深く、見る
よく見ておきなさい。
しっかり観察をおこたらないように。
そういわれても、年とともにおとろえる視力。
くわえて、注意力の低下。
とどめは、集中力の消失。
せめて、イッショケンメさのポーズとして、手を目の上にかざす。
すると、少しは、よく見えるような気がする。
多分、見えてくる。
だって、目の上に手をあてて見るのを『看る』と書くくらいですから。
看る道のプロである看護師さま。
たしかに、よく見ています。
「おら、サボっとらんで、仕事をはよ片付けぇ」
うーん、そっちを看るんじゃなくて、でねえ。
で、問題です。
しっかり見るには、具体的には、どのように見ればいいんでしょうか。
今回は「視点の方向」について、考えてみます。
視点の意識
どっちから、見ているか。
この意識は、案外、見方の基本と思っています。
ですが、いがいと意識されていない、と感じることもあります。
そのために、振り回される。
まず、そのための2つの基本を確認させていただきます。
どっちから、見ているか。
1.向かいあって、見合う
2.同じ方向を見る
テーブルをはさんで、ラーメンを食べるのは「向かいあって」です。
視線も、向かいあいます。
カウンターに並んでラーメンを食べるときは、「同じ向き」にいます。
視線は、同じ方向にゆきます。
これがラーメン屋さんだけのはなしでしたら、どのように座ろうが、こだわりは少ないでしょう。
ところが「結婚問題」あたりになると、簡単にすますことは危険です。
この視点問題をクリアしておかないと、イロイロと大変なことになりかねません。
そう、視点って、大事なんだってば。
結婚前の視点
仲むつまじく、いいお付き合い。
結婚前の視点は、だんぜん、「向かいあい」優先でゆけたらな。
むかしは、いたるところ「アンタに合うひと」をすすめる、オセッカイオバさんがいました。
人生の荒波をスイスイ越えてゆくようなオセッカイオバさんの口は減らない。しかし、人物評定だけは、いがいとシビアな視点をもっていたものです。
おおきくハズれることは少なかったといいます。
いまは、そういう貴重な人種もいなくなりました。
相手は、自分でさがさなくてはなりません。
さがせますか?
そしてIT技術の進歩。
リモート社会。
この良い、悪いはともかく、ひと同士の直接の出会いはへっています。
そういう社会情勢のなかで、出会った愛しい相手。
でも、だからこそ、しっかり見つめあっておく。
恋は盲目、だけじゃいけません。
向かいあう大切さ。
結婚後の視点
しかし、です。
結婚したら、いつまで見つめあっておるんじゃい。
見つめあってばかりの結末、はどうなってゆくでしょうか。
だんだんと「アラ」が目立ってくる。
だって、氏も育ちも、ちがうんですから。
かつては、100点満点、いやいや120点をあげたい。
そんなお相手も、1点減り、2点がひかれて。
そうです、見つめあいの最後は、減点法につながりやすい。
(わたしの、勝手な思いこみです)。
そうならないためには、視点の切りかえ。
見つめあいから、180度の方向転換。
同じ方向が見えてこないか。
いっしょに、マイホームの夢。
いっしょに、子どもの育て方。
同じ場所にたって、同じ方向を見てゆく。
それこそが、共同作業。
ちゃんと切りかえられていますか?
視点の切りかえ
人間関係のストレスは、ストレスの中でも、ダントツに多い。
ストレスの原因、イコール、人間関係、っていってもいいくらいです。
職場の中、だけの問題ではありません。
サークル活動だって、しかり。
地区の集まりだって、しかり。
ひとの集まるところ、どこにだって、起こりえます。
ああ、いやだな。
そのとき向けられているのは、「向かいあう視線」じゃないですか?
観察されている。
減点法が、おこなわれている。
ああ、うっとおしい。
「無視」というのも、ちがう意味で「向かいあい」です。
見ないフリをよそおっての、向かいあい。
なぜ同じ方向を向いて、すすめないのかな。
滅入るぜ。
で、ランニングの視点です。
走る世界では、どちらの視線がいいでしょうか。
走る自分を見る視線の向きです。
そして、走っているランナーを見る視線の方向です。
寒くなると、テレビでも、マラソンや駅伝の中継を見られる機会がふえますもんね。
これには、じつは第3の視線があったりして。
第3なんて、なんかビール業界みたいな発想ですか。
ふだんは、自分の走りのどこを見ていますか?
テレビのマラソン中継では、選手のどこを見ていますか?
(つづく)
同じ向き 見ている君は いとおしい
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