軽井沢ハーフマラソン2018年5月20日(ハーフ)
日本を代表する避暑地、軽井沢。
かがやく初夏。
木もれ日。
かけぬける風。
テニスコート。
白い朝もや。
天地真理の「恋する夏の日」のシュチュエーションそのものではありませんか。
いつも発想が古くてスミマセん。
時代は移っていました。
天地真理さんはテレビでみることはなくなり、テニスコートも軽井沢から多くは姿を消しています。
今日は、テニスではなく、ランナーの祭典です。
東京からは、臨時の北陸新幹線が直通で軽井沢駅に乗りつけ、皇居や表参道を走るランナーが、そのまま走り出せる格好で会場までの道のりを大勢歩いています。
はなやかです。
ま、まぶしい。
クラクラします。あ、これは歳からくるメマイです。
初夏のスタート
サムッ。
軽井沢巨大アウトレット駐車場にとめた車からおりた途端、ハダに冷気がまといます。
そのお隣、プリンスホテルスキー場駐車場が、今日のレースの主会場です。
朝の気温が5℃、スタート時でも7℃です。よく冷えています。
雲ひとつない晴天のもと、5500名のランナーがハーフマラソンコースに出てゆきます。
女性ランナーが30%を占めている、ということで、キラキラ感がただよっています。
まずは軽井沢駅前に出ると、町のメインストリートである本通りを北上します。
あらためて、ものすごい数のランナー。
ということが、森のトンネル、別荘街に入ってゆくにつれて実感されてきます。
道がグッとせまくなるからです。
抜いて、抜かれて、はキケンです。ランナーの流れにのってゆく。
ランナーのペースが、自分にあっていたら幸せ。
速かったら、もしかしたら新記録。
遅かったら、残念。
そんな感じで、前半が流れてゆきます。
花とイチゴと声援と
別荘地帯をぬけ、周辺のあかるさが眩しさに感じられてくると、湯川ふるさと公園に入ってゆきます。
ここに待つのは、ウワサのフルーツエイド。
イチゴ、スイカ、バナナ。
ここは、しっかり立ち止まっていただいちゃいます。
ただし、何個も手をだすランナーがおられます。
後半には、なくなってしまっていた、ということですから残念です。
ミニチアリーダー たちの、かわいい声援もうれしい。
花をそえています。
春爛漫。
中軽井沢駅にむかう道をおりかえすと、後半戦にはいります。
ランナーの流れが、はやい。
ふたたび別荘街の森にすいこまれてゆきます。
コースはクネクネ曲がり角が多く、スピードをだすためにはコーナーリングのテクニックが必要です。
わたしのようなユックリランナーには、景色がどんどん変わってゆくので、ウキウキします。
一部に300メートルほどの未舗装区間がありますが、思った以上に不評のようです。
いつも、そんなところも多く走っているわたしには、たしかにスピードは落ちます。
でも、状況にあわせればいいだけです。
そうそう、今日もハダシにワラジです。
洗練さはありません。
はなやかさの中で、浮いています。
避暑地のゴール
空気がかわいているからでしょうか、じつに気持ちいい。
肌にでる汗が、シュワっとかわいてしまいます。
高原のロマンチック光景も、あきさせません。
軽井沢のたくさんの顔をみてもらおう、というコース設定が見事にツボにはまっています。
やがてあらわれる軽井沢プリンスショッピングプラザ。
大きなアウトレットモールです。
レース後、ゼッケンをみせると割引特典をいただける店がたくさんあります。
もうすぐ21キロ。
さわやかなままにゴール。1時間50分。
すぐに、肩にバスタオルをかけていただけるのもありがたいです。冷涼な空気
アイロンプリントで「飛脚走り」Tシャツをつくっちゃいました
おわびと反省
「ウェディングの聖地」軽井沢をかけぬけるマラソン大会。
つい、雰囲気につられて「避暑地の恋」なんていうお題を、今回かかげさせていただいちゃいました。
ところが、まだ「恋」情報がでてきません。
はい、申しわけございません。
一応「恋」情報もさがしてみました。
スタート前の会場で探索。
レース中も、探索。
ゴール後の会場やアウトレット内に移ってからの探索。
新聞記者のようです。
なのに、ハダシにワラジ姿の枯れた中高年ランナー記者には、やはりというか「恋」情報は遠かった。
いえ、今日のこの大会のどこかで、ステキな出会いがあったハズです。
なにしろ、カワイイ女性ランナー比率がメチャ高い。
翌年の5月には、出会いの軽井沢でゴールインするカップルが生まれるかもしれません。
信じています。
うん、うん。もし、そのようなカップルがおられましたら、連絡をいただければ、幸いです。
ささやかなお祝いを考えさせていただきます。
軽井沢高原教会。すてきな教会です。こういうゴールもあり。
文化遺産と人間遺産
軽井沢と、わたしの住む安中は、中山道碓氷峠で接するとなり組です。
となりあっていますが、標高差500メートルは、すんなり行き来できる地形ではありません。
江戸時代も、難所のひとつでした。
明治時代、ここに鉄道を敷設しようという努力の中、歯車で急坂を登り下りできるアプト式鉄道がうまれました。
人馬のためには、186箇所のカーブを数える国道がつくられてゆきます。
いまは当時の鉄道は廃線となり、北陸新幹線がひとっ飛びです。
国道は、碓氷バイパスへ、そして上信越自動車道へと変化しています。
上州の「上」、信州の「信」、越中の「越」をとった、よくある命名法。
アウトレット内のコンビニでオニギリを買ったわたしは、車の中でたべおえると、人混みと車の列で混雑する中心部からはなれ、さびれた旧道へとひとり車を走らせます。
帰る途中、昔の信越線の巨大陸橋で車をとめてみました。
めがね橋という名前がついています。
もう役目は終えていますが、文化遺産として注目されてはいます。
古いものはいい。
いえ、古いものもいい。
遺産は大切に。お年寄りも大切に。
と、遺産化がすすみつつあるわたくしは、しみじみとシンパシーを感じつつ、峠をくだってゆきました。
くだる人生、ああ。
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