よわね

 

教訓

 

よわねをはくな。

中高年世代の方は、ムカシ、こんなセリフに出会いませんでしたか。
美しきは、ど根性精神
耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ。
踏まれても、踏まれても、立ちあがる雑草のようであれ。

ホンマでっか?
雑草をよく見てください。

踏まれつづけると、立ちあがりませんよ。
横にかたむいて、伸びてゆく。
真のしたたかさをみる想いがします。
立ちあがるだけが、生きる道じゃない。

いえ、今回のテーマは「よわね」です。

よわねをはかずに、つき進んだ道の先に待っているものは、何でしょうか。
巨人の星の飛雄馬さん。
あしたのジョーの矢吹さん。

うーん、あんまりノー天気なハッピーエンドではなかったような。

 



 

麦ふみ

 

うちでは、小さいころ、畑でをつくっていました。
晩秋にまいたタネは、冬を前に、緑の芽をだしてきます。
やがて、木枯らしのまう冬に突入。

そのままにしておきますと、麦の根っこは、霜柱で持ちあげられて、枯れてしまいます。
そこで、根っこをギュッと押しこんでおかなくてはなりません。

数センチに育った麦の芽を、クツでシャカシャカと、踏みかためてゆきます。
これを、麦ふみといいます。
カニの横歩きの要領で、すべての麦の芽を、踏みかためてゆきます。

ひとさくだけでも、けっこうな足踏み作業となります。
それを、全ての麦におこなってゆく。
踏まれた麦は、冬の寒さを超えて、やがておおきく穂を実らせてゆく。

そういう時代に、「よわね」も同じあつかいだったような気がします。
踏みかためろ。
踏みこむことで、しっかりと根をはることができるのだから。

いまの若い方々は、そんな世相をご存知でしょうか。
ゆとりも大事って、育てられたりしていましたが。

そもそも、「よわね」というコトバ自体をご存知でしょうか。
よわねのない世界になっている気もします。
強いひとが、多くなってませんか?

 



 

走りとよわね

 

ランニングは、持久系の遊び、ひとによっては運動です。
フルマラソン1本ともなれば、長い時間の中のタタカイ。

これが100メートル走だったら、10秒の世界です。
いいえ、10秒は、トップアスリートの別世界でした。
ぼくなら、20秒の世界。
ウソです、30秒くらいは必要かもしれません。
まさか、ゴールまで、たどり着けない、なんてことはないでしょうが。

マラソンのような長い距離や時間を走っていると、ガクンとくる瞬間があります。
それも、1回や2回なんてもんじゃなく。

突然の息切れで、あらわれてくることがあります。
足のグキっとくる痛みで、くることもあります。
空腹感や脱力感で、アレアレとなることがあります。
筋肉のツレで、意識させられることがあります。
足首やヒザの違和感で、感じることもあります。
集中力が途切れたような、空虚感にみまわれることもあります。

ああ、キツイ。
苦しい。
痛い。

つい「よわね」をはきたくなる瞬間。

 



 

いとしいヤツ

 

ランニングを通して見方が変わったもののひとつに「よわね」があります。

よわねは、はいちゃダメ。
よわねが出そうになったら、踏みかためろ。

正論からいえば、よわねは、超えてゆくべきものでしょう。
ところが、人生は、正論だけでは通用しないんですね。

ランニングは、つい人生と重ねたくなるオモムキがあります。
なにしろ後半戦なんか、よわねの連続

よわねって、こんなに身近にあるんじゃないか。
もう、自分の分身みたいなものかな。

走りながら、しばしば出会うようになってから、ぼくの半分は「よわね」からできていたんだ、ということに気がついたのです。
だんだんと、いとおしい存在になってきました。

「よく出てきてくれたね」
「自分のこと、ちゃんと見ていられているじゃん」
「すなおに云ってくれて、ありがとう」

ちゃんと出てくる「よわね」に、ちゃんと向きあってゆこう。
無理しすぎない。
見栄はらない。

すこし、立ちどまってみようか。
あの自販機で、麦茶を買って、ひと休みしよう。
きょうは、このへんで、切りあげよう。

ま、結果として、タイムはのびなくなりましたけど、笑。
いえ、タイムはのびる一方、ということでしょうか。
この場合の、のびるというのは、かかる時間のことをいいます。

 



 

よわねと縁

 

よわねは、見せないのが仁義。
いまだに男性群にしばしば見られる生き方のポリシー。
ヤセガマンの人生。

性格というのは、年とともに、ますます顕著になってゆきます。
それは、そのまま、生き方に直接的に反映されてゆきます。
ヤセガマンも美しいけどさ、ちょっと力を抜こうよ。

よわねと、うまく、付き合う。
よわねを決して見せないという美学だけで、人生、乗り越えてゆく気ですか。
そこで、無理をしすぎるから、うつになったりもするんです。
無理だとおもったら、ひと息ついてみる。

すると、案外、また走りだせることもあります。

「ハハハ、まじキツイね」
マラソン、なかんずくウルトラマラソンの途中、そういう会話をかわせるランナーと出会えると、うれしくなります。
おお、わが同士よ。

よわねをはけるひとの存在。
よわねを共有してもらえるひとの存在。
だから、ランナーのつながりって、特別になってゆくのかな。
おかげで、もうちょっと、走っていられます。

 



 

 

たーさん
ああキツイ そんなよわねも 愛そうよ

 

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