につながっているのかな。
わたしも、そっと手をあわせてみました。
わが罪多き人生も、身代わりになっていただきたい。
いやはや、自分勝手なお願い。
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身代わり地蔵さまに、そっと手をあわせる。
お薬師様に、ホッ
碓氷の関所。
南の東海道の箱根の関所にならぶ、関門でした。
安政遠足マラソンでいうと、18キロあまりを走ったところです。
現代は、通行手形はいりません。
わたしのような、みるからにアヤシイ者も、フリーパスです。
そこを越えるとホッとするのもつかのま。
コースいちの急坂が待ちかまえています。
坂の入り口。
「薬師坂」という石碑に目がいきました。
今回、はじめて気がつきました。
名前があったんだ。
そして、すぐに合点がいきました。
のぼってすぐの斜面にはりつくように薬師堂が建っていて、薬師さまをまつっていました。
むかしから、旅人の安全を見守っていた神さまがいたんです。
おもわず、こちらにも手をあわせてしまいます。
そのすぐ先には、清水が湧きでていました。
江戸時代から、旅人のノドをうるおわせてくれた水のようです。
このおいしい水をつかって「心太(ところてん)」を商う店があったそうです。
そのため、ここは別名「心太坂」ともいわれていたとか。
ここで、しばしくつろいで、旅装を整える。
街道の事情を聞いてゆく。
歴史が、しのばれます。
ひとり安政遠足マラソン。
立ち止まっては、いろんな発見がありました。
って、止まってばっかじゃん。
(つづく)
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いまも、清水がわき出ていました。冷たい。
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関所越え つわものどもが 夢のあと
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