波
42キロ地点をすぎて、ノロノロ北上をつづけます。
スピードは、落ちる一方。
カラダが、ぎこちない。
江戸川沿いにある五霞町の大きな広場。
そこがレストステーションとなっています。
距離にして46キロ地点。
自分の荷物をおいておけるドロップバック制度も利用できます。
わたくしは、必要なものは持っているので、これは利用しません。
にぎやかな会場。
もうたのしんじゃいましょう。
たのしめたら、何かご利益がおりてこないなか。
いちおう、まだレースは捨ててはいません。
100キロという距離は、なかなか長い。
とうぜん、体調や精神構造に、いくつも波がうまれます。
もうダメだ。
そう感じても、走りをあきらめなければ、再び目覚める。
なにしろ、後半は風が吹いてすずしくなる(はず)。
日もかげってくる。
コースも、川のくだりに向かう。
きびしい条件が、薄皮をはぐように解決してゆくじゃないか。
そういう波よ、はやく来い。
五霞町にきたよ、ヘロヘロですけど。もう、たのしみます。
強烈なプッシュの、おいしい卵焼きをいただきました。
五霞町の名物だから、宣伝してねとたのまれました。はい、玉木の厚焼き卵、おいしいよ。
計算
巨大レストステーションをでると、江戸川コースからはずれてゆきました。
五霞町の田舎風景のなかをうろうろ。
はやくも田植えをおえた田んぼ。
刈り取りをまつだけの麦畑。
勢いよく育つソバ畑。
小さな道を、くねくね曲がります。
そのひとつひとつに、ランナーが迷わないように学生さんが誘導してくださっています。
「暑いなか、ありがと」
ひとりひとり、あいさつしながら、相変わらずのノロノロランです。
ほうほうの体で、50キロ中間地点に到着です。
制限時間14時間のうち、半分の7時間がたっています。
いつもは6時間くらいで通過していますから、深刻です。
しかも、なんてうい場所が50キロ地点なんでしょうか。
その先が、お墓です。
うーむ、今回は、いよいよ覚悟をしてゆかないとと察しはじめました。
あとは、どこまで走るか。
自分から手をあげるか。
関門までは、あがいてゆくか。
も、もちろん、止められるまではあきらめない。
五霞町の田園風景、はやくも田植えもはじまっていました。
刈り入れを待つばかりの大麦畑。
ふと気がつくと、前後に人影がなくなって、あせる場面もありました。
50キロ地点をすぎれば、つぎに待っているのはお墓でした。
シャワーの無償提供、ありがたく頭からザーザーさせていただきました。
いよいよ
フッと、緊張の糸も切れかけてしまったようです。
カラダのどこがどう、というパーツ的な問題じゃありません。
なかなかカラダが前にすすまない。
スローモーション走法ですね、まったく。
それでもエイドの方からは「ナイスラン」という声をいただく。
五霞町のクネクネコースを抜けて、ふたたび江戸川河川敷コースにもどってきました。
55キロ。
あとはもう、来た道をくだってゆくだけ。
いっそ、となりを流れる江戸川に飛び込んで、流れて下りたいくらいです。
右から刺しこむ太陽光線がまぶしい。
つぎの61キロ関門の通過制限時間は、15時26分です。
がんばれば、なんとか突破できそう。
すると、次の関門の80キロ地点まで走れる権利がうまれます。
とうぜん、そこで確実につかまっちゃうでしょう。
ですが、61キロ地点をこえて、さらに20キロゆけますか、今日の体調で。
思考回路も混戦するなか、ハムレットばりの考えがうかびます。
しかし、そんな悩みは不要でした。
なにしろ、スピードがあがりません。
61キロ地点をずいぶん前にして、15時26分はあっさり過ぎました。
とはいえ、61キロ地点まで、たどりつかなくてはなりません。
同志となってしまったランナーさんと、トボトボと関門をめざします。
関門地点は、あっさりとしていました。
一秒一刻をあらそう通過なんかじゃありませんから。
今日は、ここで「通せんぼ」。
関門地点から、コースの先をながめます。
もう、前を走っているランナーの姿は、まったく見えません。
入ってゆくことのかなわなくなったコース。
さっそく足もとの計測チップをもぎとられました(苦笑)。
小さなエイドでもあるので、水をもらって一息。
考えていなかったかたちで、「レース」は終わりました。
あとは、この一直線をくだるだけなんですが。
うしろを振り返ってみても、もうランナーが見えない(笑)。
このあたりで、関門制限時間経過、フウっと力がさらに抜けました。
目の前に、関門エイドが。
こんなわたくしにも、拍手をいただけます、泣。
関門地点より先に、もはやランナーの姿なし。
まあ、おつかれさまです、ひとりでなぐさめます。
思いがけないバス旅行
レースは終わりました。
終わりましたが、いま立たされているところは、ゴール会場から直線距離で40キロも離れています。
ゴール会場に荷物がまっています。
ここで万事終了、とはいきません。
とりあえず、戻らなくてはなりません。
さあて、バスでのご帰還だ。
じつは初めてのバス回収経験です。
そして回収バスというのは、関門地点で待っていてくれるものと思っていました。
ところが、そうそう至れりつくせりにはまいりません。
しばらく歩かされての、バス発着場です。
そこには、中型バスが待機してくれていました。
さあて、ご帰還だ。
そう思っていたら、もう満員なので乗れないことに。
そんなにご盛況なんですか。
取り残され組が待っていると、やがて回収車がめぐってきました。
各所で手をあげたランナーさんたちが乗っている車ということでした。
それも一杯で、あと3名だけ乗れるとのこと。
バス停に来た順番と、パッと見の年齢順みたいな流れで、わたしが乗れました。
すぐあとから、回収車がきているということで、申し訳ございません。
なんだか、タイタニックの救命ボートに乗る心境です。
そんな年になってしまったか。
初めての収容バス。
しかも、このバスの大半が、自分から手をあげて乗ってきたランナーさんたちだそうです。
なんとなく、重苦しい空気感がただよっています。
そんな場を察することができないまま、わたしは補助席に腰をおろします。
そしてとなりのランナーさんに声をかけてしまいました。
「いやあ、やっちまったですねえ」
「ボクはずいぶん先に乗って、回収でずいぶん回っていますよ」
「あ、ああ、そうなんですか」
それからは、そのランナーさんと会話がもり上がってきました。
トレランもしていること。
3人の子もちのパパだということ。
千葉の柏に住んでいて、坂がないのが残念なこと。
直線距離でも40キロのバス旅行は、いがいに時間がかかります。
しかも柴又という都内への道です。
結局、わたしとそのランナーさんの会話だけがひびくバスの中。
それにしても、こういう展開です。
やはり「寅さん」衣装で走っていなくてよかったです。
それこそ、笑いものですもんね。
やはり謙虚さが大事だ、ということでしょうか。
意味がちがいますか?
回収用のバスは、すでに満員になっていました。
ようやく乗れた回収バス、やはり鳩バスみたいな華やかさはないな。
レース会場に日は落ちて
回収バスが、会場まで届けてくれました。
まだ、太陽がみえます。
明るい。
まさかの、日の入り前の会場光景です。
もし100キロを走っていれば、ゴールは8時過ぎだったでしょうから。
その中でも、フィニッシュラインが明るく、はなやかです。
ひとりひとり、ゴール達成のランナーの名がよばれてゆきます。
祝福されてゆきます。
わたくしは、その光景を、柵の外からながめるだけ。
ああ、まぶしい。
残念さが、実感として、わいてきました。
100キロマラソン29回目の挑戦で、2回目の関門アウトでした。
「よおし、来年こそは」
そういう実感がわいてこないのは、不思議です。
決断には、もう少しの時間が必要でしょう。
40キロ分もバスでワープできたんだから、疲れていないはず。
ということはなく、トボトボと柴又の町を帰路につきます。
やはり、フーテンの寅さんの町です。
ココロの中で、寅さんの歌が流れてきました。
「奮闘努力の甲斐も無く
今日も涙の
今日も涙の日が落ちる
日が落ちる」
うーん、なんとなくマンマの心境でしょうか。
柴又、ほろ苦し。
矢切の渡しをながめながら着替えます、全身、塩吹き状態でした。
寅さんの町に、灯りがともりはじめました。
あっけなく 関門時間は 過ぎてゆく
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