アタマは重い
アタマを、首のどこで支えていますか?
けっこう、重い存在ですが。
ボーリングの玉より、重い。
案外、意識されていないように感じます。
首の上に載っていさえすればダイジョーブ的な発想。
ちゃんと、首につながっているんだからさ。
でも、よくよく観察してみますと、支え方は2大別されるようです。
首のうしろ側、頚椎で支える方法。
そして、首の前側、ノドで支える方法。
正確にいうと、頚椎は、必ずしもうしろ側ではありません。
むしろ、首の中心部、といった方が正しいかもしれません。
でもあえて、イメージ的に、ここではうしろ側とさせていただきます。
わたしたちは、前かがみですごす時間がふえています。
いきおい、猫背がちになりやすい。
スマホ、パソコン、書き物なども、このスタイルになりがちです。
気がつけば、アタマの重心を、ノドで支えている。
気がつかなくても、ノドで支えている。
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どこで見分ける?
アタマを、ノドで支えているか。
それとも、頚椎で支えているのか。
慣れないと、どっちなのか、わかりにくいかもしれません。
いったい、「どこ」に着目したらよいでしょうか。
ひとつが、「目玉と耳の穴」をむすぶ線です。
目玉の中心。
耳の穴。
ここを結ぶ線を想定してみます。
略して「目ん玉耳ライン」と呼んでおきます。
センスよくないですか。
姿勢は、すわっているか、立っているかの状態でみてみます。
この姿勢で、目ん玉耳ラインを引いてみます。
このラインが、水平か、目ん玉の方が上がっていた場合。
アタマは、まず、頚椎で支えられています。
逆に、目ん玉の方が、耳の穴より下がっているとき。
アタマは、前方に傾いています。
そして、アタマをノドで支えている。
よろしいでしょうか。
自分の横顔を鏡にうつして確認してみてください。
そして、たくさんの方を観察させてもらって、確かめてみる。
あ、いま頚椎派。
あのひとは、ノド派。
一瞬で、判別がつくようになるでしょう、むつかしくはないもんね。
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自分の感覚
そうしたら、「自分で感じてみよう」コーナーです。
アタマは、どちらで支えているのが、気持ちいいか。
カラダが、楽と感じるか。
ガンバルときは、アタマはノドで支えるべき派がいるようです。
「ちゃんとアゴを引け」
そんなアドバイスを、耳にしたことはありませんか。
ローカルなランニング大会があります。
そこでは、小学生の部や、中学生の部もおこなわれています。
ちびっ子たちの、中距離走。
学校のグランドをはなれて、一般の道を走る。
1キロとか、2キロとか。
ゴール付近では、熱血オヤジが声援をあびせています。
「もっとアゴをひいて、ガンバレ」
真っ赤な顔をして、かけてゆくちびっ子たち。
で、こういう光景を、どう思いますか。
アゴをひいてガンバル姿勢。
そうか、そうするとガンバレるのか。
アゴをひいて、走っていますか?
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アタマを楽に支える方法、ワンコはえらい。
上を向いて
坂本九ちゃんは、歌っていました。
「上を向いて、歩こう」
ぼくは、この歌が好きです。
歌ったら、実行してみる。
田舎のあぜ道を、上を向いて歩いてみる。
目に入る光景が、一変してきます。
青い空。
ふんわかと浮かぶ雲。
ときには、風の音さえ見えてくる気がします。
唯一、気をつけるのが足もとですが。
デコボコ道。
このとき、ノドは、すっかり開放されています。
気持ちも、上向く?
首回りの緊張も、ほどけてゆく。
そうか、上を向くのは、涙がこぼれないためだけじゃないのか。
うつむいていると、なかなか、こんな感じは味わえません。
首のうしろ側だけじゃなく、首まわり全体の緊張感が抜けない感じ。
なにより、呼吸も浅くなっている。
ような、気分がします。
上を向いて、歩こう。
頚椎で、アタマを支えられるように。
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走っているときは
走っているときは、アタマを首のどこで支えていますか。
頚椎派?
ノド派?
どっちもあり、でしょう。
むかしは、ノドで支えるものと思っていました。
視線は、足もとへ、と語られていましたし。
つまり、アゴをひいて走る。
上を向いていると、エヘラエヘラ走りとみなされることもありました。
たるんでいる、と。
そして苦しさに打ち勝つことこそが、走りの本質、と。
ところが、じっさいにマイペースで走りだしたら、ちがってきました。
いまは、気がついたら、上むきになっているようです。
この方が、気持ちよく走れる。
そうです、走っているときも坂本九ちゃん。
上を向いて、走ろう。
同時に、呼吸感覚が、なくなってきています。
むかしは、どんな呼吸がいいのか、関心がありました。
いくつ吸って、いくつはくのがいいかとか。
カラダのどこを使って呼吸するといいかとか。
たとえば、オナカとか。
そういうのが、気になった時期もありました。
いまは、考えない。
考えられない。
アタマにも、浮かんできませんし。
ただただ、気持ちよく走る。
いつも、ひとりランだから、なのかもしれませんが。
そして、だからなのか、走るのが愉快。
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上を向いて 走ろう なんちゃって
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