さあ、分身の術
よくよくみると、自分の中には、何人かのキャラが混在しているようです。
それを「意識」して、使いわけてみませんか。
案外、おもしろく生きられるかも。
いや、人生の幅が広がるかも。
そうです、落語で演じわけているみたいにね。
という、前回のお話しのつづきです。
自分の内なるキャラの使いわけ。
これほど簡便な気分転換もないのではないか。
たとえば、典型的な3人の分身の術。
ちょっと高みに立ちたがる、ご隠居さん。
猪突猛進的な、熊さん。
計算高く、ソツのない、オカミさん。
この3人を、演じわけてみるんです。
今日は、うまきいかないことで、落ちこんじゃった。
いったい、どのキャラでコケちゃったのかなあ。
ご隠居さんを気取って、不愉快をあたえてしまったのかもしれない。
熊さんの、タカをくくりすぎて、甘くみすぎていたのかもしれない。
じゃあ、今から、オカミさんに変身だ。
テクマクマヤコン。
仕事がなんだい。
今日は、おいしいものを食べて、休もうよ。
無理をしすぎていたんだよ、アンタ。
なんていう、じつに都合のいいスイッチの切りかえ。
この調子を、走りにも使ってみたい。
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だれで走っていますか?
日常のランニング。
どんな走りかたをしていますか。
どんな計画で走っていますか。
何を目標に走っていますか。
そういう、ランニング教室的な質問は、ここでは一切いたしません。
わたしに、できる相談じゃないし。
今日は、だれの走りでいってみましょうか?
コレです。
ご隠居さんになっての走り。
熊さんの、走り。
オカミさんになったって、走ります。
自分のなかに、こんなステキな3人のキャラが眠っていたとしたら、意識を向けてみましょう。
これだけで、すぐに3通りの走りができる、っていうもんです。
走る途中で、切りかえてゆく、こともできます。
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うちなる3人の走り
ご隠居さんで走る。
ご隠居さんですからね。
はなっから、無理はききません。
効率第一。
いかに、カラダへの負荷を最小限に、走ってゆけるか。
いかに疲れを、いい回復に結びつけられるか。
いかに走りのエネルギーを、有効に利用できるか。
タンレンよりも、アタマで勝負、的な自分になる。
熊さんで走る。
ベラボウめ、とことん勝負かけてやっからよお。
ハアハア、ゼエゼエ、自分の限界を突きやぶってやるぞ。
いやあ、限界なんかを作らないぞ。
ガンバったら、ゴホウビはビールだい。
勢いと体力の限りで走ってみる自分がいる。
オカミさんで走る。
走るんだったら、キレイに走りたいですねえ。
ウエアも、ちょっとオシャレで。
走り方も、他のヒトを魅了させられるようなフォームがいいなあ。
それから、故障でもしたらお金もかかるし、無理は禁物ね。
美しく、カレイに走るをめざす自分がいる。
そんな風に、自分の中に「走りのスタイル」を使いわけてみる。
新しい自分に、出会えるかも。
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走りながらの変身
たとえば、ある日の朝。
目がさめる。
すっかり、日の出が早くなってきました。
さあ、今日はどうする。
なんて考えません。
とりあえず、熊さんになって、外に出てみる。
ああ、空気がさわやか、人通りもない。
走りだすぞ。
だんだんと、カラダがあたたまってくる。
10分も走れば、カラダが変化をみせてくる。
走りモードに、なってきたな。
この気持ちよさを味わってゆこう。
力をぬいて、いいペースでゆこう。
ご隠居さんの心境に、少しずつシフトしてゆきます。
ゴールのあとは、さっと昨夜の残り湯にドボン。
汗を流して、おフロ場のそうじ。
きがえて軽い朝食、そして今日も仕事だ。
夜には、朝のランニングの記録つけ。
明日は少しセーブだね、毎日走れるほどの体力も回復力もない。
散歩にしておこう、
オカミさん的、計算でしめる。
こんな走り方もあります。
要は、つづけられる工夫、でしょうか。
こんな調子で、22年目の走りになっています。
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テクマクマヤコン
視力には、目に入ってくるものと、見えるものがあります。
目に入ってくるものは、目の前にあるもの。
視力があれば、誰にだって、見えているもの。
一方で、見えるものは、意識しないと見えてこないもの。
目の前にあっても、見ようとしなければ、見えてきません。
見えているのに、気がつきません。
逆に、見ようとすれば、見えないものまで見えてくることもありますね。
たとえば、ヒトのナサケ。
ココロがすさんでいると、決して見えてきません。
それが見えたときの、ホッとしたうれしさ。
ナサケは人のためならず。
自分に入ってくるものですね。
自分の内なるキャラを切りかえてみると、見えてくる景色も変わる気がします。
ご隠居さんで、見えなかったもの。
それが、熊さんになって見えることがあります。
オカミさんになって、わかることがあります。
理不尽だから、の一言で、断じない。
わからないから、といって、すぐに切りすてない。
走れない、とすぐに結論をいそがない。
自分のキャラを、切りかえてみる。
そのお手本が、落語の世界になります。
さあ、圓生でも聞いてみようか。
そして、テクマクマヤコン。
(この意味、知らないひとがいるかな?)
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分身の 術で走りも 広がるよ
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