出会い
いつからでしょうか。「一歩」というコトバを意識するようになったのは。最初は、走りながら、ふとアタマに浮かんだワンフレーズでした。そうです、走りながら出会ったコトバです。
今していることは、一歩をきざんでいること。
そして、一歩をきざんでいるだけ。
それ以上でも、それ以下でもない行為。走るということは、それだけです。実に単純です。
やがて、世にGPS腕時計が登場し、新しい出会いをむかえます。
この時計を腕にまいて走ると、何キロを走ったか、何分間走ったか、といった情報をパソコンにおとせるのです。
しかも走った地図まで描けてる。
各地のマラソン大会で走ったコースを、地形図や航空写真でながめるのが好きになりました。地図をみていると、ホントにあきません。
歩数の計算
大切に使っていたGPS腕時計。それでも、長く使っていると電池寿命がきて、使い勝手がだんだん低下してきます。フルマラソンの途中で充電が切れて記録ができなくなってくると、さすがに残念ということになってしまいます。
そんなに、大層な時間をかけて走っているわけではないんですから。
ありがとう。そういって、次の新しい腕時計を買い求める。
今、3代目を使用中。
3代目になると、機能も進化してきています。距離や時間だけではなく、走った歩数まで記録できるようになったのです。ものすごい感動を覚えました。
歩数が残る、というのはわたしの中で画期的でした。
これは、オモシロイ。
飛脚走りは、小マタです。あ、いえ、わたしの短足のせいかな。
一歩が1メートルにとどくか、とどかないか。
今年のレースをふりかえってみても、フルマラソンの古河はなももマラソンが「42,059」歩、100キロマラソンのチャレンジ富士五湖ウルトラマラソンが「115,345」歩。
できること
どんな距離を走るにしても、スタートのときにできることは、最初の「一歩」をふみ出すだけです。
いっぺんに、二歩は出せません。
まとめて、十歩はありえません。
つねに、一歩のみ。
二歩目は、必ず一歩目の次にくるもの。
このまっとうさが、好きになりました。
まず一歩。
そして、できることは、この一歩から。
そして、0歩と一歩の差は大きい。限りなく大きい。
走ることが習慣になると「一歩」というコトバがとっても好きになりました。
どんなことにも「まず一歩」だな。
気がむかなかったり、うんざりするようなときも「一歩だけ、いってみるか」。
ブログの一歩、そして次の一歩
ブログを読む習慣もなかったわたしが「よし、ブログ始めてみよう」と思い立った春。
ゼロどころか、マイナスからの出発でした。
何もわかりません。
本を買う。いつもの常套手段。
インターネットで調べる。画面上ではなかなかアタマに入らないので、大事そうなのはプリントアウトして、なんていう古風な手間をかけて。
それでも、なんとかたどり着いた、おそるおそるのブログデビュー。
まず、一歩。そして3ヶ月がたちました。
そうか、こんなふうに進めてゆけばよういのかな、と思いはじめたところで出会った衝撃的な情報。
「世は、暗号化の時代ですよ」。
SSL化というんだそうですね。何やら、今もよくわかっていないけど。
当ブログにヒミツの出来事とか、機密情報とか、無料で公開しちゃあモッタイナイ内容なんてないのだから、そう暗号化にこだわらなくてもいいんじゃないか、と思います。
でもですね、わたしの方はいいんです。このブログに訪れていただいた方に、なにかしらの情報漏洩でもあったらいけません。
よし、SSL化だ。
ということで、ふたたび訳のわからない世界に漕ぎ出していました。
まだまだですがSSL化
あまたの困難をのりこえて、ついに、というか、たぶんSSL化への移行となりましたでしょうか。
それに際して、土俵がWordPressとあいなりました。内容のレベルは、相変わらずですが、通信の安全性だけは変化したのかな。
それにしても、むつかしい世界です。でてくる用語の意味すらわからない。
一歩をふみ出せず、せめて半歩だけでも、と思っても着地点がみえてこない。
そう、ときに、たかが一歩でも自分ひとりの力ではどうにもふみ出せないことがあるんです。
ダメだ。
こうさん。
こんなとき、最後にたよりになるのは、ひとのエンでしょうか。
ひとりで一歩をふみだせないときは、力を借りる。
ひとのありがたさに、ジュワッとココロが熱くなります。
さあ、新天地に移行しました。
まだまだ新システムは、勝手がわからないことばかりです。今日以前の文章との形式の整合性もまだぜんぜんできていません。お見苦しくてスミマセん。
でも、また一歩一歩あゆみ出してゆく決心です。どうぞ、よろしくお願いします。
↓ よろしければ、清き1票をお願いします(1日ワンクリック有効)
にほんブログ村
コメントを残す