ビバ現代生活
脱力でゆこうぜ。
人生をたのしむ、ひとつのヒケツです。
カリカリ生きていたって、仕方がありません。
ただでさえ、ストレスの多い毎日です。
ランニングにさえ、この流れがきていませんか。
脱力せよ。
無駄なちからは、走りの効率化を邪魔します。
そして、これは口当たりのいいコトバです。
とくに、運動経験の少ないランナーには、福音ともなります。
力のないランナー(たとえば、わたくし)には、追い風です。
力がなくて、ホントによかった。
走りたいけど、苦しいのはイヤ。
走る目的は、オシャレの延長。
ダイジョーブ、走りのポイントは脱力にあるのだから。
無理な力は不要だよ。
その延長戦上にあるのが、「効率化」です。
いかに無駄なく走れるか。
練習効率。
レースのときの、ペース配分。
泥臭いのは、敬遠されます。
思い込んだら試練の道を。
そういう『巨人の星』の時代じゃ、ないんです。
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ゆるむが大事
というのも、時代が緊張をしいるからです。
と、識者はかたります。
現代人のカラダは、カチカチに凝りかたまっている。
考えることも、凝りかたまっている。
それが、現代の病理だなんて。
だから、無理することはないんだよ。
無理して、カラダをこわしたら、どうする。
ココロを、すり減らして、どうする。
さあ、ゆるもう、脱力しよう。
その結果、脱力で生きよう、と考えるひとも増えているようです。
無理したって、しようがない。
わたくしも、かつては脱力賛成派でした。
努力ができない性格、というのもありましたし。
ところが、脱力って、そんなにいいもんですか、と思うようになりました。
朝、フトンの中で脱力してると、起きられません。
ランニング中は、ホントに脱力で走れますか?
どうやら、脱力を、緊張と対比させていたのかもしれません。
緊張は、疲れる。
だから、緊張はほぐそう。
そこまでは、賛成です。
ただ、緊張をほぐした先にあるのは、脱力でよいのでしょうか。
そう、考えるようになったのです。
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お江戸生活
いきなり、見てきたような、江戸くらしの話題です。
いえ、見たことはありません。
見ることも、できません。
江戸時代の動画をさがしたって、ありません。
でも、特権があります。
わたくし自身、年をとっていること。
そして、田舎でくらしていること。
わたしの小さなころは、いたるところ「江戸のなごり」が残っていました。
まだ、キモノに割烹着すがたのオバーさんがいました。
ふつうに、ゲタで働いていました。
実家の母の母(祖母)も、そのひとりでした。
へっつい(今のガス台)は、土間で、しゃがんで火をおこすものです。
おフロだって、しゃがんで、火をくべる。
食事は、正座があたりまえでした。
トイレだって、しゃがまないと使えません。
代々、こんな生活がつづいていたんです。
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それは、はる
お江戸時代、といいましたが、その生活週間は、ずっとつづいていました。
全部、ではありませんが、かなりの精神が。
たぶん、昭和の中頃までは。
そのころから、急転直下型の変革がきたような気がします。
情報の普遍化が、おおきな要因だったかもしれません。
何が、変わったのでしょうか。
カラダの芯のはり感です。
つまり、カラダの使い方。
それまでは、カラダの中に、弓のような芯がはっているくらし。
検証は、やろうと思えば可能です。
生活スタイルですから。
キモノにゲタスタイルになってみましょう。
何が変わるか。
カラダに芯が通ってきます。
また、そうなっていないと、着られないし、立てない。
土間に、しゃがみこむ。
ここになると、カラダのはり感は、さらに上がります。
カラダがピンとはっていないと、しゃがみつづけられない。
火をくべたり、という作業ができない。
このはり感がくずれたら、スッテンコロリンです。
正座をする。
ウンコすわりをする。
これらも、カラダに芯がはっていないと、できません。
生活の基本が、カラダに芯をはるのを求めるスタイル。
あきらかに、脱力とはちがう力。
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身体感覚
ゆるりとリラックスの、脱力生活。
ソファーに身をしずめて、まったりとした日々のくらし。
かたや、ピンとカラダの芯がとおる生活様式。
どちらが優秀で、ということではありません。
どちらも、ありです。
どちらも、あっていい。
考えたいのは、どちらの方を、カラダはよろこぶんでしょうか。
そしていま、ゆるむ方向に、ゆきすぎていませんか、という問題提起です。
たしかに、ソファーに寝ころがって、くつろぐのは幸せな時間です。
本を読んだり、ニャンコと遊んだり。
ただし、こういう生活ばかりをつづけていたら、どうなるでしょうか。
脱力にも、種類がありそうです。
よい脱力。
これは、緊張感を開放させる力。
それに対して、よくない脱力がありはしないでしょうか。
カラダは、ゆるんでゆくのじゃない。
動けなくなってゆく。
だるくなってゆく。
おっくうになってゆく。
カラダは、弓とおなじ構造体です。
適度な、「はり」が必要。
はりがなくなったら、カラダを保てなくなります。
はりが低下したら、動けなくなる。
たまには、床に正座してみる。
ウンコずわりをしてみる。
カラダの中にはってある「張力」を感じる動作。
張力が、力を生みだしてくれるのでは、ないでしょうか。
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ただし、世の中には2通りのひとがいます。
ゆるむのが好きなひと、はるのが好きなひと。
だからといって、その「どちらかだけ」だとカラダの動きは不調になりませんか?
両方を味わうことが、快調生活の秘訣なのかも。
そうそう、夫婦は「別タイプ」の組み合わせが多いかも。
自分は、「ゆるむ派」?「はる派」?
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ピッシリと 張りあるくらしに ハリがでる
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