成功
「うまくゆく」ときの流れは、決まっています。
ひとつひとつが、きちんと、つながっていった結果です。
それを、どうとらえるか。
自慢ととるか、どうか。
病気がなおってゆく過程も、同じじゃないでしょうか。
自分の「なおしてゆく力」が、ちゃんと発揮できたとき。
一番は、これ(だけ)です。
これ以上のことも、これ以下のことも、まずない。
ですから、手を加えるとしたら、「その力」をどうジャマしないか、です。
おおくの場合、ジャマをしていることが少なくありません。
不要なクスリとか。
過剰な心配とか。
(というようなことをいうから、立場は悪くなる一方です)
かの世界では、「成功例の発表会」があります。
「どや、こんなに、ようなったぜ」
学会とよばれています。
あんまり参考にならないな、と感じるのは、わたくしだけでしょうか。
うまくゆかない
うまくゆく考察は、以上でおしまいです。
わかっちゃいるけど、「現実」はそうそう、甘くはゆきませんから。
世の中は、うまくゆかない方が圧倒的です。
たとえば、ランニングの大会。
すべてがうまくつながれば、これ以上ない、会心の結果をうち立てられます。
そういうことも、ないわけじゃ、ありません、多分。
ただ、わたくしには、まだ経験がありません。
そんな経験、豊富ですか?
といって、くさらない。
会心にいたらなかった要因を、ふり帰ってみる。
成功の道は、ひとつ。
一方で、そうじゃなかった道は、多彩です。
つまり、うまくゆかなかった要因は、ひとつじゃない。
というより、あげてゆけば、キリがない。
問題は、これを「失敗」ととるか、どうかです。
失敗というと、どうしても、マイナス的発想です。
マイナポイント(意味がちがうか)。
じっさいは「うまくゆかない」ところにこそ、「学び」がひそんでいないでしょうか。
「うまくいった」ときには、学びは少ない。
(多少の、ヤッカミもふくまれていますが)。
うまくいったら、「わーい」とよろこんで、それでおしまいです。
発明王エジソンさんが、こんなことを言われました。
「わたしは、失敗したことはない。
うまくゆかない方法を、何千、何万と学んだだけだ」
正確な表現は、出典をみつけられなかったので、ちがうかもしれませんが。
うまくゆかないときこそ、チャンス。
絶好の「学び」の場がめぐってきたのですから。
その理由を、振り返ってみる。
お見通し
柴又100kウルトラマラソン2023。
おしい、どころか、はやばやの61キロ関門で、時間切れアウトととなりました。
もう、見事というしかありません。
じつに「学び」の宝庫となりました。
100キロマラソンを、甘くみていたのは、たしかです。
スピードはいらない。
歩かなければ、ゴールできる。
ですから、5月にレースがない、ということに気づいたとき、安易に出場申し込みをしてしまいました。
まだ、受け付けをしていたのです。
くわえて、5月は、いそがしかった。
柴又100kの前の週は、週末だって、まったく走れていませんでした。
それでも、走りはじめれば、なんとかなる。
神風が吹き荒れてくれるさ。
このあたり、はじめて100kマラソンに挑戦したときと、雲泥の差です。
はじめてのときは、コワゴワの参加です。
未知の世界に、自重したスタート。
各関門までの、ペース配分。
慎重に、慎重をかさねる。
純真でした(自分で言うな)。
今回は、関門時間のチェックさえ、いいかげん。
コース上に書いてあるだろうし、走っていれば、通りぬけられるでしょ。
こんな謙虚さを欠いた態度を、神サマは、きちんと見ていました。
現実
最大の傲慢さは、「ペース配分」。
(って、いつものことですか)
レースの朝は、すずしい陽気でした。
しかも、ずっとたいらな川沿いコースをゆくだけ。
走りやすい。
じっさい、フルマラソンか、っていうノリでガシガシいってしまいました。
なにしろ「今日は100キロの新記録を出せるぜ」なんて思っちゃいましたから。
かんちがいも、はなはだしい。
コースはたいらでも、わが人生はくだる一方にあることを忘れていました。
くだってゆくぶん、難易度はのぼってくるんです。
過去の自分に挑戦して、どーする。
「少し、こらしめてあげなさい」
水戸黄門様が、印籠をだす前の場面展開がはじまります。
ギラギラした太陽と、しめった空気のご登場です。
カラダに熱がこもってくるのを、感じはじめていました。
熱にやられてきました。
そして、はやく走ろう。
つまり、欲をかく。
こうなると、走りはどうなるでしょうか。
わたくしの場合、「歩幅」がのびてゆきます。
今回のハキモノは、ハダシにゴム性ワラーチです。
つまりは、ワラジよりはクッション性がいい。
それでも、だんだんと、カカトへの負荷も強まってきました。
カカト負荷は、カラダへのダメージをつくります。
暑さと、自分でつくってゆくダメージ。
ふたつが、確実にしのびよってきました。
もう、根性は通用しない、お年頃。
やはり基本
つくずく思うことは、基本はすべての「根っこ」だということです。
基本は、初心ともいいます。
あるいは、謙虚さともいえます。
ま、だいたいが、コレを忘れると、ズッコケます。
レースの準備は、しっかりおこなう。
前半から、突っ走らない。
歩幅を、欲張らない。
そして、気候を甘くみない。
その後、耳まで、日焼けで皮がむけてしまっていました。
とくに、アシの大地へのつきかたに、気づかされました。
ワラーチの底は、ゴムでできています。
わたしにとっては、クッション性もあるし、なによりガンジョーです。
大事に走らないと、すぐにすり切れてしまう「ワラジ」とはちがいます。
それでつい、力が入ってしまいました。
走りが、雑になってきていました。
一歩一歩を、大切に大地につけてゆく。
ワラジ走りの、基本中の基本でした。
ゴムという文明の利器を甘受しても、忘れてはならない感覚でした。
1ヶ月に何キロを走ったか、じゃない。
いかに「一歩」を大切に走れるか。
わたくしの原点は、そこにあったんじゃないか。
久しぶりに、背すじがのびる学びとなりました。
その一歩 大切にしてこその 次の一歩
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